こころのおきば

これまでの私たちは
と書いたところで
ではこれまでとはどうだったんだろうと思う

・・・

彼とは付き合ってからを振り返ると20年以上一緒にいて、そのうち15年以上一緒に暮らしてきた。他の方々と同じように、時に話し合ったり、口論したりもした。お互いの性格への慣れも必要だった。完璧ではないけれど、お互いの性格や性質を思いやりながら、バランスを取ってきた。日々、そのバランスは微妙に形を変えることはあったけれど、それでも仲良くやってこれたのは、同じではないけれど同じようなものの見方を共有できていたからだと思っている。理解できている、されているという安心感、そしてお互いが取り組んでいることに対しての尊敬の気持ちが大きい(と私は思っている)。

いま、わたしたち二人の暮らし方の中にそれとは異なる価値観や考え方が入ってきて、彼の母も含め三人で一つ一つの物事の見方を捉え直している。

①三人で暮らすのであれば、ご飯は一緒に食べる。
そうでなければ三人で住む意味がない。

②息子が家に帰ってきて、夕飯ができていないとかわいそう。

大きいところでは、これらが彼の母の意見であり、現状ではそうなっていないため、不服に感じている。私にではなく、彼を通して発せられている言葉は、彼を通り越してその傍にいるわたしに向けられている。

①に関しては、最初から危惧していた。これまでも彼の実家に足を運ぶことはあったけれど、一度も居心地の良さを感じたことはなかった。その一番の原因は彼と彼の母親との会話に入っていけなかったことだ。彼女は自分がしゃべりたいことだけを話す。彼の顔をみて嬉々として何かを話している。彼はその話にうなづき、彼自身の考え方を入れたりしながら会話は続いていく。
でもそこに私の入る余地はない。彼女は私の方をみない。意図したりいじわるをしているのではなく、自分が気持ちよく息子と会話することが重要で、単純に私に興味がないのだ。しかし、ここにもう一人息子以外の会話メンバーが入ると、会話が始まる。

同居をする前から、「好きなものを食べたいから、食事は基本的に別々にしたい」とリクエストがあった。義母は好き嫌いが多く、好きなものだけを食べている印象があったので、いろいろなものを何でも試してみたい私たちは快諾した。
移り住んだ日の夜、何時に夕食の準備を始め、何時頃から食べ始めるのか聞いてみると、18時から準備を開始し19時頃から食べ始めるという。
家にキッチンはひとつ。わたしたちのこれまでと時間帯は重なっている。
それを伝えるも義母は何も言わない。

そして昨夜。
帰宅をすると彼がチキンスープを作ってくれていた。彼女はテレビを見ている。
ただいま帰りました、とリビングに入る私に、「あのね、さっき2人で話をしたんだけど、同じ家で暮らすのに食事が別なのは寂しいんだって。一人でいるのも寂しいけれど、一人じゃないのに一人でごはんを食べるのはもっと寂しいんだって。で、どうする?」

思わず息を呑む。
どうする?とは???

②料理が趣味の夫は私より早く帰ってきたり、食べたいものがあると手際よくご飯をつくってくれる。もちろん私が作る日もある。昨日のチキンスープは早く帰宅していた、最近食べ過ぎな私たちの身体を気遣ったメニューだった。
仕事をして帰ってきたのに、夕ご飯も用意していない家に帰ってくるなんて息子がかわいそう。私は良妻賢母の教育を受けて育ったから、こんな状況はありえない。




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