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デザインの起点

愛犬のハルちゃんと散歩をしながら遠くに見える富士山を眺めていると
とても核心的な事にハッと気づいてしまい慌てて帰り書いている次第です。
自分の中では何となくモヤモヤとしながらも分かっていたのですが言語化出来た瞬間にその想いを肯定出来た感じです。

私の庭づくりは「作る」という事を主としていません。
作った先に何が起こるのかという事をイメージしてデザインをしているのでメンテナンスフリー、耐久性、など明らかな形容詞的表現での導入からデザインを導くことが苦手です。
もし作らなくても目的が達成できるなら、それでも良いと本気で思っています。

私がデザインの発端としているのは感情です。
心地良さや穏やかさ、興奮や静寂など色々あると思います。
「どのように過ごしたいか」という感情が根幹となり、それらに動物や植物が加わり、誰と過ごすのか、一人なのか多数なのか、地域となのかなど関わりの背景を知る必要があります。必要があるというよりはそれらが見えてこないとデザインが浮かんでこないのです。
「抜け感」という表現を設計事務所から最近良く聞きますが、やはりデザインの起点にはなりません。
モダンとかチルとか和風庭園とかワードはイメージや趣向として勿論、大切ですがそれだけでデザインをスタートする事は難しく、それらの空間でどのような感情で過ごしたい、過ごして貰いたいのか、がとても重要なのです。

つまり庭という空間に意味を持って欲しいのです。別の章でも書いていますが住宅以外の外の場所(エクステリア)ではなく庭として固有の意味や働きをして欲しいと思っているのです。そしてそのような力が庭にはあると思っています。

心やコミュニケーションを豊かにしてくれて、自然環境や動物や植物との接点でもあり災害やストレスから私達を守ってくれるバッファでもあるのです。
そこは人間が少しだけ手を加えてコントロールできる唯一の自然なのです。
自然でもなく住まいでもなく、とても曖昧な空間で、だからニュートラルで住まう人によって多様な空間になるんだなって思います。

庭とは?と無駄な禅問答の様な事をしていた時もありましたが庭はそんな深い事を望んでいないんだと、この歳になってやっと思えるようになりました。
もっと軽やかで自由でいいんじゃないかと思います。

年齢から考えると、それほど多くの庭は作れないと思います。
まして手の遅い自分ですので尚更です。
これからどんな人に出会いどんな庭を作っていけるのか楽しみです。
そして住まう人に寄り添ったエッセンシャルで少しだけ自分らしさのある
庭を作っていきたいと思います。





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