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◼企画◼ 「あの日の景色。あの日の味。」@ももりゅう

私が小学生だった昭和の時代って、まだ土曜日も普通に授業があった。

4時間目が終わり、掃除も終わると

なぜか牛乳を飲んでから帰るのが日課だった。

午後は、バレー部の練習がない日は友達と遊んで

夕方になってさよならするんだけど

「なんだ!明日も休みじゃん!」ってすごく得をした気分になったものだ。

だから長女が小学校に入学したときに週休2日だって聞いて

「なにその夢のような展開は!」って

驚いたのを覚えている。


土曜日のお昼どき、学校が終わって家に帰ると

当時はまだ専業主婦だった母が迎えてくれた。

母は「超」がつくほどの健康オタクで

インスタントや添加物は もってのほかなんだけど

当時はそこまで気にしていなくて

土曜日のお昼ご飯といえば「あれ」だった。


途中ですが、拝啓 あんこぼーろさんの企画に寄せた記事となります。

「あの日の景色。あの日の味。」

忘れられない食べ物の記憶と一緒に、その風景も、同じように忘れられないものになっているはずです。

私が忘れられない思い出の食べ物。

土曜日のお昼に食べていた「あれ」。

あれを食べていたときの「風景」から説明すると

お笑いマンガ道場

なのです。

でも当時私が住んでいた富山県で放送されていた時間帯を調べると

日曜日の12:30〜13:00でした。

土曜かと思ったら日曜だった。

そうか土曜日はバレー部の練習で、お昼は学校でお弁当が多かったから

思い出の風景は日曜日の話なんだな。


では改めて、週末のお昼ご飯に食べていた「あれ」とは

これです。

当時お昼ご飯がインスタントラーメンのお家って多かったんじゃないでしょうか。

これとか

これも家にはよくあって

今食べるなら塩ラーメンがいちばん多いのだけど

当時いちばん食べたのは「寿がきや 本店の味」だった気がします。

スープは醤油で、メンマとコーンが入っていた記憶。

当時はメンマなんて言葉を知らなくて、シナチクって言ってた。

これが、いつも本当にモヤモヤしていて

私は4人兄弟の2番目なんだけど

ラーメンを1人前もらえたことって1度もなかった。

なぜかいつも2人前を3人で分けるというやり方で

たぶんご飯もあったんだろうけど

私はいつも、1人前が食べてみたいって思ってた。

その反動かどうなのか、今でも時々無性に食べたくなることがあって

大型スーパーで探したりするんだけど

本店の味だけは見つけることができない。

塩ラーメンや味噌ラーメンは、どこにでも売っているんだけど。

無性に食べたくて、忘れられない思い出の味

寿がきや 本店の味

そうか、Amazonで買えばいいんだな。


お笑いマンガ道場といえば、先日富永一朗先生が旅立たれましたね。

蝶ネクタイがトレードマークの鈴木義司先生も他界され、

なお美ちゃんとも さよならして

だん吉は、元気なのかな。

「だん吉・なお美の おまけコーナー」でプレゼントしている「しょうもない物」

一度もらってみたかったな〜。

先日の富永一朗先生の訃報を受けて

大好きなイラストレーターさんが作品を描いておられたので

勝手に巻き込んでおきます。

野口雄也さん、いつもありがとうございます!

富永先生のご冥福をお祈りいたします。

楽しい子供時代を、ありがとうございました。


私の「あの日の景色。あの日の味。」

お笑いマンガ道場と、寿がきや 本店の味

の、お話でした。



未来はいつも面白い!