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『愛ゎ時空を恋え』 第四話 by悟行(サトピーって読んでネ)


#創作大賞2023

             第二章 杜の都

    1 復学

 決まれば話は簡単だ。ーーメイドに‘暇’をやり、アメ車にスーツケースを2個積んだら、いざ、
 ‘杜の都・センダード’
へ。。
 勿来関を越え、緑のトンネルを抜け、、

 到着したホテルのフロントに頼んでアメ車も処分。勿論、礼はした。
 幸いフロントの兄ちゃんの1人が大のアメ車好きでV8と見るや、即寄って来た。‘1日くらい乗ってからでもいいよ。必要な書類はダッシュボードに入ってるから‘と伝えたら、その兄ちゃん勤務明け同時にGパンに履き変わると、キーを受け取り5720cc の爆音をブロロオ〜響かせて定禅寺通りの美しい樹木の中を駆け抜けていった。

 さて僕はそのまま、安上がりのホテル暮らしに。(さあここで、何でホテルが安いなんて訊かないでネ。そらそーだよねって、すぐピンとくる人は、いずれ昇れる人です。ぁ、もう頂上⁉️イヤ失礼。。だって考えてもみてよ。メイド3交代+オフ分で4人雇うって大変よ。ホテルなら24 時間対応でシーツはいつもピカピカ。ウチだとシーツをメイドにランドリーへ持ってかせて+クリーニング代。家で洗わせるにしても、水・洗剤・人件費α。
 それに、街中のホテルなら東京で割りのいいバイトがあれば週末すぐ行き易い。実際土日の高額カテキョーだけで大卒の初任給以上になったのだから、運賃差引いても十分ワリがあった。

 何よりもホテルにいると、勉強に専念できたし、勿論部活もよ。定宿を4Fの角部屋にしてもらって、センダードの有名な通りの木々の梢、葉の多く目に入るとても気持ちの良い窓辺の高さ。ホテルカウンターの人とはツーカーになり、極力同じ部屋に居られるよう手配してもらえた。
 だから週末に、僕のスーツケース2つは、いつもフロントにあったはずだ。その都度僕は、花の東京にいたのだから。

 8階建てであるにも関わらず、特に最上階ではなく4Fをキープしてもらっていたのは、僕的に見映え・最も美しい眺望が得られたからだ。お陰で、有名な12月の‘光のページェント’は、毎夜窓辺は、まるで銀河団の只中にいるような夢見心地に浸れる光景だった。
 そんな時、バカに眩しいなあ、とへやの奥に居ても感じるほどの光の騒ぎに窓外を見ると、斜め下方に、ななんとチカちゃんがいるでは。。チカ©️とは言わずと知れた超有名ファッション誌‘80 年代の元カバーガールの賀来千香子お姉さまのこと。流石モデルさんとあって、ドラマの撮影であろうと光量を気にして定位置に直立不動で1時間近くも突っ立ってたのですよ。(すぐ退いちゃって脇でスパスパやんのもいてるよネ。)ーーシーンは、そこを知合いの布施君が通り掛かりに’よお’だけの話なんすけどね。
 このドラマ‘さしすせそ’と‘かきくけこ’が主役で、翌春 ON AIR になった。勿論‘かきくけこ’ってチカ©️のこと。

 でな、その心地良い眺めの中で、テニス部のメンツが来て酒盛り。戸永とあと2人来てた。4人で乾杯、のわけが実はこの日僕はデートで、彼らをロビーに15分ほど待たせてしまった、スンマソーん❗️勿論お詫びに旨んまい寿司を買ってきて歓待、やっと4人で祝盃❗️と相成った。

 その時彼らに訊かれて話したことなんだけど→今日のデートに纏わる周辺事情の多分センダード的お話。さっきまで僕は、◯マハ音楽教室という所で、予約してあったガラス張りの防音室で‘ピアノデート’をしていたのだけど。でそもそも、そこって週4日位つまり平日はほぼ毎日、1コマ30 分枠を1〜3枠ほどを予約していた僕なのです。当然、受付にはよく寄るわけデスよ。そこで、いい先生を紹介して頂き、そちらへも週1ペースでレッスンに通っていたのですが、そこがまた素晴らしい環境だったのです。ーーセンダードの街を横断する広い川の絶壁の真上に聳え立つ邸宅が、個人の音楽教室になっているというロケーションも去ることながら、美しい山側の玄関付近まで青葉山の樹木や土の散歩道がそこまで迫り、やもうよく見る有名なドイツの作曲家の散歩道そのものなのです。
    

                  (先生👩‍🏫邸宅前まで続く美しい小径)


 僕は、早くに到着しちゃいそうな時は、5分でも10分でも、そのハイリンゲンシュタットの森のような小径をスルッと通り抜けて時間調整するのが大好きになってしまい、

 落ち葉を踏むときも散歩の伴奏音を堪能し・雨の日はひたひた流れていく雨水はそのまま飲めるのではないかと思えるほど清澄に透き通っていた。とにかくカルチャーショックだった。・・僕の心の中で、きっと昭和30年代の東京西郊の風景が甦って重なっていたのかもしれない。

 そのような思いで時間調整をして森の小径から戻ると、先生のお宅の広い庭では、いつも決まって小学校低学年だろう娘さんが、ピンクのTシャツに G ンズの短パン姿で縄跳びをして遊んでいた。遠い門に僕を認めると、娘さんはダアーッとでも静かにドアの中に消えていく。要するに、

  クレーブの奥方に来訪者の有無を伝えるベルガール

を毎回やっていた、ということかな❓
 
 明るい吹抜けの玄関から薄暗い廊下を伝って川側の音楽室に入ると、上部がホーン付きの巨大JBLスピーカーが左右に鎮座し、中央にグランドピアノを配し、極めつけはカーテン越しに薄っすら浮び上がる‘杜の都’・・
 午後の日盛りの日を浴びた街の全景が燦然と輝いている美しさといったら❗️それに、何度かレッスンを経るうちに気づいて見つめた広い部屋の隅々の壁の棚に並んでいる、これでもかというほどの音楽グッズ。胡桃割り人形の置き物や凡ゆる種類の音叉、年代物の楽譜や子ども用と言うかもう使わなくなったのだろう幼児用のバイオリンなどなど。ーーそう言えばセンダードって、チャイコフスキーコンクールの何かの大会が何年か置きにあったよネ。それに、ショパンコンクール入賞者のピアニストもいるし、ハープ奏者Dr. の女の子もいたっけ❓❓

 ところで更によくよく眺めると、真空管アンプなんかも光ってて、てことは現役使用ってことだよネ❣️うーむ、この光景って、かつての中野‘クラシック’とか転じた高円寺‘ルネッサンス’を想起する。。クラシックのママさんは、僕の顔を見るといつも、‘モーツァルトの P コン20 番’ をリクエストする前に、サッとかけてくれちゃう。そこで目が合うと、お互いニコッとしたのが懐かしく想い出される。今は亡き人。。
 だもんで、この個人教室をそれこそ主婦が片手間にやっている音楽教室の1つと思って行った日にゃ、あっっと驚く腰を抜かすシッチュエーションだヮ。それにしても兎にも角にも、あの縄跳びの娘さんのように、僕にはどこへ行っても何故か巫女さんが付き纏うようだ。
 後々ある職場で‘神様’というニックネームがついてしまったのと丁度対(セット)になっているのかもしれない。
 
 さて、その素晴らしい先生を紹介してくれた大手音楽教室というのは、センダードの中心部にあり、当然ながら定宿にしているホテルからも目と鼻の先にあった。週4位 防音ルームを予約するので、どうしても受付の姉ちゃんとも口をきく機会が多くなる。‘ローカル’の人というのは何でも根掘り葉掘り聞きたがるらしいのだが、この街は大都会でもなく、といって田舎でもない。なので、ネホリンハホリンの2分の1、‘根掘りだけ’位、なのだがある時受付の姉©️、この人アナウンサーの誰かにチョイ似のつまりは割とイケてる人なのに、毎日のように翌日の予約をして帰る僕を不審に思ったままに、

『ピアノを置いてないんですか❓』

と、驚くほど単刀直入にキレイなアナウンサーボイスで質問してくるではないか⁉️東京的には“余計なお世話”なのだが、そこはホレ、僕も人が良いので、顔を一瞬しかめつつも、心良く、

「ええ。こっちにいる時はホテル暮らしなので」

と真正直に回答した。するとそのお姉さんは、更に不可解感を強めたように、


  ‘う⁉️’


というカンジ・睨みをきかすじゃアーリませんか⁉️だったら、

『仕事か何かでいらしてるんですか❓』

と、フツーなら訊いてもよさそうなものだが、いつも防音レッスンルームの予約が昼下がりの3時とか4時とあっては、彼女の常識の枠から考えてみるとそーゆー‘Q’ は思い浮かばなかったのだろうね。もし訊いたとして、僕が、

 “いえ、学生なんデス🧑‍🎓”

などと答えようものなら、お姉さんパンク❗️アッタマ停学しちゃうに決まってらあ。。だもんだから、話はそこで終わったのだが、今日‘異変’が❗️・・

 女の子と2人でガラス張りの中でピアノデートしている僕を見つけた受付嬢ときたら、ガラリと態度が変わったのだ。ぼくは、‘ヘンな人’ではなくなったらしい、あくまでも彼女の狭小な脳裡における分類上 。。けどそもそも、よくよく予約を入れてくれるお客様をヘンに見ること自体ヘンなんじゃ⁉️だよネ。まァちょっとキレイなお姉さんを連れてきただけで、こうも豹変するって、いわゆる

 ‘女のおバカな一面’

というアレっすネ、よくアルある。ーーそれで万一不細工な娘でも連れて来ようものなら、きっと鼻先で小笑ってあしらうんだろうね。

 以前、‘島流し’になった先生から聞いた話だけど。。‘根掘り’+島嶼部の‘葉掘り’になると、

 『残高多いネ』

って、郵便局で言われるらしい❗️上には上がいる、田舎度の差‼️

 ここで質問、訊かれる前にネ、自問自答。→ “ピアノホテルは❓❓”と訊かれなかった訳。
 まだ平成に変わった頃、つまり ’90年代でしたので、ピアノ付きルームはとても珍しかった。という時代背景でして、ましてやあの娘の常識の枠的には‘Q’自体頭に浮かばなかった・・ことでしょう。兎に角あっても、おっそろしく高額なスィートルームのみで、海外アーティストの誰それが泊まったとか東スポ的な捉え方しか皆さんしなかったのです。今でこそピアノがあるホテルはザラですけど。

 しかしザラと言っても、両極端な価格帯なんですよ、これが。ーーこーゆー状況、ピアノやクルマのことに関すると、途端に

  “オ〜ボンビージャパン❗️”

てつい言いたくなくなくないっ⁉️
 現状では、池袋界隈のピアノホテルは、音大受験用の用途もあったりで、超リーズナブル過ぎて狭い。も〜う少しでもゆったり感有りたくないっすかね❓で西新宿のピアノホテルはというとです。超豪華、過ぎてコレじゃ池袋の1ヶ月滞在分でも1泊半しか出来ぬワ。バカげた両極端な設定。これ、フツーにピアノを日常的に弾く生活感覚の欠如ーーボンビージャパンを感じる。。だって、、
 
 アジアを旅した時、泊めてくれた友人宅は、メトロポリタンマニラシティ・エアポートから15分程の便利な所なのに、けっこう自然豊かで、1週間いる間に僕には家のメイドのひとりをつけてくれて、朝食時にはご主人様がいつもピアノを奏でてくださってもてなしてくれた。しかも、これリッチでもなんでもない、只の銀行のタイピスト。今ならパソコン専門の係・IT職みたいな仕事だろうし、上級行員というわけでもない。

 こーゆーフツーの家で、朝からピアノをフツーに弾き、オフィスまではクルマかジープニーで出掛ける。日本に、こんな程度の家で、こんな風景ってなくなくないっ❓❓よほど向こうは豊かな生活をしている。なのに日本が援助を与える。アンタ他人の援助なんてしてる場合じゃなか⁉️んだから‘兎小屋’ってゆあれるんだよ。オーボンビージャパン❗️
 まぁ、唯一そんなことない点を見つけるとしたら、僕に付いたメイドさんの歳だろうね。。彼女、日本の小6だった。仲良く打ち解けて、帰国するという朝には、僕が身に付けていたネックレスを彼女の首元に掛けてあげ、頬にキスをした。ーー彼女は泣いていた。でも涙を拭ってちゃんと見送ってくれた。アジア系のやや浅黒い、サンバーンな肌にセミロングなヘア。伸びきった G パンの足は凄いスリムだった。勿論、首元にはゴールドのネックレスが輝いていて。
 
 白い T シャツから出る細い腕を振っていた少女のことは今も忘れられるものではない。学校行ってなかったわけだし、いったいどんな人生を送ってるのか、とかとか時々思い出された。

 ピアノホテルの話だった。
 いつも通りの日常を送るための宿泊施設としては新宿の高層ホテルはいかがなものかと。一方、池袋方面にあるリーズナブルなのは、何しろ狭い。つまり、日本のピアノホテルって、ピンかキリのみ❗️
 程良い広さで、許容の範囲の‘やや高額’という程度の‘フツーの設定’という概念がゼロ‼️ all オア nothing❗️… … ボンビージャパンさん、そこんとこ、もうチョット考え方変えておくんなましよ。

 ーーでそう、‘光のページェント’の時の、そもそも話だったんだワ。ウチラ部活の連中が、銀河団の中にいるような僕の部屋で酒盛り❗️ーーで、その時僕が、ページェントの光りの中へ‘トイレットペーパー’を投げようとしたら、友・ゴッツぃ戸永君が必死に懇願、

「ヒッP先輩、やめてください❗️お願いです、明日の河北(センダード地方紙‘カホク’)の一面飾っちゃいますよ❗️“医学生ページェントで暴れる‼️”って」

 ーーあんまり彼の引き吊った⊂((・x・))⊃顔が可笑し過ぎて、力が抜け、ペーパーは室内に転がり落ちた。

  コトトトーン

と壁まで直進し勢いよく跳ね返ったかと思うと、上手い具合にロールは立ち上がって少し揺れつつ直立不動に停止した。ま、事無きを得た訳だけど、全く❗️体育会ってえのは何を考えつくかわからんねっ‼️ ジツゎ、

 実は自分、小・中・高・大ずっと文化部系だった。今回、2度目の大学で初の体育会系、お陰でチッター心が広くなったよ。何がって、いろいろ。ホレ、世の中こんなんでよかったんだァ、つか単純サッパリ、オッケー❣️まぁ学校生活でのいろいろな絆や情報網やストリップ学割😅えへへそれに勿論、運動そのものからもたらされる‘内因性オピオイド’による快感とかもネ。

 それこそ、今まで‘バカ’に見えていたものが、実は濃い意味があることなのだと知ったわけよな。さらにーー

 10年離れてる間に学内で画期的に変わったことが1つあった。それは、いわゆる

  “文芸学科”

が出現していたこと❗️

 これは、文学部とか文学科とは全く違う、芸術学部や創作学科という話だ。これより四半世紀以上も前から、アメリカの大学には当たり前に存在していて、いつも言われていたーー

  “なぜ日本では川端康成や谷崎潤一郎が教壇に立って直接学生に文章指導しないんだろうか❓”

 って。アメリカでは、多くの作家の副業にもなっていたのに。
 遅ればせながら、日本国内ではまず、私立大学においてそれが実現した。いわゆる文学部とは別の‘文芸学科’というものだ。さらに遅れること、10年20年・・ 。お堅い官立のキャンパスに、ようやくそれらがやって来た。但し、芸術学部があまりない上、つくる気もないのか、ほとんど学部は文学部内のままで、‘創作学科モドキ’ができていた。
 ありがたい事に、その“出店”が、教養課程に張ってあって、つまり他学部の学生でも自由に受けられることになっていた。教養課程にいる2年間しか、実際的には受けにくいという難点はあったものの、これこそ僕の興味を大いにそそった。

 “既に文学の単位は足りていた、ので余剰単位ゆえ計上はできないが宜しいか❓”

と教務課で確認を求められた。勿論ニッコリオッケー。さすが官立、受講料を余分に徴収したりしないのは、尚有り難いではないか⁉️というのも、私立では追試ごとに超過料金取ることを最近知って驚く僕って、もしかしてノホホン過ぎだったかも❓❓
 さて、その講座は

 “国語表現論”

 というなんとも奇妙な、アンキャッチーな命名だったし、且つ分かりにくい。講座紹介の説明を読んで、ホントかな⁇と思いながら出てみて、やっと、

 『短編小説を実際に書く実戦的講座』

と知った。ーー教室は、満席だった。やはり画期的な講座って思ったのは、僕だけじゃなかった❗️兎に角スゴい人気で、ほぼ全学部から万遍なく集客状態❗️それがゴールデン・ウィークすぎても減らないどころか、1月になるまでほぼ満席を維持、驚異的人気だった。まさに教養課程の‘あり得へん光景⁉️‘

 で、いよいよの第1回目の実践書きのお題は‘ふるさと’だった。90分で提出し、翌週までに教授が‘優秀賞’ 2作を選び、みんなで‘酷評’‘絶賛’する。ーー全員にコピーが渡された。ぼくの‘フルサト・トキオ’と誰かの何かの作品が第1回の俎上に挙げられていた。
 80人全員が1人1分で批評する。
 ボロクソな酷評もあったり🤭ソレも又吉、有り難く参考にし、またある女子学生によると、


 『すでに文章のカラーが確立されていて哲学的な面もある感じする』


と言われたのが妙に印象に残っている。
 しかしそれにしても教室は、スッゴ熱気でムンムン大混雑で声以外、姿・形もわからずに、どの学部の方かもわからなかったが、いずれにしろ、なんらかの志をもって‘杜の都’にやって来ていた娘に違いなかった。旧制一高二高三高の流れを汲むセンダードでも、京大・東大同様、地元の割合はさほど多くなく、全国から万遍なく若者が集まるところなのだから。

 ーーそしてもっのスゴく重要なこと1つ。この、日本の‘遅ればせ新学科’からは、未だ結果が出ていない❗️・・何のことかって❓ だって川端さんや健ちゃん(大江)は、こーゆー学科なかったんだから大学で文章指導受けてない。

 ま、健ちゃんは、銀杏並木賞という学園祭絡みの大学の賞でデビューしたとはいえ、講座があったわけじゃない。それって“ミス・コン”と似てなくない⁉️あ、Tスポ的⁉︎
 さて、なんか石原慎太郎的世界になってきちゃったなぁ。何がって、今回の復学での、‘初体育会系’と‘文芸学科’という話の不協結合がさ。。

 あ〜学生時代は時間経つの、はっや❗️’あっ’という暇もないくらい早くて。・・死ぬ奴もなっ。。

     2

 などと言ってるうちに、いつのまにか迎えていた‘解剖学講座’
 ーー毎日、午後1時から2時半ごろまで、その日に観ることになる部位についての教授講義・座学。休憩を入れ、3時までには4人グループ毎に‘いき’が合ったところから入室し、ご遺体に向かい合掌してからメスを握る。終了時も、必ず4名で揃って合掌する。たとえ途中抜けていても終わりが大事❗️絶対揃い合掌=最低限の礼儀・良心か。
 5時ごろ首尾良く終了できた組もあれば、7時過ぎても‘何々神経’が見つからないとか‘ライへ’(死体・献体・検体とも)に張りついてるところもある。ーー夜8時ともなると腹減るけど、といって脂肪が炒り卵に見え臀部(でんぶ)の筋肉がヒレステーキそっくりに見えても、かえってキモくて逆に食欲減退⁉️あ、チャップリンの‘黄金狂’だっけ❓相棒が雌鶏に見えちゃう描写あったけど、あれあんま笑えないかも。
 ・・そんな疲れきってライへ(死体)を見てるとき、つい‘老化’って何❓って考えてしまう。疲れに疲れ果てて、遂に打切って扉を開ける。。そこには、


 それこそ白く長い‘廊下’がずぅっと広がっていたさ。

 で、舌の講義の日。

  舌の神経は2本あり、
  1本は耳の神経と合流・一体となって
  脳まで行く!

と。そしてその

 理由は❓
 “神のみぞ知る❗️”

と教授の弁。僕には、この時の“神のみぞ”とまで強調された
不思議構造が、超〜気になった。その日から丸々3年近くというもの、僕には何故かこの事がずっと気になって仕方がなかった。
 まァそれはそれとしてだ、2ヶ月間にも及んだ大作業・人体解剖が一段落すると、桶に大切に薬液漬け保管されていた‘脳みそ’の解剖に移る。

 机上に置かれ、生まれて初めて間近に見た‘それ’、名探偵ポアロが言うような灰色がかった‘それ’は、正直言って茹で上がったばかりのプヨプヨのカリフラワーに見えなくもない。が包丁、いやメスを入れると今度は断面、マッシュルームに❗️で、見えているスライスが、運動野とか視覚野に当たるとかを丹念に解剖書と照らし合わせて確認していくこと1ヶ月。
 計3ヶ月で肉体のマクロの解剖学が終了し。ーーこの後は、更にミクロの世界、顕微鏡解剖に移り、そっから派生する組織学ダァ病理学ダァと、肅々2、3年間これらが続くことになる。(この点こそが、Dr.と名のつく医歯学科とその他のパラメディカルな学科との、カリキュラムの大きな違いということでもあろう。)

 この顕微解剖は、つまりは健全細胞を観る“組織学”とご病気の細胞を見る“病理学”との2つデスが、顕微スケッチの色相は、120 色入レベル。ーー大量の好中球や異核細胞の入り乱れる病変部の細胞組織の、

  “よく似て非なるもの同士“

の色合いを考慮した病理解剖専用の色鉛筆セット、というものがちょっとお高いけど大学生協に並んでる。目にする色相の事情を掴まずに、うっかりそこら辺の文房具屋でフツーの24色入りとか買っちゃったら、まァ単位落としは目に見えている。ーー粉は粉屋に聞け❗️・・みんなも、そこら辺のタコ親爺やロクでもない先生に人生相談してトンだ回り道喰らった経験ないだろうか⁉️


  病理といえば、医療もの・刑事ものドラマも、あの手この手を見つけて無理やり感否めないけど、そんな中、病理ものってあったよネ。で思うんだけど、こうだからああだって当てるだけじゃなく、根本的なこと言って欲しいワァ。それはネ、あるT大学附属病院のナースさんが、残念ながら自ら人生終えた検体を観たとき思った。肝臓や腎臓の細胞の悲惨なこと。パーン、と脂肪化してしまってて、これもし助かってもほぼそのまんま。皮膚のケロイドとかのように。よく考えて欲しい。卵焼き、元へ戻れない。人間の体はタンパク質。今のところ、タンパク変成は不可逆的。・・喧嘩する時は、後戻り可能な軽目の一発くらいにしたほうがいいってこと。タンパク変成を起こすような毒とかだと、一生憎まれるってこと。仲直りできまい。悪かったじゃ済まない。小学生の時に喧嘩した‘ハセスン’とは‘テルミックン’というレフリーがいたお陰で、2回の喧嘩でお互い1発づつの1対1で終えたからか、卒後も会っても、“やあ元気❓”で済んでる。で、そのナースさんな、消毒用クレゾールだか飲んじゃったんだって。細胞が変成しちゃうと取り返しがつかないことを、小学生からよくよく実感を持たせて覚えさせることだヨネ。そこら辺考えんと、してからじゃ遅いんよ。‘卵焼き’・・肝に銘じる可し❗️
 さて、・・
 
 5年次になり。杜(センダード)の帝国大学には独特の伝統的教育があった。それは、6年次の登院(付属病院での実習)に入る前、5年次2学期中の毎日午後を、大学院研究室へ出向する❗️という20 年来の習慣があった。ーー生化、生理、病理学他何でも好きなところへ行ける。

 僕は、迷わず‘解剖学’を希望した。恵まれたことに、もう一度‘解剖’ができる❗️私大じゃ3年次の正規の解剖でさえ8人とかが1班で、留年生配された日にゃ10人で一体を、と聞く。ウチラ、正規授業が4人で一体、しかも今回3人で❗️且つ、‘蟹食いザル’とかも比較や写真録り技術向上の為、供されたのだから、も〜う驚異的環境‼️
 考えて見りゃウチラ5年次って、四大だと5年目は大学院1年、つまりマスター(院生)の中では1番下っ端に当る。

  “似たように煮たさ❗️”

 ぁ、名物‘芋煮’の話。。
 実ゎデス、研究タケナワの10月には‘芋煮’が研究室毎にありまして、当然準備は‘下っ端’。つまり、5年次のウチラって立場上、大学院1年という新入りと同等待遇につき、下っ端=ウチラ❗️なので、事情は全く飲み込めないけど、研究室のベテランの助手の兄ちゃんから、

 「その件(芋煮)なら学生課へ行くといい❣️」

とゆあれ❗️そもそもなんで芋が学生課⁉️・・教務課とか学生課っつうのは大方、成績証明書やら在学証明書・学割などの書類を受け取る所なんじゃないんすか❓❓

  ーーしかし助手兄ちゃんに言われた通り学生課に行って、尚且つ、訳わかってないので言われた通りの言葉まんま、

 「すいません、イモニの件なんですけど、ココって聞いたんですけど。」

と言い終わらないうちに、まるで頼んでおいた旅行に間に合うための学割ならとっくに降りてるよ!みたいに、サッと奥へ引いたと思ったら、当たり前だけどちゃんとスーツにタイのジェントルマン事務長代理さんは、奥でしゃがみ込むや否や、

 “うっちゃり‼️”

というカンジで、アダムスキー型 UFO をさらうが如くウチラに向けて斜め上方からスワァァッと銀色の物体を、各種証明書交付窓口の横長のカウンターまで一気に飛行させたのである❗️どやっ‼️・・ホントに“その件なら”の言う通り、学生課窓口から‘大鍋’が出てきたよぉ。。で一言、

 「一応、洗ってかえしてネ❗️」

 と先方は、超手慣れたカンジ。ナノだが、ウチラ関東人にはも〜〜うコレだけで笑けたケタタァ❗️ドワワワァ〜 。。可笑しすぎて笑い足りないの、いったい誰にぶつけたらいいんだろっ❓❓地元の当り前がウチラにとっては奇想天外。


 どんなん冷やかな目線浴びよが、この場面、何度思い出してもおかし過ぎ、ウチラ新米5年生は、受け取った大鍋抱えて腹抱え、広い川の近くへとテクテクテックテククく。。

 八幡様を過ぎた辺りを左折すれば河岸がある。その河岸は、そうだな丁度、白川が鴨川に注ぐような地点・三条河原みたいなとこ。そしてここも、白川のような小さな川が国見という丘から流れ落ち来て。じつは、この小さな川のすぐ上流にある水車小屋みたいな一軒家に、クラスの秀才が住んでて、試験前よく質問に行ったんだワ。だから、ここら辺の道、勝手知ったる勘アリスよん。
 で、河岸に向けて国道を曲がる直前、

  “芋煮❗️精肉も有‼️”

って大看板の出ている八百屋さんに寄った。
 言うまでもなく食材の刻み野菜などを買うためだ。オバちゃん、

「牛蒡・豚肉・芋の3つのうち1つでも欠けたら‘芋煮’とは言わないんだよ❗️」

と笑って講釈垂れなさる。‘なんで初心者ってわっかとぅ⁉️’

 勿論、学生課同様、鍋も貸してるそうだよ。持って帰っちゃったら⁉️・・いやいや東北の人に悪い人はいない、という暗黙の大了解❗️(注、山形の芋煮はトンでもなく牛肉を使うそうだよ、山形牛だやね。)さァここで、豚肉・トーフ・葉物椎茸に腹持ち用のうどん玉もゲットして、いざカハラー(河原)へ 。

 ‘八幡宮様 一の鳥居’ 近くの話好きで明るい八百屋さんの、“楽しんできてね”の声に送られウチラ、食材・鍋・荷物抱えまたハラも抱え❓センダードM 線国道を渡り、緩やかな下り坂を少し行くと、すぐに広い川にかかる大きな橋の袂に辿り着いた。


 渡り始める直前から、右方の上流方向には、いきなり幾つもの狼煙(のろし)が青白く立ち昇っているのが目に入った。おぉぅお〜、これぞ奥州の秋❗️・・下流方向はというと、大きな岩が堰(せき)となって、幾つもの白糸櫛歯を描きつつ、斜めに昇る朝の日差しを受け飛沫(しぶき)をあげている。


 再び上流に目を戻せば、数多(あまた)立ち昇る狼煙は、広い川が左に折れて見えなくなる辺りまで続いていて、ある所には2、30人もの人がいるのだろうか、蟻の巣穴の周りのようにゴッた返してる所もあれば、真近には4、5人で大きな狼煙と鍋の回りに敷き詰めた呉座を悠々と占有しているグループもあった。いずれも、喚声が、秋風と広い川の流れに交流されて、空の高みの雲雀(ひばり)の囀(さえず)りのような心地よい音霊となって聴こえていた。

 上流側は左方から流れてくるため浸食された、土色の右岸に揺れる鮮やかなコスモス。ウチラ、橋越えていわゆる‘ピクニック広場’と呼ばれてる、左岸のだだっ広い氾濫原に降りていかねばならぬ。。と橋を渡りつつ、僕は、ある日の光景を突然思い出した。ーーきっと狼煙(のろし)のせいかもしれない。
 ココって確か、センダードの‘時代祭’で、古式床しき装束の祭列に行き合った場所だったよなぁ。アレって5年に1度だそうだから、前学生だった時かね❓そうだ古式床しきといえば、平泉への行脚中義経どのは、この河原から立ち上る狼煙を見たのだろか❓陸路なら、必ずどこかを通ったはず❗️しかも、ここの美味い酒と鍋をアオルことはできたのだろうか⁉️つまりは、奥州の秋の味覚に巡り逢えたのだろうか❓・・いやいや、首実検まである時代❗️そうは安々と顔出し河原で酒なんぞ喰らうはずネッカー川⁉️ぁ〜、などと感慨に耽るまもなく対岸に渡りつくウチラであった。

 ーーいよいよ、いよいよ小惑星のような岩石入り乱れるカハラーへ。手ェ抜くなよ❗️何しろじき、留学生のキレイなお姉さんたちもきっと現れるからに。で、肝心の酒は、

  ‘センダード利き酒会’

とかの会員様だっちゅう、水戸泉関ソックリの奴に任せたら、これが大穴っつか‘大当り’、越の何ちゅうメッチャ旨んめぇの買うてきたワァ❗️超感激。河原少し歩いて、程良い‘炉’跡、きのう辺り組んだばかりの石の囲い炉🪨を運良く見つけ、ヨッコラショーとアダムスキー型?大鍋を設(しつら)えた。
 
 火起こしも上手くいき、縄文人のように群がり、香しい大鍋煮立つ頃には、知ってたかのようにお姉さま達も到着、いざ酒盛り泡良く祝杯カンパーイ❗️舌うっとり。。で、僕がお姉様のお写真を撮ると、全然ウェルカム・ニッコリして、

 『脚がキレイだからってみんな撮りたがるのよ』

ってさ。アハッ❗️確かに❣️

 でも無理もない。雪に滑らず安定型体形が生き残ってきた北国では彼女、進化論的にも珍しい❓さすが解剖学教室、自慢には聞こえないよ。さてご機嫌の彼女は更に羽織っていたペールピンクのコートを、焚き木が熱いか、脱ぎ捨てたではありませんか。先ほどの膝下の風景だけでも十分、とシャッターを切ったのですが、今度は濃〜いピンクのミニスカが現れ、そこから透き通るような薄い茶系のストッキングが伸びほぼ生足に近い雰囲気が、生足以上に爽やか艶やかさを醸し出したのデス。これを逃す手はない❗️僕はもう1本木礼子、すかさずシャッター切りましたヨン。勿論、お礼は見てのお帰り、

「ありがとうございました❗️」

を忘れず口にしまして。
 
 ところで、彼女の名前も歳も、僕知らない。同じ研究室の遠い人、まぁこんな具合にしてるのが無難か。気がありゃ向こうから何か言ってくるから、放っとくに限る。いつもそうじゃん、あゆゆん時だってキャスでさえ。ーー言ってこなきゃ、ウェルカム雰囲気でも別に深い意味はないのよ、という無言のメッセージ❗️まぁ人生こんなモンだび 。。さそれに留学生たるや、モデルさん並みノッポリ©️ パリコレもO.K. じゃん⁉️
 ・・なんて飲み干す旨酒。案の定というか、利き酒のくせに、水戸泉関似君、一升瓶抱えて御満悦かと思いきや、酒瓶に寄っかかったまんまグー 。。こんなん誰にも運べんよ❗️とわかってたので、気を回した僕、ジツわ今朝方まだ寝てるだろう羽柴君に電話しといたんです。羽柴君というのは、普段はあまり口をきく仲でもないのだけど、どーゆーわけか同じ‘解剖学教室’を選んでるしテニスもやるし。次いでに実家もウチから近い渋谷で、そこの進学校出身だけど、その近くの(ローカルマイナー話でスンマセーン)国立で都内最難関校(僕の同じ小学校のお嬢様も行った)出身の大浜先輩の手になる素晴らしい顕微解剖スケッチ集や試験資料を、いつも羽柴君経由で回して貰ってた。で、趣味というのがクルマを集めること。なのに運転にはさほど興味がないという。こーゆーリッチ志向の羽柴君、今は仕方なくハンドル握るけど将来っつか実家帰りゃ運転手いるんだろうね。だからですよ、

 「今日さァ、ワルイけど‘乗用車’で来といてくれない❓‘スポーツ’のじゃなくて1番広いヤツ❗️」

と僕が頼むと彼、‘セダンの’と納得したらしく、

「うん、わかった。」

って淡々と応じた。いつだったかの試験中と同んなじだ。僕が、‘❓’ サインすると彼はいきなり
 ‘✌︎(チョキ)’=選択肢②
のナイスリターン笑顔。あ、いやコレ今オフレコかな❓だって彼は今、教授様になっていらっしゃるからして (⌒▽⌒)
 
 こうして、自分で選んだ旨酒ですっかり酔ってしまった‘水戸泉関ソックリ’君も、無事帰れ、ウチラ下っ端(5年次生)の役割は何とかこうにか愛でたく全うできたのです。

 酔い心地も束の間、いよいよ出向してきた解剖学教室での集大成、12月の研究発表の日となり。ーー考えてもみれ、ここまでの解剖との関わり❗️
 というのも、正規の解剖、あの3年次の1学期でのこと。大きな解剖デスクの上には、半透明のビニール袋入りの大きな宅急便みたいなものが置いてあり、それが、奥の奥まで‘10数体’あった。解剖学では、とても気の利く助教授がいて、

 『今日はお顔の布は取らないでおきましょう』

とやさしくおっしゃいました。
 だから、初日、お顔に面と向かうことなく背中の筋肉を、何層にも渡って薄く剥がしていく作業を、1枚1枚の筋肉名を確認しつつ2日間続けた。少し慣れてきたかという1週間頃合いで、ようやくお顔の布をとって対面になった。それでもみんな少しはギョッとしたわけだから、ホントに先生のお心遣いはありがたかった。
 ところでデス。この辺で、僕には1つ大きな疑問が生まれたのです。ーー兎に角、地図を見るが如く 。。高1の時だったか、ロシアの沢山の都市名を徹底的に覚えさせられる試験が何度もあった。それは無理もないことで、というのは、アジアからヨーロッパまでの広大な土地に沢山の聞き慣れない都市と産業港湾があるロシアに関しては、まずは名称と場所がだいたいでもいいから知ってないと、地理の授業が進められないからだ。先生が、‘何とかリスク’とか言うたびに、

 “どこだっけ⁉️右か左もわかんネーヤ、アレッ右ってどっちだっけ❓❓”

じゃネーよあんた、地理ってそもそも東か西でしょ⁉️ってまぁ、そんなこともありましたよね、ということを何故いま思い出したかというと、今の解剖の状況❗️まず、

 頭のてっぺんの‘頭頂骨’

 に始まり、すぐ下

 両脇の‘側頭骨’

へ行き、足先まで基本206 本を覚えたら更に、例えば側頭骨の下方の‘下顎骨(かがくこつ)’であれば、その1つの骨である下顎骨に於いて更なる名前が沢山付いている。アゴが頭に繋がってる方の下顎のてっぺん部分は‘下顎頭’といい、凹んでるとこは‘下顎切痕’とよばれる。飛んでとんで1番先っぽ口の下のところの名称は‘オトガイ結節’とまあ下顎骨だけでも20近くある。フツー

  “したあご”

としか言わない1つの骨に☠️これだけ多くの名称が付きまくり!多い骨では40もの名前が付きまとう。ので、206 本の骨名✖️40=約8000‼️項目を覚えんの⁉️ ひゃ〜〜〜ァッ❗️… … そんなことブツブツ悩んで、あの高1地理と同んなじじゃん、どうも意義わからん状態に陥っていた僕の様子に、ハタと気づく人がいた。
 隣のグループの解剖台に張り付いていた鳥橋さんだ。彼曰く、

「解剖学ってのはねぇ、一種“形態学”なんだよ。。」

って。ガーーーン!

「えっ❓ケータイっですかァ… … 」

 鳥橋さんは、ニッコリしていた。僕は、この地理みたいなこんがらがった世界に対する答えというか“応え”を得たカンジがして、それからというもの名称よりもむしろ、形や機能に注意して観るようになった。ーーもちろん名前は覚えなきゃならないんだけど。
 
 骨だけで八千項目の他、骨に付く筋肉もあるし、その中を走行する神経は当然あるし燃料ラインである血管も多数名称あるばかりか、リンパ系も入れたら・・??? だから、機能や形態に着目して、重要な要点だけを数百ヶ所絞り出すことになったわけ。
 でないとマジ、2万項目位になってしまう。だと、‘ヤマ’も当てられぬワ。ーーで、先のような気の利いた発言をする鳥橋さんは、やっぱり!というか奥州にある大学の教授になられましたね。
 それがどーゆーんか縁あったらしくて、あの羽柴君がこれから赴任することになった大学の教授だったんデス❗️つい最近届いた同窓会報に、羽柴先生が、こう書いてます。ーー

 『いやあ、赴任先に、既に教授になっている同級生がいるって何かと心強いものです❗️』

と。つまり羽柴君も、ぁ、いや今や‘羽柴教授’も僕も、鳥橋先生の一言で救われるもの・啓(ひら)ける何かがあったということですよね。
 そうデス❗️こうして僕は、‘解剖学’という生まれて初めての分野へ、前途洋々と挑んでいけたのです。これこそが、今ここ解剖学教室に5年次出向ということにも結びついた訳なのですから。

 解剖学研究室ーー周りの棚には、ネズミや小猿の骨格標本が所狭しと置かれ。隅には、人体標本もある、いる❓・・骨なので、胸部見てもわかりにくいですが、骨盤部に着目すれば、♡ハート型に大きくくり抜けていて子どもが通れるほど開けてるので、女の人だったらしい。そんな景色の広がる解剖学教室の真ん中で、出番❗️

 Q1: 目と耳の血管が少ないワケ(理由)について
 Q2: 下行する大動脈がわざわざ逆向き上方に向けて心臓を出発
   するのは何故か❓
 Q3: 舌の👅神経2つのうち1つが、なぜ耳の神経と一体となって
   脳内へ進むのか❓“神のみぞ知る”と言われた、3年次解剖学
   教授の発言の真意やいかに❓
 Q4: 先天性疾患以外の元々の人体構造上の欠陥はなぜ存在するのか❓

 さて、大動脈の件であるクウェスチョン2 については、Q2 演説中に

 “重力なんじゃ❓❓”

と声が上がり、自分も笑って、
「同じく!」
と答えた。脳へ上がる血管でなくて下行血管がいきなり下に向かっちゃ勢い強すぎるからね。で、Q1 の、目と耳に血管が少ない件は、目は景色が真っ赤んなっちゃうし、耳は血流うるさくて集音不可になりウザったい。
 血流小なるが故、目・耳は必ず‘ドクター・ストップ’に従うべし。一度血管閉塞したらアウト❗️帰らざる青春、ホラ、突発性難聴とかおっそろしい‼️でしょっ。・・人体というのは、肺とかの気・液変換型を含めて基本

 ‘水冷(血冷)2気筒’

になっている。但し、男子のアソコは、バイク様2気筒でも

 ‘空冷’

だ。 Q3 の“神のみぞ知る”の答え、我見つけたり。

 絶えざる熟考の結果、その答えは、アフリカの夜🌌にある、

と僕は、発表を続けた。それは、捕食行動に関係し、夜先方に気づかれずに仕留める為、食欲が湧くとき暗闇で耳が敏感に獲物の在りかをキャッチする必要に迫られた。

  だから、舌と耳は、一体の神経走行が形成され得た❗️そのように推論でき得る、と私は確信致しました‼️・・暫し、アッパレ感の沈黙漂う研究室。白い標本たちも只々沈黙、沈黙 。。
 すると教授、焼く前の堅焼きそばをキチンと頭上に盛ったようなポマード照かりの口からポロリ、


 「オレ、そんなこと言ったっけ❓❓」

 ーーうわああああああああ゛〜〜〜〜〜

 僕は、この時ほどズッコケたこたァなかった❗️3年次の教授の言葉、

 『神のみぞ・・・』

よりこの方、丸々2年半の歳月考え続けた、杜の都での超アカデミックな考察と研鑽の日々が、あ゛あ゛あ゛っ・・・僕がズッコケたことで、全員笑いコケて。。残りのQ4 も何も吹っ飛んで試合終了ゴング鳴り響く・・・・・

 ともあれ、こうして北の都の本格的な冬の到来は、もう真近だった。

       3

 そんな時、華やかなイエロー系のコートを靡かせてアユユがやってきた。

 ーー‘あゆゆ’というのは、勿論六本木ら辺の娘の1人(自認自称の六本木のBK(おバカ)女で、どーしてもそれを認めなかった‘キャス’とは大違いの娘)だった、あの‘あゆゆ©️’だ。
 相も変わらぬハスキーボイス、あの‘あゆゆ’に他ならず、7年ぶりだとうん⁇ 28、え゛⁉️ この前、新幹線の中でバッタリ。で、

“何してんの❓”

で僕が答えると、

“へええ゛⁉️ じゃ一度遊びに行くワァ“

と。まご挨拶かと、でもチョット聞いて欲しい事あるみたいな。。でホントに来たよぉ。・・

 色鮮やか、初冬に山吹❓❓というか、けたたましく到着するや否やお決まり、昼の

 ‘ずんだ餅’

食べて、静寂に包まれた青葉城址に2人して上り、ずんで一転、夜は折しも’ページェント‘真最中の定禅寺通りの真ん中にある’光の橋’を、浮かれて一緒に渡り(ここを一緒に渡ると結ばれるという妖しい都市伝説あるけどハヘホ)その夜は、今一流行ってないクラブに入りホロ酔ったら、おかめ寿司で特上のネタを食べ(ここってシャリの大きさがフツーの半分くらいなので旨ネタを、より集中して多く食べることができるので超ヘルシー❗️女子受け当然おほほっあゆゆメッチャにんまり状態黒皮ミニスカのやや肉付きのいい腿をカチカチ揺すって大喜び❗️)、翌日は、あら⁉️ってカンジで偶然にも2人揃って濃い茶系のコーデュロイに着替えると、の〜びりした朝に相応(ふさわ)しいブランチを食べようと、一番町横丁の山形牛を使ったホソヤの旨んまいハンバーガー(キラギラ沢山のサイフォンと🏆トロフィーが所狭しと華やかにごった返すカウンターだけの、まるでしんじくゴールデン街サイズのお店。。
 が、気が利いたことには、食後の一服されるお方のためにか、カウンター席後ろの壁際に2人掛けの🛋ソファーが用意されている。更に、隣席JKの会話によれば、
 『だってさァ、ケンタとか行っても六百円とか七百円とかしちゃうよねぇ。だからここ、コーヒー高くてもメッチャおいしいし、本物🍔バーガーが超安旨だし結局トータル変わらないから‘得’だよネ❣️』
ってやっぱJKはいつでもどこでもちゃんと計算してるよネッ。本格的ステーキ、スープもあってマジディナーにもOK、解剖でヘトヘトだった頃は月3回ゎ肉補給に通ったっすよん❗️それから、そもそもこーゆースナック喫茶っぽいカウンターにかわいいJK2人組なんて東京じゃあり得へん光景じゃん⁉️京都とかチョットお高いトンカツ屋に部活帰りのJKとか発見❣️はままあるけど。やっぱ京・センダードって面白い⁉️まァ町田辺りでも高〜いハンバーガー屋で部活🍔ミーティングやってるリッチなJKもいるにゃいるんだけっども、なんせビルの8Fとか9Fなので、なっかなか人目につか
 ‘見える化’
しにくいって事情も東京だゃネ❓)を食べたら、これ又お決まり定番超風光明媚

 ‘松島湾牡蠣鍋クルージング’

旨んま❗️カモメ伴走付きでな。塩釜神社にも寄港立ち寄り、ラストサパーは附属病院近くのコレ又定番・名物

 ‘牛タン定食’、

さっぱり麦飯・漬物に大感激。のアユユ©️の
口からポロリ、

「ねぇヒップー、こんなところでちゃんとお勉強できるのは、やっぱ六本木に住んでたから❓」


「そーゆーこと。ブンチョー(国分町)なんて’へ’でもない❗️」
「はぁっ⁉️」

 この季節外れに、しかも予想を大幅に反れて突然北上してきた熱帯性低気圧のような‘あゆゆ’がやってきて3日目の昼頃、センダード駅での見送りの時、

 「またシンカンセン🚅つまんな〜い❗️」

と名残り惜さげか、あゆゆが愚図るように言った。それなら、と僕は自分もそうしているように、

「時間かまわないんなら海沿いの特急が宜しワ、五千円近く安い分1番高い駅弁買ったって合うよぉそれに景色メッチャいいし」

と勧めるとあゆゆ、パッと顔が咲くというか、

「へえーえ゛っ❗️」

って更にデカ目パッチリ開いて、ツケマが今にも巣立つのではないかとさえ羽ばたき、

「うんそーするぅ❗️わぁァ初めてぇ❣️」

と喜び勇んで、イエローコートもピョンピョン上機嫌で乗り込んで行きざま平然と憚(はばか)らずホームで派手にキスしてくるものだから、当然セミグラマーなあゆゆのバストを押しつけられた。ううむなるほど❗️グラ・ドルのバイトした話、ちと言ってたワ。悩ましいほどの一瞬の‘蜜’ 。。

 けどその後、あゆゆと会うことは2度となかった。ーーうっ、僕は一抹の寂しささえあった🤭というのは、恋人でも何でもないからこその、普遍的人間的な一時のさみしさって言うんだろうね。・・人肌恋しさ、とゆーアレだよねきっと。いよっ❗️人肌恋しい北国の駅❗️だんねん。。但しーーとその前にだ。見送り直後のこと、研究室の姉ちゃんの1人に相談した事有り。

 それはね、何か聞いてほしいって言ってた娘に超久々に会ったのに結局何も聞いてあげられないまま帰しちゃって、自分何の役にも立たなかったって。。
 そしたら、白衣も凛々しいその女医さんがサラッと口にした言葉、

「あらキミキミ、それヮネッ女の子ってそーゆーときは只
 傍にいてくれるだけでいいのよ❣️」

ってニコニコなにか微笑ましく。ーーそれを裏づけるかのように数日後、

 “わたしは元気にしていますっ♪
     ポンギの元祖B女・あゆゆ”

と一言だけ添えた、あゆゆにしてはメッチャ珍しい、美術館で買ったらしい穏やかなバルビゾンの光の絵🖼ハガキが届いた。ーーそう。彼女とは、もう恋人でもなかったわけだし。予期せぬ来訪の1日目も2日目も何もなかった。
 一晩目、寝返ってそっと触れてしまった時、

 「したければいいよ」

って彼女の声聞きながら、うやむやに、
 “うん”
て呟きつつ眠ってしまい、2日目は、牡蠣鍋+牛タン喰らったし塩釜も小高い神社の中けっこう歩き回ったのでマジ爆睡し。。けど3日目の朝、窓から差し込む斜めの光が白いレースのカーテンをそっと揺らすが如くほんの異変が・・
 ‘もう一生会わないのでは❓‘
という2人とも同じ想いだったんだと思う。どちらからともなくそっと忍び寄り合う内に・・・ 。

 ♫六本木のマンションでのパーティー🎉🥳🪅、、
  バブル期独特の
  栄華を極めたTOKIO CITYでの
  あのsituationが甦る … …
       

  ほら誰か、あの美しいシャンソン歌手👩‍🎤だったか、
  それとも、あゆゆが連れて来てくれた、
  トミーというレポーターやってた玉学の超カワイイ娘が歌ったか、


  ♪ もう会えないこと
   知ってたけど
   許したのよ、、
   愛わ男と女のその場限りの・・ ♪



 ・・あとの安堵感が、全く同じような笑顔だったから ♪
 
  きっと、同じ気持ちでは❓❓

 で今とつぜん思ったんだけど、ーー名物牛タン食べた時、あゆゆが咽せたんだよね。そーゆーのって、咳払いや鼾(いびき)も引っくるめて女の人の喉の大きさに関係している、と解剖学の若い講師兄ちゃんが言うんだけど、

  +(僕的には)上咽頭炎罹患、

 かと思うんだけどどど。

 ところでそ〜言や🐍蛇は目一杯口があって(頭がハリ裂けるほど開くよね)羊を丸呑みするワナ。あれって、喉も食道も太いわけか。そこでーー

 唐突ですが、僕の脳裏をある考えが勢い良く過(よ)ぎった。(つか、解剖発表の日に、Q3 のせいでズッコケ吹っ飛んでしまった未完のQ4 とも関連する事❗️)

  “どうして食道と気道は交叉してるんや❗️”

 ーーコレ、混線=ミスなんじゃ⁉️どっち行くかわからんでこっち来たら‘誤嚥性肺炎’の確率1/2 とは、Russian rouletteより恐っ❗️誰の遊び❓❓

というQ4 (:先天性疾患を除いて元々の人体構造上の欠陥はなぜ存在しているのか❓)関連の事ごとが流星雨の如く矢継ぎ早に脳裡を突っ切った。ーーけどこの考え、偶発的にチラチラチララと脳内掠めつつも、じき北国の雪雲に混じるかのように雲散霧散していってしまったのだけど・・。

 あとはリンジツ(臨床実習)残すのみ、か。

 思えば、大学に戻って知り合った友のことが今、気がかりだ。何故って、それは降り積る雪を退けなきゃってくらい、あるある、、いろいろあったし 。。。

       (つづく)… … ずっと下方に⇩次話クリック有

#杜の都 #解剖 #芸術学部 #文芸学科



 
 




 
 
 
 


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