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信用する者、しない者

信用する者、しない者

人と関わっていく中で、「信用」とは人と人を繋ぐもの、組織拡大のつなぎ目として必ず存在するものだと思う。私たちが生きていく中で、他者との関わり合いの中で真っ先にその問題に直面する。
私は簡単に人を信用する人間だった。今考えると、少し危ない、真っ先に悪い人がいれば連れ去われていたかもと思うくらい人懐っこい子供だった。
けれど、今はその真逆かもしれない。断片的に覚えてることでも、裏切られたり、手のひらを返されたりの記憶が潜在的に自分が変わった原因なのかなと推測する時がある。
拒絶までは至らないけど、慎重になったのかもしれない・・・・

こんなことを思ったのも、昔何気なく観ていた「十二国記」のアニメをきっかけに文庫のシリーズを読んで、ある登場人物の行いが凄く印象的だったから。

十二国記は、地図上にはない異世界(十二国)を舞台にした長編ファンタジー。シリーズもので、昔アニメでもやっていた一部が続きとして文庫で18年ぶりに新作長編としてでたので気になって順を追って読んでいったら、これはもう面白い。そこに描かれている人の葛藤や生きていく中での真髄を表していて、物凄く心に突き刺さる作品。

そして私に突き刺さった人物が
十二国記「黄昏の岸 暁の天」でも出てくる、「浩瀚」(こうかん)という人。


国の王に仕え、その官吏の長である人物。
正しくあり、その正しさは自分の芯を強く持ったから生まれる行いで、法に沿ったからあり方ではなく、己の向き合った結果を持った積み上げた人だと思う。

この本の中で、私が信用のあり方として響いたこと。私たちの日常にもあり得る、そして自分自身はどうだと改めて問いただした部分。

権威を振りかざし、その行いを恥じることのない者
自分自身を理解もせず、自分の不遇を他者のせいにすること
実状もわからないままに、批判侮辱をし他者を裁くことに疑問を覚えない者

作品の中でこういうことを言ってるというの書いてます。          こういうことを言葉として言えるのは自分の中で答えを出してきた結果なんだと思う。

信用は為人で形成され、相手に安心を与えられて構築される。
その行いは日々の人との向き合い方で出来上がるんだと、知っているはずだけど自分はどうなのだろうと思った。嘘をつくのは嫌いだし、傷つけることはしたくはないと思ったり、気をつけている部分はたくさんあるけど、きっとそういうことだけじゃなく、自分の答えを出すことをやっていかなきゃいけないとこの人物をみてそう思った。


もっと他者と関わって、自分を生かせるようになりたい。
そのために、「信用」は向き合い続ける一つの課題でもある。


十二国記 ↓↓
https://www.shinchosha.co.jp/12kokuki/

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