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唇がつりそう

人が集まっている場所に行くと、唇にぎゅっと力を入れて引き締める癖がある。
引き締めると聞くと、唇を口の中に思いっきり巻き込んで鼻の下が伸びたドヤ顔が思い浮かぶけど、自分の場合は、顔面における唇の主張を程よく薄く見せるような調節をしており、口周りの表情筋を毎日こわばらせながら地下鉄をやりすごす。
格別、自分の唇が厚いというコンプレックスがある訳ではない。鏡の前で顔を無意識にキリッとさせる現象があるが、それが常に出てしまっているのだと思う。


親から聞いた話だと、昔、マーライオンの如く、口が開きっぱなしの子供で「お口ポカン」「口唇閉鎖不全症」と呼ばれる症状が見られていたらしい。だがマーライオン系男児は、そこまで珍しくもなく周りにも居たので何も施すことはなかった。 

その後、小学生の時に歯科矯正をさせてもらった事でお口ポカン度は改善されていき、問題は解消されていったが矯正は嫌な思い出ばかりだ。


当時、自分は、歯並びの列を強制的に変えるから「歯科強制」という漢字だと勘違いしていて、そういう不自由なイメージ踏まえて嫌いだった。歯医者で矯正の強度を強くされた次の日は、歯に物が触れるだけで激痛が走る。
ある日、給食にうどんが出たのだが、すすれないので一本一本、丁寧に口に運んでいたら向かいの女子に笑われた事もある。美しい歯並びはそういった苦労の末に手に入るのだ。


矯正が外れて少し経った後、改めてわかった。自分は、気を抜くと口が開く。唇を踏ん張らせないと口を閉じている状態を保てない。そうすると歯と口の隙間が無くなり、口がカラッカラに乾いてしまう。
唇をギュッとする癖を直さない限りは、これが続くので今、唇の在り方を模索している。

唇含め、どう在るべきかを求めて「自分を受け入れるスヌーピー」という禅の言葉とそれに関連するスヌーピーの漫画が差し込まれた本を読んでみた。
印象に残った言葉は幾つかあるが唇に関する禅語は一つもなかった。
それでも「ありのままの自分を受け入れ愛する」という事をこの本は、おざなりに表しておらず、卑屈が何もいい事がないことを何度も伝えていた。


全身の力を抜いて口を開けながら歩くと、吹く風が久々に心地良く感じ、自分の口ばかりじゃなくて、もっと外に意識を向けようと思った。

人とすれ違う時は、また閉じたが。

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