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お別れ

拝啓 原寛太 様

 原様。これは、貴方様の熱誠なファンである私からの最後の言葉です。

 私は貴方様に申し上げたいことが想い・出来事・異見等が多々ありますが、それらをこのメッセージに全て凝縮と要約します。お願いです、どうか最後まで読んでお考え下さいませ。

 原様、我が祖国ベトナムの諺に「学んでは、更に学んで、常しえに学ぶ。」(học, học nữa, học mãi)というものがあります。「学び始める」のは本当に難しく、ほとんどの大衆は出来ないことであり、「更に学ぶ」のは本当に極めて難しく、ほとんどの知識人達ですらも出来ないことであり、「常しえに学ぶ」のは本当に至難の業であり、ほとんどの博学多才の達人ですらも出来ないことです。世界中の歴史上、大事業を成し遂げた聖人達(取り分け哲学者達)も極悪人(取り分け犯罪者達)はほぼ皆、「常しえに学ぶ」という「徳」を完遂しては、「天命」という「道」を体得して、「孤高」という「運」を受容したからこそ、世界史・人類史に計り知れない程の無形の巨大な偉業と遺産(善悪正邪を含めて)を遺したのです。

 また原様、我が祖国ベトナムの諺に「才有れば病在り」(có tài có tật)というものがあります。病が在れば何をするべきか?それは正に他ならぬ「根治にして完治」です。ですが、これこそが「至難の業」なのです。己自身の極めて制し難い激情・大衆や社会に環境の膨大で多様な悪しき働き掛け・天の技巧(からくり)…善は己自身の良心・他者の苦痛・不運に大いに深く苦しみ続ける定めにあり、悪は己自身の貪欲・他者の暗愚・幸運に大いに深く用い続ける定めにあります。これらを制しては、克って、主ったのが、聖人達と極悪人です。具体的に言えば、古来からの大成した偉大な篤志家達・思想家達・哲学者達の偉業は世に知られず、その絶大な好影響は気付かれず、その志は理解されず、そして古来からの大成した凶悪な薬物・奴隷・武器商人達の大儲けは世に知られず、その悪影響は暴かれず、その成功は非難されないのです。これらの人々は、己の才をよく知り、己の病をよく知り、そして己に克ち続け、病を治し続け、才を主り続けたからです。原様、「悪」だけが「病」ではありません。「善」もまた「病」です。そして至善も極悪も、実際は「病を治した結果」に過ぎません。その結果を、社会がどう判断するかです。大勢の人々を救って幸せにしてこれを喜び楽しむ「至善」と、大勢の人々を殺して無くしてこれを喜び楽しむ「極悪」、この二つは真逆にして太極であり、前者を世は称え、後者は世を難じますが、「天道」から観れば、両者とも同じであり、「病を治した結果」に過ぎません。その結果が、他の生物にどう影響するかの違いだけです。日本の諺に「馬鹿は風邪を引かない」とありますが、この諺の極意はこういうものでしょう。

 さて原様、貴方様は極めて善良な心・向学の知・挑戦的な意・篤実な才徳等の持主と日本人であり、日本の幸運です。ですが、原様御自身が体験された(或いは今現在も患っていらっしゃる)「適応障害」のように、正に他ならぬ「才有れば病在り」です。病が在れば何をするべきか?それは正に他ならぬ「根治にして完治」です。ですが、数多くの善人達はそうせずに、本当に重病人達となり、志半ばで完全に倒れ、数多くの悪人達はそうせずに、本当に被告人達となり、欲半ばで逮捕されて処罰されます。ですが、「根治にして完治」した成人達は、世に褒められずに大成し、孤高に生きては静かに安らかに死に、後世の哲人達の師範となり、同様に、「根治にして完治」した極悪人達は、世に難じられずに大成し、大いに楽しく生きては大満足して死にます。原様、私は貴方様が「根治にして完治」を自ら成して遂げて願って、この最後のメッセージを書きました。「根治にして完治」を成し遂げる根本的な秘訣が、正に他ならぬ「常しえに学ぶ」です。

 原様、貴方様は誠に善良な才徳に満ち溢れた持主です。貴方様はかつて「学んでは」を成し遂げ、御自身の善良な才徳を自ら開かれました。そして遂に「更に学んで」を始め、御自身の善良な才徳を自ら活かしました。ですが、実に残念なことに、貴方様はそこで大いに深く病み、そして病を治そうとせずに、今現在に至っております。至境の「常しえに学ぶ」に辿り着こうと為されずに、御自身の善良な才徳を自ら磨いては変え続けずに、己自身の極めて制し難い激情(良心や挑戦意欲等)・大衆(の賛同や称賛)や社会(からの財力や名声)に環境(の形式)の膨大で多様な悪しき働き掛け、そして天の技巧(御自身の承認欲求・心理・精神)等の病を放置しております。ベトナムの諺に「苦い薬は病を治し、真実は心を失わせる。」(thuốc đắng dã tật, sự thật mất lòng)と「以前の心を失って、後の心を得る。」(mất lòng trước, được lòng sau)とあります。この言葉を借用しますと、原様、私のこれまでの苦言は、貴方様が前述の病を自ら根治と完治して欲しいと熱誠に熱望しているこそ、そして「これ以上学ぶのを止める心」を失わせて「常しえに学ぶ心」を得て欲しいと熱誠に熱望しているこそ申し上げさせて頂いた次第です。原様、貴方様はまだ「真実」を学び知り始めては、更に学んだばかりです。そこで学ぶのを中断なされれば、志半ばで完全に倒れてしまいます。

 具体的に申し上げます。

 原様、貴方様は「学んでは」という初めの頃は、誠に謙虚な御方でした。様々な発言・事例・出来事等を枚挙できますが、最も印象的だったのが、貴方様のYouTube動画で、心無い批判や悪意のある誹謗中傷に極端な思想等が多くなった時に、貴方様はその中で一つの極めて不当な上に不快なコメントを取り上げて公開した後、しばらくして後悔なされ、謝罪動画まで出されました。貴方様の行動は何ら間違いも無いにも拘わらず、そのようになされたのは、誠に貴方様の謙虚な人徳と向学心の現れであり、己が正しいにも拘わらず、謙虚に猛省なされては成長なされたという、正に原様の「克己」・「積善」・「修徳」でした。数多くの人々の尊敬と信望の念を得たに違いありません。少なくとも私はそうでした。そして「学んでは、更に学ぶ。」という道を切り開いた瞬間でもあったでしょう。ところが、貴方様は「更に学んで」という頃を少し過ぎた頃、そうです、最近、私が貴男様のTwitterで大量のコメントを送り続けた例の件です。まずその件については、多大な迷惑をお掛けしてしまった行為であったことであり、深謝の念を、ここに示します。ですが原様、貴方様は、公共の場で、誹謗中傷ではなく、貴方様のことを想う批判を、「ブロックする」とまで発言されました。そして多くの人々がその発言を見ては、私を事実上曝すようにして、そして数多く賛同するように行いました。人を拒絶する言動を、大衆に見せることを、そして、その人物が、貴方様を誠に想う批判者であることを、その重大さを原様をご存知であった上でされたのですか?改めて申し上げますが、貴方様に多大な迷惑をお掛けしてしまったことは、真摯に深謝致します。ですが、貴方様の最後の「ブロックする」という発言・そして批判者を拒絶するということを公共の場で広言したこと・批判者を拒絶することについて大衆の支持を得た事、このような姿勢と行動がどういうことを、どうか今一度初心に帰って熟慮なさって下さい。貴方様は、「学んでは、更に学んだが、学ぶのを止めた。」のです。残念です。本当に残念です。本当の本当に残念です。

 原様、貴方様は「学んでは」という初めの頃は、誠に謙虚な御方でした。貴方様は「学んでは」という初めの頃は、誠に好学心と向学心に満ち溢れた御方でした。ブログ・サイトの記事、『世界を無視しない大人になるために』と『あなたとSDGsをつなぐ「世界を正しく見る」 習慣』という二つの貴作、「無知の知」に極めて近い自覚の念が多々散見され、多くの人々と共学したいという志学の念が文字を通じて分かりました。それが貴方様の最も大きな魅力の一つでした。数多くの人々の興味や関心に魅了を得たに違いありません。少なくとも私はそうでした。そして「学んでは、更に学ぶ。」という道を切り開いた痕跡でもあったでしょう。ところが、貴方様は「更に学んで」という頃を少し過ぎた頃、貴方様は数多くの深い脱力感・無力感・絶望感、そして激痛や苦心に死への渇望を駆り立てる虚無感を抱えられました。これは正に前述の「才有れば病在り」の現象であり、「治す」つまり「常しえに学ぶ」への道の始まりでした。ところが、貴方様は「命を削る」と発言されました。確かに、原様の仰る通り、志ある者は、道義を欲望よりも遥かに重んじ、知識を富貴よりも遥かに重んじ、人徳を長生よりも遥かに重んじる者です。原様、貴方様は篤志家・知識人・仁人の素質が十二分にございますし、それは既に開花され始めました。ところが、貴方様は病を治そうとせずに、そうです、私の苦言や諫言、先哲達の教訓や良書等を心目と心耳を傾けて、自彊術・知術・学術・忍術・仁術等を修められずに、ごく一部の例外を除いて、ほとんど生産性・建設性・現実味・真実味等の無い賛同や称賛のフォローやコメント等に心目と心耳を傾けておりました。原様、原様の動画の賛同や称賛のコメント等の中には、私の別アカウントのものがたくさんありましたから。ハートマークをたくさん頂戴しました。原様、本当に嬉しかったですか?何か本当に良いことを学び得られましたか?原様、そういうことですよ。私自身は、本当に時間が掛かりました。本当にたくさん悲しい想いをしました。学び得たことはありました。それは「美言不信・信言不美」、そして、軍事学や諜報活動等の研究と軍民転換、そして情報科学-哲学や認識論等の研究と応用です。

 原様、ヨーロッパとアフリカの歴史関係・奴隷貿易・戦争等に関しては、貴方様の動画への異見・批判・非難は多々ありますが、これは学術的なもので、話し出したら切りがありませんので、次の論語の言葉を借用して要約いたします。「躬自厚、而薄責於人、則遠怨矣。」・「博學而篤志、切問而近思。仁在其中矣。」。

 そして原様、本日、原様は、「ウガンダ・スタディツアー」についての告知動画を出されました。こちらも話し出したら切りがありませんので、次の『孟子』と『老子』の言葉を借用して要約いたします。「人の病患は好き好んでは他人の師になること」・「その出ずることいよいよ遠ければ、その知ることいよいよ少なし」。人に伝えることが反って人も己自身を停滞させ、人に知らせることが反って人も己自身も無知に陥れ、人に教えることが反って人も己自身も衰退させることが、甚だ多いです。本当に「伝える/伝わる・知る/知らせる・教える/教わる」、実に至難の業です。「常しえに学ぶ」は実に至難の業です。

 最後に原様、セネカ先生の箴言に、「小さな心配は発言し、大きな心配は沈黙する。」とあり、『論語』に「道不同不相爲謀。」とあります。私は心の底から誠に、貴方様を期待すると同時に心配しております。それ故に、私は貴方様に対して永遠に沈黙します。そして、貴方様とは道が同じでは無かったことを、「ブロックする」という宣言と頂いた数々のハートマークから、誠に理解したため、永別することに致します。私は貴方様の熱誠なファン、そして切磋琢磨する学友になりたかったです。ですが、天はそう定めてなかったようです。私は貴方様からたくさんのことを大変有り難く教わりました。在日ベトナム人であり私の最後の貴方様への切実な言葉と悲願は、原様が健康的に長生き成されては、病を根治と完治なされて「常しえに学ぶ」(học mãi)という至境に到着して、数多くのことを誠に学び知られ、御自身と数多くの方々と共に平和・喜楽・幸福を誠に分かち合うことです。「今まで誠にありがとうございました。さよなら。」、この発言と決行を本当にしたくありませんでした…

LVN

ありがとうございます。心より感謝を申し上げます。