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この世は誰のもの?その家は、服は、誰のもの?

「この世界のすべては、誰の所有物でもない。海も山も、家も服でさえも、一時期自然から借りた借り物。

わたしたちが所有するのは、ただひとつ、自分の名前だけ。

ただひとつの所有物を大切に。借りたものはさらに大切に。ふたたび自然へ返していこう。」

経済を回す。呪縛からの解放

何かを所有することに価値を感じていた時代は、なんだか過ぎ去ろうとしています。

ふと冷静に見まわすと、価値があると感じて買ったはずの物たちは1シーズン、もしくは数年でゴミになることが明らかなものばかり。

地球に負荷がかかりすぎているというニュースを見ながら、その原因となるいずれゴミになる物に囲まれながら、それでも新しいものを買うためにお金を稼がなきゃと思いながら、でもなんだか変・・・・・と、感じる。

環境変動への本能的な危機感からでしょうか、「経済を回さないといけない」という呪縛がそろそろ解けはじめているのかもしれません。

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いつの間にか当たり前になった物を所有するということ。誰かの持ち物ではないものは、この世にないという感覚。土地も建物も自然のものを採集する権利でさえも、必ず持ち主がいる。そう教育をされてきて、子供にもそう教えています。

でも、本当にそうなのでしょうか。

小さい子供はもしかして、「じゃぁ、空気は誰のものなの?星は?太陽は?みんなのものじゃないの?」という素朴な疑問を投げかけてくるかもしれません。

そう、この誰のものでもないみんなのもの、という感覚こそ、私たちが忘れかけているプリミティブな感覚。

すべては神に返すもの、という感覚

実際にハワイでは約250年前にキャプテンクックによって発見され、その後貨幣がもたらされるまでの間、物や土地を個人が所有するという価値観はほぼなかったと言われています。

そのため次々と西洋人たちが押しかけて、土地の所有権を主張しだし、もともといたハワイアンたちが住む場所を追われてしまうということも起こったとか。

世界的にも狩猟採集民族は所有の価値観を持たない場合が多いと言われていて、アイヌにおいても土地や食料、植物から作られた道具や服も、すべてはカムイ(神)のものでありみんなで分け合い、最後はカムイに返すものだという考えがあります。

アイヌ文化を取材によって明らかにした書籍「カムイの世界」では、アイヌの方のインタビューで下記のようなコメントがあります。

「土地の権利はみんな平等だった。そもそも土地という概念がアイヌにはなかったからね。だから本州の人間から、誰の土地と聞かれても、うまく応えられなかったんだと思うよ。」

【カムイの世界 著者:堀内みさ 撮影:堀内昭彦 発行所:新潮社】

わたしたちが今感じている違和感は、ここ100年足らずで自然との調和からずれてしまったことを取り戻そうとする「プリミテイブな感覚」の表れなのかもしれません。

所有することにこだわらなくなると、必要以上のお金もいらなくなり、お金のために切り売りしていた時間にもゆとりができて、なんて身軽なんだろう!と新しい気付きが起こるはず。

viehula!ではそんなスタンスで生きる人達を、これからも取材を通してご紹介していきます。


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