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驢馬と無花果

 胸が隠れるくらいまで髪をのばすとか、いつでも適量をたべるとか、嫌なことをちゃんと断るとか。なりたいところへ近づけないままこんな歳になってしまったけれど、なぜか今年になって、わたしの髪は胸にかぶるほどになったし、適量たべることも自然と身体がおぼえたらしい。おかげで、髪は理想の線が出てそのうえ扱いやすくなったし、たべすぎの不快感や重たい身体ともお別れできた。(でもコミュニケーション能力はまだ全然足りない、しかし人生、全てのことが急に好転したら逆に危ないと思うのでこのくらいでよいと思う)

 なぜこうなったのか、それはやりかたを変えたからなのか、わたしが変わったのかよくわからないけれど、もしかして、わたしは欲をかかなくなったのかもしれない、言い換えると自分がどんなにがんばっても思い描いたほどの成果は出ないというかなしい現実を受けとめ、むだなエネルギーを消費しなくなったのかもしれないと思う、そしてたぶんそれは当たっている。

 むだを削ぐだけでも、軽くなった分くらいは高くとべるらしい。

 身体って、「自分」という存在の入れ物とでもいうのか、精神と切り離せないものだからこそ、身体の居心地がよいというのは重要だと再認識している。

 みんなに見えるように目標を高く掲げて突っ走るだけのエネルギーを持ち合わせた人というのがいるけれど、私は真逆で、そもそもあんまりエネルギーを持っていないし、ためるのも苦手、目標も他言しないでこころに閉じ込めておく方が同じペースで走り続けられる。そんなことに、ようやく(ほんとうに、ようやく...)気付いたこの数ヶ月のちょっとした変化でした。

 さて、タイトルにした驢馬(ロバ)は、西洋では愚鈍さの象徴なんだそうです、頑固で融通の利かないところがあるから(=仕事ができないということ)らしい、でもマイペースを保ち続けられるっていいなぁ、だってエネルギーの要ることだもの。

 スペインの詩人ヒメネスによって書かれたうつくしい読み物「プラテーロとわたし(岩波文庫、長南実訳)」によると、驢馬のプラテーロが好きなものは「マンダリン・オレンジ、一粒一粒が琥珀のマスカットぶどう、透明な蜜のしずくをつけた濃紫のいちじく」なんですって。この本の中では、驢馬(プラテーロ)という生き物はこの上なくうつくしく、愛らしく、あまり利口ではないけれど...どこまでも無垢で、飼い主のこころを永遠になぐさめる存在として描かれているのです。

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