キミに会えたことは キミのいない今日も 人生でかけがえの無いものでありつづけます。 フジファブリック志村との出会い
フジファブリックを好きになったのは志村正彦が亡くなってからだった。
2009年のクリスマスの日、同じ軽音サークルの女の子が「笑ってサヨナラ」の歌詞だけをmixiに投稿していたのを覚えている。本人のコメントはなかったが、携帯の向こうでどんな顔をしているのかは痛いほど分かった。
気付いたときには遅すぎて 彼女の涙に困ってた
その涙の訳聞いたなら 答えは聞かず黙ってるのだろう
薄くなる君の面影は 違うものに押しつぶされそうになる
人のせいにしがちな僕から あなたは消えていく
その後冬休みに入って、サークルの合宿最終日に内輪のライブが開催された。彼女はやはりフジファブリックのコピーバンドを組んでいた。
セトリは確かこんな感じだった。
銀河→星降る夜になったら→赤黄色の金木犀→茜色の夕日→虹
赤黄色の金木犀あたりからベースとキーボードの子は号泣していた。茜色の夕日では、普段飄々としていたギタボのやつが泣いていた(ちなみに彼は志村に似ていた)。寝不足と涙でガラガラの声、弾くことで精いっぱいな演奏―、それでも素晴らしいグルーブ感だった。
そして、最後に虹をもってきたのは意外だった。
遠く彼方へ 鳴らしてみたい
響け! 世界が揺れる!
遠く彼方へ、志村に向かって 鳴らしていたような気がした。
当時まだハマってなかった僕も、彼女らの鳴らす音が響いて揺れていた。そのとき、もっと早く好きになって、ライブを観に行けばよかった―、と感じた。僕がフジファブリックを好きになった瞬間。
合宿のMVPを決めるコピーバンド部門で、彼女らは1位だった。(今フジファブリックは卑怯だろ~と言ってる人もいた。)
僕ら部員は、「あれはエモかった」と口々に話していた。今では有名になった"エモい"という言葉が音楽界隈で流行り始めていた頃の話だ。
あれから、僕はフジファブリックばかりを聴くようになった。DVDも集めた。2014年の10周年記念、武道館公演の志村との"共演"は生で観て感動した。
そして記事タイトルは志村の遺作アルバム「CHRONICLE」に収録される「クロニクル」の一節。
キミに会えたことは キミのいない今日も 人生でかけがえの無いものでありつづけます
今まで様々な出会いや別れがあったが、良くも悪くも、その全てのおかげで今の僕がいる。
音楽は記憶のブックマークというが、大学~社会人はじめの多感な時期、あらゆる出来事がフジファブリックの曲と共にフラッシュバックされる。
大学のとき、車持ちの友人に赤黄色の金木犀を焼いたCDを渡していた。
ドライブ時にいつもかけていたので、あのイントロを聴くたび、大学周りの田舎道、オンボロのMOVEを思い出す。
挙げればキリがないが、人生でかけがえのなかった日々、それらの記憶にフジファブリックの音楽が彩を与えてくれている。
志村に直接会ってはいないが、彼の音楽に出会えたことは、今後も人生の中でかけがえのないものとして残っていくだろう。
最後に、
毎年12月24日、タワーレコード新宿店が出すフジファブリックのポップが大好きなので勝手に転載しておきます。
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