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新緑の季節

家から20分くらい歩いたところに大きな公園がある。公園って言ったって芝生が植わっていて、ベンチがところどころあってそれだけ。公園の真ん中を突っ切る大きな道があって、その道を抜けると幹線道路に出る。その幹線道路を横切ると小さな日本食スーパーがある。時々歩いてそこへ行ったり、会社帰りに立ち寄って、歩いて帰ってきたりした。

新緑の季節、温かくなってきたころになると、公園の真ん中の大きな道の両端にキャンピングカーやバンが止まっていた。時々、車のドアが開いていて、生活感のある中身がよく見えた。そして、時々、かなり生活感のある服装をした女性がたばこを外で吸っていたり、おしめだけしている赤ん坊が裸足でその辺をうろうろしていた。

風景を見て何が何だかよくわからなかった。旅行で来ている割には生活感ありすぎだし、それにしてもたくさんの白いキャンピングカーの量だった。

時々、この公園を使って、テレビドラマや有料テレビ局のドラマなどの撮影をやっていた。ドラマ撮影になるとキャンピングカーやキッチンカー、携帯トイレカー、更衣室を備えた大きなトラックのようなものが大挙してやってくる。そういう人達かなと思いきや、そうでもない感じだった。そういう人達は、独特にきびきびした感じで、割にたばこを吸ってうろうろ、という感じでもないし、車の中が時々見えたけど、生活感があることはなかった。

そういうメディア関係の人達ではないのはわかった。観光客、なのかなんなのかはよくわからなかったが、キャンピングカーの人達は、春から夏の間にだいたい大挙してきて、一度いなくなって、晩夏にやって来るのがパターンのような気がした。

一度、連れと日本食スーパーに歩いて行ったとき、この道を通った。「キャンピングカーの人達、結構夏の間いるのよね」と言ったら、「何者かお前知ってるか?」と言われた。「知らない」と言ったら、「トラベラーだよ」と言われ、その単語の意味もよくわからなかった。そのうち連れの話を聞いてはっきりしてきたのは、トラベラーは不定期の移動民族だという話だった。アイルランドから来ている人達が多く、百科事典などを見るとアイリッシュトラベラー

大昔、大学生のころ、初めてヨーロッパを旅行してみた、すり集団と言われるジプシーの人達みたいなもの、を想像したが、また形態が違うらしい。そしてジプシーと呼ばれたヨーロッパにいた人達は、どちらかというと、色の浅黒い細身の民族で、トラベラーの人達とは顔も形も全然違うのであった。彼らもよくイギリスでも見かける。今はロマと呼ばれているのか、繁華街にいて大きなかごを手にぶら下げて、花を売りつけたりしている。

トラベラーという人達、そして形態はよくわかった。そのあとしばらくして、私の家の近所でとんでもないことが起こった。

家の近所に昔、車の教習所があった。日本のような教習所ではなく、どちらかというとオートバイやトラック、の操作を指導する場所、そして、免許のテストセンターを代行していた。が、テストセンターは割に家の近所にもう一つあり、近所のテストセンターはそこに統合することになった。そして、バイクやトラックの操作指導はやめてしまい、教習所はだだっひろいコンクリのグラウンドがそのまま打ち捨てられていた。建物に入る入口の右側にプレハブのような建物があり、そこは事務所だったという話だった。事務所は何かの関係で、空き部屋をカフェや、ケバブ屋として貸し出していて、夜はビルの中にカフェやケバブ屋の明かりがぽつんぽつんとともっていた。ただし、プレハブに入っていく客は稀で、ゲバブ屋もカフェもやったりやっていなかったり、なんだかよくわからない建物になっていた。

夏のある日だった。入口からテストセンターのコンクリのグラウンドに普段は結界が結んであって、中には入れないようになっていた。グラウンドの入口には、チェーンがあって、そのチェーンは何重にもなっていて、チェーンを束ねている鍵も3個か4個くらいくっついてた。

テストセンターの入口に白いバンが止まり、のこぎりでチェーンを切っているのが見えた。チェーンを切っている間に、キャンピングカーがあちこちから現れ、列をなしていた。そして、チェーンが切れた。チェーンをどかしてから、キャンピングカーがどんどん、テストセンターに入っていった。

30台くらいのキャンピングカーだった。その車がどんどん入っていって、そして、車が止まると、キャンピングカーから人が出てきた。若い女性、赤ちゃん、子供、若い男性、お年寄り、いろいろな年齢層の人達がわっと出てきて、その辺うろうろしながら立ち話をしているのが見えた。

私も野次馬と一緒にその光景を見ていたが、周囲の人の雰囲気がただならなかった。「えらいことになったぞ」「家の外に金目のもの出したらイケナイよ」「インターホンが鳴っても、外に出ちゃだめだ。何か言われてもいりませんって言え」などと人に言われて家に帰った。

そのあと、サッカーをパブに見に行こうとして外出しようとしたら、連れが家まで迎えに来るという。「トラベラーがうろうろしてるから危ないから、彼らがいなくなるまではしばらく送り迎えするから」と言われた。

人によっては、彼らを昔の呼称、ジプシーと呼ぶ人達もいたし、アイルランドにルーツがある人達は、トラベラーと呼ばず、「ティンカー」「パイキー」などと呼んでいた。ティンカーは鋳掛屋という意味で、彼らがよくやっている職業であるから差別的な呼び方にはならないが、パイキーという言い方はあまり好ましいいい方ではないらしかった。

害があるのか、ないのかはその時はよくわからなかったが、彼らがテストセンターに到着後、すぐに近所の「天の川」というサンドイッチ屋が被害にあった。サンドイッチを15人前注文があったが、作って取りに来た人に出したところ、お金を払わずに逃げたという。天の川の若いコックが追っかけて行ったら、テストセンターに入っていったという。コックはそこまで追いかけようとしたが、入口に一応トラベラーの見張りみたいなのがいて「入ってくるな」と追い返されたという。

この話が、フェイスブックに登録してあるネイバーフッドグループに投稿され、それからどんどんこの手の話が投稿されるようになった。ロンドン市でやっている時間貸しの自転車のバーコードをのこぎりでカットして、ロックを外して自転車に乗ってどこかへ消えて行った、という話。店先に置いていた箒やバケツを全部持って行かれた金物屋の話、トレイごとパン屋から菓子パンを持って行った話、置き配の荷物をかっさらって行った話、屋根に穴が空いているから直した方がいいと言って人の家に上がり込んでなかなか帰らなかった話、人の家に上がり込んで金目のものを持って行った話、しばらくそんな話ばっかり聞くようになった。食い逃げにあった天の川には義援金を贈ろうという話になって、近隣の人たちが、天の川に寄付したという話もあった。

極めつけは、一般家庭を訪れて、「ごみを代行して捨てます。」といってごみを回収してお金をもらい、ごみ自体はテストセンターの片隅に捨てていた。そのうち、テストセンターから悪臭が漂ってくるようになった。

不法侵入で勝手に居座っているわけだから、普通に強制的に国家権力がどかすこともできるのでは、と思っていたが、なんだかテストセンターの権利問題だの、この手の伝統的な移動型ライフスタイルの人達の人権問題だのなんだのがあるらしく、簡単にはどかすことはできないらしかった。

そうやってもたもたしている間に、テストセンターの片隅に積んである不法投棄されたごみは小山のようになり、ハエがたかっていた。キャンピングカーは相変わらず停車しており、おしめだけした赤ん坊がうろうろしている姿がたまに見えた。

そして、ある朝にまとまってキャンピングカーがいなくなった。たくさんのごみだけ残して。頭がいたいのはテストセンターの権利を持っている地主の人達であった。ゴミは打ち捨てられ、トラベラーの人達の生活ごみをあっちこっちにあった。

さすがに、テストセンターを管理している管財人や、管理人、管理会社の不手際でトラベラーズが不法侵入してきてしまい、結果こうなったという話になり、その話合いが落ち着かない限りはごみの処理もできないらしかった。話し合いが落ち着き、保険をかけていたらしく部分的には保険がきいたという噂話を聞いたが、その保険金でごみの処理をし、チェーンだけかけていたグラウンドの入口は、大きなトタンの扉をつけ、重りをつけて厳重にロックされるようになった。そして、プレハブの一階には警備員が常駐するようになった。昼間は警備員はいなかったが、夜の7時くらいから2交代で朝の10時くらいまで警備員がいた。トラベラーズへの対策だけで雇われていたから、どちらかというと、差し迫った感じではなく、ゆるーい感じの警備員で、冬の夜はカップラーメンなどを食べているのがプレハブのガラスから見えた。

それからは、テストセンターにトラベラーズは来なかった。コロナのロックダウン明けの夏ごろに、一度、公園の大きな道路にキャンピングカーを止めていた集団を見たが、それきり、私は全く見かけなかった。

話は飛んで飛んで、先週の土曜の夜、私はパットのパブで連れとチャンピオンズリーグ決勝を見ていた。私と連れは5時からゲーリックフットボールを観戦し、ダブルヘッダーで二試合目、かなり疲れていた。そして、夜の8時開始なのに、試合は会場の不手際か何かで遅れに遅れ、始まる気配がなかった。パブにはどんどんどんどん人が入ってきて、カウンターに人が十重二十重になっていた。

その中に若い小柄の男2人組とその連れらしい、かなり濃い化粧で寝間着のようなだらしのない恰好をして、ルイビトンのネバフルのあきらかな偽物を持った、ビーチサンダルを引っ掛けた女性が3人後ろからくっついて来た。カウンターの注文をさばいていたパットがものすごい大きな声で「お前ら」みたいなことを言って、その若い男を捕まえようとカウンターから出てきた。そして大きな声で「お前らに出すビールはない、出ていけ」と怒鳴り始め、パブはいきなりしらけてしまった。若い男は何か言い返したが、パットは「オレが怒ってる理由はお前らわかってるはずだ。さっさとここから出ていて、あとから来て奥の席に入っていった女たちも出ていけ」とどなりまくり、とにかく若い男と女のグループを追い出すのに躍起になっていた。

私はなぜパットがそんなに怒鳴っているのかがわからなかったが、すぐに誰かが小声で「パイキー」と言い出し、わかった。確かに女性はいつも化粧が濃い割にはスウェットのような寝間着にピンクや黄色といった派手なビーチサンダルを履いてるのを見ている。そして、男性はパリっとした恰好をしていたが、大体みんな話し方ですぐにその筋だとわかるらしい。

奥の方に入っていった女性たちは、ナタリーが一生懸命クラフトで作ったキャンドル立をパクッて行ったという。体調が悪くて家に閉じこもっているナタリーは1ポンドショップで材料を調達して、キャンドル立やら押し花などをして額装をしたものを作ってパブに飾っていた。下手くそではなく、できはよかったので、パクられたのだろう。彼らの典型的な手で、忙しいときに店にやってきて、男どもは店員を引き付け相手をして、女のコがどんどん店の奥などに入って行って適当に物色してものを持ち帰るらしい。チャンピオンリーグを見たくてパブにやってきた人達でごったがえしているパブは、ターゲットとしてもってこいのようだった。

今度は彼らはどこにいるの?という話であるが、近所のカソリックの小学校に、修道院の寮が併設されていた。修道士がロンドンに来て神学などを勉強したり、神学を専攻している留学生などに貸し出しをしていたらしいが、修道士も神学専攻する人もだいぶ減ったようで、その寮とグラウンドを壊すだかなんだかで、無人になっているところに現在居座っているらしかった。最近のネイバーフッドグループの掲示板でもしょっちゅう「夜中うるさい」とか、夜中にグループで行動している若い人達がいて不気味だみたいなことを書かれていた。

それにしてもよくそういう場所を見つけてくるよな、という感じである。そして、日本では考えられないような生活や生活様式を持った人達がいて、その人達がなんだかんだいってローカルに根差していて、そういう人達もいるというのをみんなある程度わかっていて、受け入れて生活をしているのだなと感心することしきりである。いるという話はなんとなく聞いていたのであれだが、実際に見るのとでは全然違うものだなと思う。本当に世の中いろんな人達がいるものである。






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