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『愛ゎ時空を恋え』第二話 by悟行(サトピーって読んでネ)


#創作大賞2023

                       

       (第一章 続き )

 それは、最近狂武の姉ちゃんのことを訊くと、真横を向いてどこまでも歩く、と。きいたほうがミジメな気分になって話題を変えてくるまで、ずっとダンマリ真横を向いたまま歩き続ける狂武に、何人もが遭遇している。
 しかも『僕も僕のお父さんも、道を聞かれて答えないことはありません。絶対いつ何時でも人を無視することなんかない!』と言った矢先にだ。ーー話戻るけど、‘子’が解くことのできた問題に対しては、
「どーしてできるんだ⁉️」
と問い詰める様は、身分不相応だとでも言いたげな悪代官振り。そーゆー’決め付け‘なら女子にも1人いたヮ。ハシカワマーコとかいうバカ女ときたら、突然、
「◯◯君て、20 何番でしょ❓❓」
って。学年で数番のときにだよ。
 何根拠にしてんだか開いた口が塞がらなかった。さて、どーしてできるか尋ねるキョータケには、その訊き方にムカつきながらも、あんまりしつこいので秘訣を、


「ソロバンとサバ缶だよ。」


と正直に応えると、なナント一笑に伏し聞く耳なし❗️
 結果、全く改善なし。今まさにDHA は化学的にも証明され、算盤だって世界に広まったではないかい。例えばデス。’8’ という数字を見たとき、狂武の頭は8しか見ないが、‘子’には‘8’と‘2’とが同時に見えてくる。それは、いつも‘祓う’という儀式をやるから。


 算盤では、‘8’を見ると‘2’をハラって繰り上がる、という‘祓’が常にある。だから、脳細胞で、‘8’がone パルスなら‘子’は‘8’と‘2’と2ヶ所でパルスすることになる。この脳刺激の差❗️



そんなことも知らんで、時代遅れのようにせせら笑うのか。ーーソロバン・サバカン・チャッチャッチ。嘘は言ってない。どころか、計算が早いから応用問題に時間とれるわけよな。じっくり解いて、検算タイムもサッととれるからこそ、ケアレスミスもなく満点が採れる❗️
 公文さんは、ここまで医科学的には言ってないけど、九九は高3の微積分まで付きまとう超基本、即ち加減乗除の意味の重要性をキッチリ指摘している。
 
 そして遂には、武繋がりの話なのですが、その前に1つ。ーー文系出身の社長さんたちは、例えば米軍が作った日本国憲法を訳した白洲さん(吉田総理の唯一最大の難点は、独立した日本で今も占領憲法まんまで日本の憲法を作らなかった点だ、と明確に指摘した偉人。ドイツも皆んな作ったに。また何故か米軍日本憲法が大好きな護憲とかいう連中は共産・民主・社民!なんで共産民主がアメリカ好きなんだかさっぱりわからない、マジ頭おかしくなくない⁉️)、彼なんかも、東北電力の会長になる時、簿記学校行かなかったっけ❓❓アソー©️だって、セメントの勉強ちゃんとしてるし。なのに、

 計算ダメなことをモロ自慢、堂々とTV でそれ言った総理が1人だけいた。そもそも総理たる者が、‘できぬ’を自慢自体その器じゃない❗️‘できぬ’をいかに工夫したのか唱えるのが筋。計算ができた角さんは、逆分野を徹底的に読書でつかむ!と、控えめに告白してたではないか。


 計算もできないバカに百兆円も預けちゃったウチラって大バカ⁉️

バカよりも大バカだァ、と自覚できればウチラも進歩可能だ。
 さて、その‘できぬ’を自慢したヘンな人、‘タケ’が付く人。数学が出来なくても入れてくれた、とTV で自慢したその方の治世に“消費税”が施行せられました‼️結果は、歴史に残る世紀を架けた謂わゆる


 ‘失われた20年‘


が日本国を覆い、世界に向けて冠たる負の発信をしてしまったチョー本人さま。この方もキョータケも2人共計算にタケなかった、というタケ繋がり。
 狂武は、あろうことか一流とか言われた独占的にテラ銭を稼ぐ大手行に入り、なんと’1円’の計算を間違えた。結果、都のゴミ処理場まで1円玉の捜索をしに行き、そこの責任者から、
  “発見できず”
の判子を貰う羽目になった。
 けど、この事を、自分はこんなことまでやったんだ、みたいな武勇伝の如く吹聴しているという話が伝わってきたわけっし。おそらくこれじゃ、百回行かされたって、その根本には気づくまい。
 後々この大手行たるや、公的資金を受けることになった。なのにである‼️TV に映ってる

女子行員が、
『足りない分は増資で賄えばいい』
などと聞き捨てならない言葉を堂々と言ってのけるではないか。正しく‘悪代官’発言❗️

あそこは、よほど同類が集積し合うらしい。好んで採用されるに違いない。故大川幸福総裁の銀行嫌いも納得いく気ィするワ。

  そして狂武の、最もマイナスで重いもの、それこそは類推力の欠如、相手を慮(おもんばか)る気持ちの無さだった。どーゆーことか❓こーゆーことだ⇨即ち、年の離れた兄弟の家があった時、狂武は平然とその人の親のことを、
「無計画だなァハハハッハはははっ。」
と言ってのけたのだ❗️✖️✖️されるんじゃ⁉️ーーああ勿論、数学なんてできなくたっていい。何のことかって?4人兄弟の家があって。6才、9才、12才、18才の4人。上の方は離れている。もし数学に勘のある奴なら、15 を入れると等差数列5人兄弟❗️仮に狂武同様、数の勘がなくてもだ。普通そこには、最後の防波堤がある・・

 思いやり、

という。
 人の親のことを批判するのは失礼だけでなく、何よりも悲しむだろうな、と考えてもしも
 “上だけ離れてらっしゃるんですね。”
とアプローチしたとしたら、相手も心を開いたかもしれない。こんな風にね。。
『実は、亡くなった子がいるんです・・』
とゆー一家の悲しいストーリーがあったのかもしれない。それを、ああ言うとは、断じて許せぬではないか⁉️
 タケの繋がりの2人は、数学が原因ではないというまずさは明白だ。こーゆー人間が、一流とか言われる銀行に入って融資係にでもなった場面を想像してゾッとした。
 ‘あ、無計画ですね。ご融資はできません!’
と、その結果、怨みに走った客からある日突然・・・!しかし、狂武は未だ生きている。しかも悪代官として益々権勢を振るっているようだ。きっと、信用金庫などとは違って、そんな細い融資には関わらないんだ。
 狂武の人をバカにする引っ掛けセット、常套手段を喰らった、メタボ浅木もぼやいていた。狂武が、以前住んでいたとかいう、そう遠くない街へ出かけてそこを引き回された挙句、今ウチラ浅木も住んでいる所は行政がダメだとかを、いかにも‘おめえが悪いんだ’みたいに睨みつけて捲(まく)し立てた上、どーだここはこんなにいいだろうが!と口うるさく自慢されて大いに気分を害されたそうだ。
 だけでなく、浅木と行ったキャンプより最近他の仲間と行ったキャンプの方が数段良かった、と幼稚園児並みのことも言われ不愉快極まりなかった、とさ。
 浅木の話を聞くにつけ、狂武のバカ悪代官振りは正しく客観的に明かされた、と思うワァ。バカ殿なんてモンじゃない❗️

 ところで、進学校を決めるための三者面談の日、‘子’が父親を待っていた時のことだ。ちょうど、狂武も校舎の正面玄関の脇の教室の窓に張り付いていた。
 父親はこちらへ向かいつつ我が‘子’に気づいたか“来たぞ”という合図に手を挙げた。その動作に気づいた狂武が、どういうわけか慌てて勢いよく、空を飛ぶようにポーンと後ろに飛んで退け、しゃがみ込むではないか❗️何事かと思う。ーー要は、‘ランク付け’してるんだ。あんな親には挨拶不要、という。こーゆーことをやられた方は、決して一生忘れるものではないだろう。大手証券が、客を屑・・とかランク付けする例の話、思い出さないだろうか❓やっぱ風貌が銀行屋も全く同んなじらしい。既にこいつ、中学3年の時点でその素質があったってわけだ。

 で、銀行は、必ず儲る事を常に探している。医者でも7割しか他人に集めさせない。何の事かって❓3割負担の話よのっ。ところが介護。ーー9割を行政が徴収してくれるのだ。かつ、従業員には低賃金というのが相場。なるべく無資格を混ぜて。
 もし、1割負担を万が一にも取り損ねたとしても、必ず9割は戻るという、こんな安心安全おいしい話に、銀行屋が目をつけないはずがない。まさに、その名に相応しき‘悪代官’の成れの果て‼️ーー銀行に金出させ、とうとう‘悪代官キョータケ’は、この取りっぱぐれのない事業のオサになったらしい❗️

 なるほど公共の福祉だァ世のため人の為とか言うけど、実態は紛れもなく金儲け。お堅い投資!見ろよ、だからこーゆーの建設中のケア◯◯とかの現場を見に来るオーナーは、みんなバギーカーとか遊びがてらでやって来るし。あいつら金の使い道に困ってんだよ。儲け先を目っけてんだよ。優しい福祉なんざ1っかけらもない。
 勿論訊けば、

『はい、世の中のため福祉のニーズがございまして・・』

とか答えるのは当たり前だ。しかし実質、悪代官。。
 だからよくよく事件が後を絶たない。◯◯殺傷事件だァ後から後から滲み出て湧いてくる。大手証券や銀行系が、人のことを‘クズ’‘ゴミ’扱いするのと同じく、入所者を窓からポイ‼️扱い。・・上層部の目的がそのまま出てるんだろうな。トップを見習うだけ。その点、汚い回転ナンとかと酷似!TVに映ってんのに、社長が口つけた味噌汁を店長に味見しろ、って嫌々顔の店長飲んだよ。類はとも、キモ!
 施設開設のホントの趣旨が、この様にモロ金儲けって訳だから、あちこちの施設で事件が起きるのは当たり前なのか❓❓ ‘子’ は祈るーー。
 半世紀を経ても、この屈辱は忘れてません。お父様・お母様、あなた方を無計画と罵(ののし)る類推力の無さ、また日本国民を愚弄し気分を害させる数々の言動及び隣人や人の親族を侮る言動、はたまた飛び跳ねてまで避け隠れて挨拶すらしない非礼の限りを尽くしたあの者を如何致しましょう⁉️・・・いろいろ想像しがちですが、何かあるなら言ってください❗️・・しかし、待てど暮らせど天の声はなく。。
 詰まりはきっと、あんな人間とは関わるな、というメッセージなのかもしれませんね。それならば、この無言にして天使のような仰せに甘んじて従いましょうぞ。

 狂武こと経堂武吏(きょうどう・たけり)には、男しか誘わないヘンな性癖があった。
 一方‘子’は、夏休みには女の子の家で西瓜を食べ冬は冬で毎日、通学帰りの途中で待っている3人組の下級生(友だちが見てビックラした、後輩のメッチャかわいい娘)の家では一緒の炬燵で癒され、またグラマーな担任からは

『頭が良くて可愛い子』

とゆあれたのを励みに、こーゆー ‘take & take’ の人間しか周りにいない残念な中学時代をなんとか過ごし耐え、それもやっとこさ終り高校に進学し、そして卒業した。

 付け足しとして、後々気づけば、あのプールで助けてくれた花崎先輩こそは、小中高大すべて‘子’ と同じ学校だった唯一の人だったけど、向こうは知るまい。‘子’ が大学に入った時には既に、都内のマスター(院生)として去って久しかったから。
 そして、この先輩・花崎さんは多分、大学・院共に学科までが、ほぼ‘オダカズ’さんと同んなじか、2、3 年違い位だったんじゃないのかな❓

 ーー同じ日に生まれた2人、2才の時神の家で知ったチヨ美とずず。
‘ずず’ は、幼・小・中・高と4つ一緒だった唯一の人で、その後紆余曲折の多少あったものの‘音楽教師’ になった旨を、大日本帝国台湾帝国大学を出ている植物学者(特に茶葉)である‘ずず’ のお父上がすっかりロマンスグレイになった折、‘子’の母親が偶然出会し、聞き知った。一方、チヨ美は米国のファンドのCEOになった。

     8

 高校では、筑摩の教科書を使っていた。‘子’ は卒業後じきに、現代国語を読み返し、何人かの筆者に宛て真剣に感想を書き送った。
 その内の1人、ギリシャ的抒情詩の西脇順三郎先生(2016年にノーベル賞選考委員会より半世紀前の記録公開となり、谷崎氏他、川端・三島・西脇各4氏が日本文学初の最終候補と判明。かつ、谷崎・川端ダブル受賞のはずが、内定後の発表9日差で天才谷崎が他界したため、経緯は半世紀埋もれたまま、川端氏1人の受賞となった。
 その後、三島自決の結果、川端氏の次点は西脇氏ただ1人となった、と。毎年残念会見していた井上靖氏でもなく。。だからデス、
 
 物理学も文学もすべて、要件は只2つ。

 ① レベルがあること &
 ② 生きていること!

 2つ揃えば必ずゲットできる❗️
 が、その後西脇氏が他界したためシャッフルされ、新たに大江健©︎がかっさらってっちゃった、つうわけ。。だから、噂(下馬評)ほど当てにならないものはないってゆーこと。)から、話戻ってその西脇順三郎先生からお返事が届いたのです。

 『あなたのご批評には私があまり口外していない点が含まれていました。』

と少々感心してくださったようなお手紙でした。20歳になった頃、一度遊びに来いといわれ、気づくと先生のお宅で、スコッチを一緒に飲んでいた。いろいろなお話をしたけれど、先生はきちんとした筆名使用に妙に拘(こだわ)った。

 「‘悟行’ってどうだ?」

と言われて‘子’ は“へっ⁉️”と面喰らった。すると先生、ニヤリとしつつ、

「西行みたいでいいじゃないか❗️」

と。
 ご自宅でも、英国仕立ての品の良いグレーのスーツを着た眼鏡をかけた先生が笑っている。ーーところでこの会話、先生の一言で西脇氏のそれまでのイメージが一気に吹っ飛んでしまった。友だちに話したら、

『え゛、西脇先生ってそーゆーキャラだったの⁉️』

とかみんな頬が弛(ゆる)んだというか和んで大笑いしちゃった。
 
 そんなこんなで、先生からは、

『風のようにやって来る』

とゆあれた‘子’ は、将来使うことになるかもしれないペンネームを、有難くもノーベル賞候補者から頂いていたことになり❗️

 また、教科書とは別次元でも‘モタさん’ とも知り合うことができた。他にも、芋蔓式というか矢継ぎ早に・・それこそマジ世界的に名立たる芸術家や。巷の元都知事に至っては、出版記念パーティーの招待状まで舞い込んできてちょっと困惑したこともあった。
 で、モタさんの手紙の返信は、いつも神速だった。その理由を知るのは、モタさん(斎藤茂太氏)が亡くなられた後のことだった。40冊以上もある氏の未読の著書を読んでいたら、四国講演という段で、

『普通なら一泊して次の日に九州へ渡れば済むものを』

先生は、

『留守中に届いているであろう手紙の束が目に浮かんで気になってしょうがないので、夜行で帰り明け方には即刻お返事を認めその朝投函しながら1番機で九州へ飛んだ。』

と‼️ーー通りでいつ何時でも、あの多忙なはずのモタさまのお返事が早かったわけだァ❗️と涙が出てきた。きっと、自分の手紙も、そーゆー時の1つだったのかなァ、と感慨新たのことしきり也。

 さて、3年遅れだったか二十歳すぎに無事、大学に入った直後、既に‘子’ の父親はいなくて。。

 父親が20 代の頃からの資産は、僅かとはいえ高度経済成長ゆえ 280 倍になっていた。3年生になる頃だったろうか、何年も前にベトナム戦争で従兄弟のジョンが戦死していたことを知った。‘子’ の高1の時、横田で彼からパーカー万年筆を貰っている。戦争終結のことは、毎日のようにF.E.N.のオンジアワーニュース(定時ニュース)で繰返し言ってたので、戦争が終わったのに日本に遊びに寄らないのは変だし、伏せておけなくなって(彼のワイフは悲しすぎて伏せときたかったらしいのだ。)知らされたのだった。
 ともあれ、

  『オマエは銃の代わりにペンを取れ❗️』

 と聞こえた気がしている。
  

                        (palmSt., Beverly Hills)


 そのうち、U.C.L.A.で会おう、と約束もしていた。今、ゴールドのZ-car の横に‘子’ が1人で立つ写真がある。ーージョンと、Beverly Hillsの Palm St. に並んで撮るはずだった。・・こうして、‘子’ の心のなかに、

 ‘悟行’ と ‘パーカー’ とがセットになる素地が、ゆっくりだが確実に形成されつつあるようだった。

 そんなこんな、いろいろ気が散るというか滅入ることが、重ね重ねあったりして、結局 70 年代終りには‘子’ は、大学から遠のいていく。
 $1=¥300 以上の価値が、一気に 180 円にまで下落・円高の1978 の頃、‘子’
は、地方の医科大学近くの7F建アパートの一室と大型車をセットにして、学友に貸してしまい、丸1年間、杉並に帰った。
 そこには、小ぎれいなドイツ車しかなかったが、小回りが効いてかえって都合が良かった。というのも、地方の狭く犇(ひしめ)く夜の歓楽街で大型車を乗り回していたものだから、相当運転技術がミガかれていたせいか、今がラクでしょうがない❗️

 スリムでダンサブルな、‘子’ の妹も高校生活が終りに近づきつつあった。
 ところで‘子’の妹というのが、ことオシャレに関してはハンパなかった。まずは生地の老舗Mデパートに、特注の一点ものセーラー服を創らせた。
 高校の標準服(事実上の制服)とも違うし、私服で通学してくる娘とは勿論違う。誰よりも目立たずして、目立つ❗️しかもあの、夕陽ヶ丘系の‘北村優子’そっくりだった。’ゆっこ’の事務所の近くを歩こうものなら、ファンから、
『ゆっこの妹⁉️』
と訊かれることさえマジあった🤭のだ。。

 校内では、オタクたちの間で
   “永遠の美少女”
というキャッチフレーズで、静かに密かにファンクラブが結成されていた、という。‘子’の妹は、ダンスとかで壇上に立つや、一部の席の集団がザワザワするのを、しばしば不思議に感じていた、という。ーーファンクラブの存在を知ったのは、実に卒業後のことだった。
 というのも、そもそもオタクというのは、こっそり騒ぐことを好む性癖があったからで、ファンクラブの存在自体をあまり吹聴しなかったようですょ。

     9

 その妹から‘子’にもたらされた映画情報ーー近く、富士演習場付近(コワ⁉️)の原野で、市川崑監督『火の鳥』の撮影に大量の邪馬台国兵士が要り、目下足りない中とのこと。暇あるなら行ってみてみてみ、とさ。早速‘子’が、妹に言われた通りに電話をすると、即OK❗️

 1978(今までの所はアバウトでも良かったけど、ここだけハッキリ出す理由は、この日の夜解る!)

 で、その5月◯日。6時集合❗️
 とゆーから5時起きし、小回りのきくドイツ車に飛び乗り、まだ空いていて気持ちよく広々見える環8を、FEN から流れ出るコモドアーズを聴きながら南下すること15分。すんなりT 宝撮影所到着、特に検問もなく中にパーキング、やれやれ。
 6時すぐにメイクが始まり、焦茶メッタリ顔にされ着替え。ヅラも被らされ、顔のドーラン気にしつつベトベト②、7時にはバス何台かで出発と相成り。。用賀から御殿場インターまでスィーッと。8時過ぎには、今や世界遺産となった、かのお富士さんに御到着。
 
 うぉ涼っずしいィ❗️

 青々とした雑草生い茂る中、ウチラ 二百人ほどの隊列兵士君が、ゾロゾロ三々五々歩いて宮殿(?)に向けて行軍中のことでした。な何と丁〜度‘子’ の真ん前で、傍に停めてあった乗用車から茶色の古代皮ミニスカ女子が、いきなりポインと降って湧く如く降り立ったのデス❗️ーー

  え゛っ⁉️ 風吹ジュン‼️

 ・・といえば有名繊維メーカーの初代イメキャラとして悩殺短パン姿のモモ脚でデビューし、18 才から3、4 年で今 24、5 なのはまァ芸能界じゃ有りがちな事とてさて置き、そのモモ足がうぉぉ❗️すごっ‼️

 大道具舞台美術の人と2人でもって‘子’のすぐ前をずずっと歩いてくれちゃってるもんだから、お話も全部聞こえてるしイヤお話なんかよかやっぱジュン©️の素敵なモモ©︎がずうっと延々目の前に揺れているぅ❗️もんでこれ、初っ端からツキ過ぎかも⁉️ とと、ところがドンデンこれこそは、ホンの触(さわ)りに過ぎなかった❗️かもなのです。

 昼時、みんな夢中になってロケ弁に文字通り喰らい付いている。なので、み〜んな下目線。その時、、、
 午前だけで‘お疲れ’になったらしい一台のクルマの遠いエンジン音。‘子’が目を向けると、古代からの日輪と変わらぬ光を受けたサイドウィンドウがうっすら輝く中、誰かが会釈しているように見えた。あれジュン©️かな❓❓と思いつつ‘子’は、かくも礼儀正しき会釈に誰一人として気づかないようなので、不安定な膝のロケ弁に気をつけながら手を振った。ーーすると、パワーウィンドウが、もの凄い勢いでさァーっと開いたかと思うと、ハッキリジュン©️が手を振ったではあーりませんか‼️ ‘子’は踏ん張って、もう一度思いきり手を振り、

 人気CMギャルの笑みを完全独り占め❗️

してしまったのです。


 爽やかな富士の裾野を、風が吹くようにジュン©️は去っていった。Oh ロマンチック、初夏の高天原(タカマガハラ)・・

 さて、午後の撮影。
 ここで、邪馬台国宮殿の正面、ほぼ静止画様シーン撮りになり。
 ど真ん中が、勿論女王卑弥呼(高峰三枝子さん)、脇には両側女官2名ずつ、うち2人はカルーセルとピーター⁉️で2メートルほど離れた更に左右に、3人ずつ近衛兵を配す、という構図。

 でまず右端に、ウチラ兵士とは別に来ているアクションクラブの殺陣15名の精鋭から3人が立てられる。構図的には当然、左側にもアクションクラブ、のはずが。。菎ちゃんの気紛れか、突如ここで、

「おい、あそこから3人選ぼう❗️」

と、ウチラ邪馬台国兵士集団に目線が飛び。。
 なんとその3人に‘子’が入った❗️のだよ。ななんと市川崑監督によって、卑弥呼の近衛兵に抜擢されたのでデス‼️

 撮り終わると・・
 寒い草原ですから、ドラム缶の暖がとってありまして。ウッカリ映らないようにと、窪地に伏せさせられている寒くて窮屈そうな大勢の兵隊さんたちを遠目に、そこで暖まりましたよぉ。
 ドラム缶暖炉の‘子’の左は、主役の卑弥呼役‘高峰美枝子’さん、右はADさんを挟んで市川監督、もうお向いが誰だったか両脇だけでも凄すぎて忘れた。’子’は聞き役に徹した。時々、崑ちゃんが、伏し目がちに‘子’を不思議そうな目線で見つめてくるのが‘子’には、監督をナイーブな人なんだなァと思わせた。

 それにしても何ちゅう暖かな空間だったことだろうか❗️なんてアツイ時間‼️

 古代神殿の真ん前で・・‘子’はもはや、完全に王国の兵士いや、それ以上の何か存在だった。

 それにしてもさ、顔を突っ込んできて話す高峰さんが何かおかしかった。その度に、目がホントブッつきそうになったからね。ーー

 さて夜、ドーランを落として無事撮影所を出た‘子’は、『ミス・ユー』をガンガン聴きながら、環8を北上後すぐに右折して新宿へ急いだ。というのも、彼女がとっくに羽田に着いたはずだから。撮影だから時間ズレるかも、とは言っておいたけど、9時近くまで指定のジャズ喫茶にちゃんとその娘は座っていたーー感激❗️
 地方のホテルラウンジでピアノを弾いていた彼女に、声をかけてあったのだ。
 ですぐに、夕飯がてら、歌舞伎町コマ界隈のディスコへ。ホラ、USA tomorrowとかN.Y.N.Y.とかあったよね。入ると、いつもの通り黒装束14人組と白装束3人組の常連がいた。‘子’は、いつも女の子と2人きりパターン。
 14人組の内まず2人は、ここのダンサー。すれ違う時の目付きがパッチリ過ぎて絶対誰にも刻印される。うち男2人は、じきドクターへの道をいく高3か予備校生か。でピカ1は誰〜れだ⁉️ーー今日の冒頭 1978 の意味出番ご披露。。ここの常連客14人組黒装束中ピカ1ダンサーは、高1頃のサム❗️10何年後TRF としてレコ大に輝くサム‼️
 で、白装束は、まァ只の遊び人らしいや。白い帽子に白スーツで決まったらァけど。。ぁ、今じゃ息子君に


 『セェんだょおめえゎっ❗️』て言われるアムロ©️、このときはまだ


フィリピンだか沖縄で生後8ヶ月とは❗️おほほほほっかわいすぎっう❗️

 サタディナイトが響くディスコで1時間ほど腹ごしらえした‘子’たちは、白装束とも特に接触もなく、カーステレオから‘愛はきらめきの中’、彼女のランバンと‘子’のプールムッシュが混ざり合ううちに、六本木の別のパブへと雪崩れ込んだ。

 ーーまァそんな1日の、

 ① 朝目の前に突然CM ギャル出現。
 ② 人気モデルさん帰り際お互い手を振り合う、ツキすぎか❓
 ③ ‘その他バイト’出演に出かけたらいきなり主役付きの近衛兵に選ばれる。
 ④ しかもシーン撮りの後、戻れとは言われず市川監督らと暖を囲んで歓談暖❗️
 ⑤ その夜、将来のスーパースター‘サム’たちとの遭遇というおまけ付き。

という丸一日。これ全部偶然❓❓❓ ①は偶然と言われちゃっても、境は②③辺りだろうね。
 
 自分がホントに選ばれる人か、裏を取るための興味が自然いつしか湧き出てきて、20 年後正式にオーディションを受ける場に。。
 その結果、大新聞ブッチ抜き2頁全面広告に1人で出演❗️という快挙達成と相成り且つ、その過程でジュン©️みたいなことが度々あったのです。でも、よく考えりゃ

『オレが選んだ奴が再び選ばれるのは当然だろが舐めとんのか⁉️』

と監督に言われそうだヮ。ーーそうかもしれない。

 ところで、1頁全面広告というのは、モデル仲間では‘勲章’なのです。それを達成した者同士しか口をきかなくなる。ましてや2頁❗️
 ついでの蛇足、1997 アムロドームコンは勿論参戦❗️今ってゆーか、引退ちょっと前、オフの日はアムロ©️、京都の家にいて、時折四条高島屋の化粧品フロアに出没❗️一方、‘サム’は今やえ゛ぇ〜⁉️ 能役者だよぉん。

 そんなカンジで、‘70年代が暮れていった。
 さらに、蛇足の蛇足。’子’は昭和30年生れなので、S(昭和)40年代は10代、S50年代が20代、S60年代は30代、という風に昭和が便利。西暦だと中途中途でど〜もウザったいかも。

 それにしても、あの富士の宮殿。
 あそこってもしかしたら、太古の昔、神伊邪那岐尊(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)が天の浮舟で、富士行幸せられた場所ではないだろうか❓そう思うと、あのセットが本物の宮殿そのものに思えてくるし、最近そんなことを茫と考えつつ偶然にも、ジュン©️に出会した。ーーおぉあなたは今もお美しい。通りがかりに再び目見えた年経て尚も美しきそなたの名は問うまでもないのだが。・・

 もしやそなた、あの日あの時、輝く草原にいた貴女は化身、額田王君(ぬかだのおおきみ)の転生であられたか⁉️

・・とさえ思える偶然のことであった。

     10

 大学が中途のまま‘子’は、気づくと六本木6丁目の住人になっていた。
 勿論、意味わからん成人式とかは行かない派の‘子’の中にも、ようやく確たる(?)意識が形成されたか‘子’は、‘僕’へと変化変容していった。ーーそれは、’80 年代のことで、丁度‘僕’の20代後半から30代前半に当る。

 でまァ、大昔‘六本木族’というのがあったとか。でもウチラ、無理して‘新六本木族’とか言わず単に

  ’ポンギ’

 って言ってた。
 その‘ポンギ’で夜な夜なパーティー求め、ウチラが結集していた時期は目一杯‘80 年代❗️レキシン・マジック・ナバーナに始まり、中央値がマハラジャ、ラストが湾岸へ散り散りに。
 ポンギ解散つか、チーン!タイソン(退散)なわけ2つ❗️

 ① バブル崩壊
 ② ヒルズ建設の噂

てこと。で仲間たちの早い人は、ブラックマンデー’87頃から遅くとも‘90 年代中頃までには、ポンギを去っていっちまった。ーーで、その頃のワン・デケッドに’僕’が共生した六本木のおバカ女ーー‘キャス’、それに‘あゆゆ’と‘ノエミ’ のことですけど。。

 まずは‘キャス’から。
 ハワイ生れの日系クォーター。日本のミッションスクール中高寄宿舎預りで日本語いけてる。が兎に角BK(バカ)っぽさ段凸❗️は結論で、初めはそうは見えない猫被り⁉️ーー鳥居坂界隈をウロウロしていた19 ラストデイのキャスを、ドナサマーが心地よく漏れ聞こえるロア前のカフェでナンパしたのかされたのか。所謂意気投合、、
 頃は正にこれから、街角が濡らされていこうという梅雨直前の6月。
 ロア交差点から、ガラスのドアが、赤・橙・黄色・緑・青へと瞬くカフェが目に入った。瞬間、ハワイ島からカラフルなオウムが飛来したイメージに憑かれた。・・と、え゛っっ、カフェのガラス越しに原色鮮やかな紅というか、かなり大きな鸚鵡🦜が文字通り止り木‘bar’カウンターに張り付いている⁉️チラ見の目も大きな鳥目❗️が一瞬光った。ドアを開けざま、ガラスの厚みが斜めに増し、鮮やかな鸚鵡は長いバーミリオンの紗のように見え輝く。それは鳥ではなく、、
 そこに在った、ワインレッドのワンピースに上品なエルメス香るキャスは、正直モロお嬢様か⁉️っぽかった。

 カウンターには、等間隔にカラフルなラクダの胃袋皮スタンドと、小さなクリスタルアシュトレーが置かれていた。天井には、七色のビームを放つ光源がクルクル回っていた。
 スタンドに照らされた彼女の手にプロバンスのロゼグラスが揺れるのが、‘僕’
 の目に鮮やかに映った。丁度僕が立っている脇で、そのグラスを置いた彼女は、細〜い多分セーラムメンソールの1本を取り出した。カフェにいつも置いてある英字のフリーペーパーを僕が見ているのを考慮したらしく、

「ハーイ、このアシュトレイ❓❓」

と彼女が言いかけたので、彼女側にクリスタルを寄せてあげながら、
「UhmHhhm…」
と反射的に僕は答えた。徐(おもむろ)に、目が合った時には既に彼女、‘やっぱ’という顔をして英語で話し始めていた。僕を日系人と思ったようだ。
 何よりも、すぐ‘品定め’目線を向けずにお返事したのが好感だったみたい。で、僕のバーテンダーとの流暢な日本語のやり取りに、不思議顔の彼女。なので、

 「I’m Japanese 」

と言うと、キャスったら疑ったのか、

 「pure❓❓」

と突っ込むので、
「Very,very yes❗️」
と念を押したのだが。。キャスは、その鳥の眼(まなこ)でジッッと僕の顔をattractiveに見ながら、

「ヘブライ人かと思った。」

って。⁉️
「それ言われるの14 回目❗️」
「へっ⁉️」
って思わず笑い出したキャスったら途端に日本語で喋り出した。
 で今度はこっちが、あなた何人❓どこの人⁉️とゆー展開に。。早い話、仲良くなれる雰囲気、ちょい面白すぎるかも意外性の連続になっちゃって。。

 というわけで、キャスが‘僕’のマンションに転がり込んだのは、ごく自然の成行きだった。ーーそう、僕の部屋というのは、いまあるヒルズで言うと、ずうっと(麻布)十番まで降りていけるけやき坂通りの1番テッペン寄りの辺り。つまり、というかだから変な話、キャスと愛し合ったのも今みんなが歩いてるけやき坂通りの辺りってこと⁉️

 さて、キャスとの生活は。・・ハワイ育ちの彼女は、スリムな肢体からは想像できないほど分厚いレアステーキが大好きで、パイナップル・キウイー・マンゴパパイアを毎日のように食べ。。肉を使った新しい料理とあらば、即刻一緒に繰り出し。尚且つ、キャスは食べたとそっくりのものを翌日には作ることのできる舌と腕を持っていた。
 なので、そーゆー生活自体は享楽的だけど、単純に楽し❗️スリムな割には、出るとこは出てたりしてて目鼻もクッキリしているキャスは、行きつけのパブでもいっつも盗み撮りされていた。(只ここで気づかなきゃいけなかった。盗み撮りするような奴の興味は唆(そそ)るが是非撮らせてと言うマトモな人は皆無❗️だったということに。)

 さて六本木交差点がオレンジに陰り出す頃になると、いつも2人はインターナショナルなパブ(酒場)に連れ立っては、オークのカウンターに並んで、まずはその店の樽ビールで乾杯すると、パブ奥のレストランで肉を喰らい真っ赤なスイートシェリーで纏(まと)め、どこかでおいしいコーヒーを飲むために六本木のクロッシングから飯倉方向へとタワー煌めくイルミネーションの中へ腕を組んで歩き出す。・・でも、ケーキ付コーヒーのときは7丁目かな。クローバーとか明治屋とかあったよネ。あ、明治屋は帰りに食材の仕入れだワ。
 つわけで、キャスとの生活=極めて極②享楽的だった。
 キャスはそれに、短大へは上がったんだか、サッパリ行ってるカンジは全くなかった(キャス、地方の寄宿舎を出席不足で脱落し無理クリ関東の短大に繰り入れられた?とか)。という僕も大学中途のまま。まァ‘80 年代のポンギ族ポンギンさんは、実態として大方権利収入暮しみたいなん多かった、というところかね。。

 でキャスは、中高カトリックのくせに、讃美歌唄いはいいんだけどさ、あんた聖書ちゃんと読んでんの❓って感じ。一言一句精査吟味したことが一度でもおありでしょうか⁉️ったく棒読み姉ちゃんわよぉ❗️
 そんな中、キャスとの破局は1年後、あるパーティーの最中、ひょんなことが切っ掛けで訪れることになるのだが。。

 2人の部屋。
 それは、六本木交差点から数百メートル、地下鉄出口から5、6 分のところ。東側に開けた斜面にあって、風向き次第で潮風香る、文字通り‘港’区❗️その斜面をうまく利用し、3階建ての2F前の花壇の下をparkingにしている戸建が、幾つか続き、その並びにある低層マンションの東向き2Fが僕のへや。
 裏手がTV 局の食堂部分に面しているためか、そこで収録やイベントがあったりすると、まず窓から笑い声がワッと入ってきたかと思うと、コンマ5秒くらい後に、様々な回線を経てTV 画面の大笑い声が再び響く、という‘ウナリ’というか妙な音環境が出現する。ーー先ほど説明の潮の香りもさることながら、ベランダに出て思いっきり左を向くと東京タワー🗼の尖(トンガリ)が見える。
 点灯する夜ともなると、それはそれは美しい光景だった。けど夜はやっぱ酔っ払った人たちが通ることもままあって、

『あっ高級マンション❗️』

とか、はっきり声が聞こえる距離感は、2Fだから当然か。。。なのにキャスったら、平気でベランダに物を置いておくことがよくあった。

 「ねえ、ブッそうなんじゃない❓❓」

と注意すると、


「えっなんで❓2Fからどうやって持っていくの❓❓」


と、2、3 才児のような物言いをする。呆れて、フツーに、
「どっからだって持ってけんじゃん❗️」
と返そうものなら、キャスは頗(すこぶ)る怒り顔で、
「どうやって2Fに上がるのよ‼️」
って、本気で突っかかってきた。・・何なんだろうコイツ、まるで3才児⁉️って思って絶句したけど。その時は、そのまま話わ打切りに終った。これ、精神疾患じゃ⁉️ところが、、、ついに、というかその日が来て、マンションでのパーティーの日には見舞われることになったのだ。

 朝陽に向かうその部屋は、入るとだだっ広くリビングが広がり、奥に小さなベッドルームがある。ベランダからは、朝日とともに首を回せば東京タワーの尖りも見られた。ベランダの緑を背景に、茶色い猫脚のスタインウェイ・ピアノーー頼むと1年以上かかるので西新宿の古楽器屋で見つけた掘出し物で、少し小振りなサイズーーがあった。これジツゎ、調律には工夫が要り、年期が入っており、高音を生かすか低音を優先するか、と調律師に訊かれた。なら、伴奏で長く延ばす低音優先、高音はアルペジオの一瞬とて我慢ガマン、と納得。。という曰く付きの内緒の経緯有り。
 
 ま、そんな環境ですなのですが。。
 まずは、キャスがまだ居つく数日前に知り合っていた‘あゆゆ’ ©️が、ウチのパーティーにやって来るんだけど。あゆゆとの、そもそもの馴れ初めは、、
 ノートルダム、でなく少し前アメフトの事とかあってかノートリアス?なN
大の2年だった‘あゆゆ’ ©️。兎に角、ほとんどお金だそうで、親に任せっきりだから、どーゆー風に入れたのか分からないけど、上手く進級はしてるそうだ。彼女、週2パブでバイトしてた。その時ナンパ、じゃなく誘われた。
 “お疲れ!”
って消えたかと思うと、じきカウンターの電話が鳴り、ママさんが僕指名だと言っている。ので誰かと思いつつ出てみると、

「まだ居るのぉ❓」

って逆ナンされちゃって。こーゆーの、要注意か❓ーーこの娘、なんかいかにもお金に関して危なそうなカンジしたし。と感じつつも、その夜は‘あゆゆ’©️に見事ハマってしまった。から今があるわけっしィ。。

 問題の夜の我が家のパーティーに🥳まず、‘あゆゆ’ ©️が、お友達を3人連れて現れた。1人はバイトモか学友、であとの2人がかなり質の良いお客さま、と。そら見りゃわかる。要するに、パブでカウンター越しに話されても、レベル・内容的にも‘あゆゆ’ ©️ではどうにもサバけないお客様、1人はTV 30 分番組でレポーターやってた(レギュラーじゃないにしろ)娘で、もう1人は年はその子とそんな変わらないけど、大学では先生だという。芸術系のリッチなとこの。うぉっ、通りで見たことある!シャンソン歌手じゃん⁉️
 いきなり華やか、と言ううちに三々五々、オシャレさまが集ってきてて。シャンパンの常備は🍾6本だが、はて⁇

 展覧会で知り合ったリッチな学生、しかも‘リケ女’ という‘ノエミ’ も、ピンクのシャネル・スーツを着て来てくれている。また、服のことならの、外苑東方面の‘服美子(フミコ)‘ も。勿論彼女、目にも鮮やか真っ青のボディ・コン・ワンピース🩱。あぁ、出揃ったなァ感。。
 みんな広間で、シャンパン片手に談笑していた。もちろん僕は、あゆゆの連れてきたハイレベルなトークの主たちと、ああだこうだの、彼女たちを感心させ・納得させるような話術に徹していた最中。。

 べランダでは、全く別次元のコトが進行しつつあった。尚且つ、曰く付きの机もある。(キャス、へやの小机を見て’どこで勉強するの❓’と小馬鹿にした。お育ち宜しくない発言⁉️大机はテラスに有る❗️)
 さてそれより、テラスには今キャスが居て、あの鳥目をキョロキョロさせている。特にキャスを意識したのでもなく、外の空気を吸いにと、ノエミがベランダに出た。そこで、ちょっとしたチグハグな会話があった🤭
 キャスの異様な鳥目を不審に感じたノエミが、

「なにか?どうかなさったの?」

と。すると、
「ここに、干しといたモノが無いの❗️」
「えっ。。」

と、ノエミは言葉を詰まらせて、薄暗がりの通りの方に目をやった。
「あら、、通りからも近いわよねぇ」
と、ノエミは敢えて平静を装って応えたのだが。。
 なんと、キャスときたら、その言葉のフツー意味するところがわかったのか、或いはわからなくてもノエミの心情方向が理解できたのか、ゲストのノエミを睨んだのだ❗️恐らく後者。。尖ったキャスの目線に耐えかねたノエミが、室内にcomebackするのは当然のこと。

 中で、ソファの僕にノエミがちょっと🤏とサインを。脇のあゆゆたちとは一瞬顔を見合わせたのだが、ノエミの態度には、逼迫したというべきか有無を言わせぬモノがあった。僕は、チョット異変に気づいた雰囲気でソファの話の輪から離れてピンクスーツのノエミに従った。

 広い部屋の片隅で、彼女が囁いた。
 “あなたのあの方(同棲中の)、大丈夫なのかしら?”
と、今の出来事を話した彼女は、
「ごめんなさい私、気分がよろしくないの。またの夜を❣️」
と言うではないか。無理に止める雰囲気ではなさそうだったので、すぐ車を呼んであげた。

 テラスに出ると、大きな鉢植えのパームの脇にキャスがいたものの今は、通りのノエミに焦点を当てた。煉瓦のアプローチの向こうのノエミは、到着したクルマに乗り込むとき、こちらを振り返ると軽く会釈して去った。僕に怒ってるわけではないから、そらそうだ、むしろ行く末を心配さえしてたではないか⁉️

 去り行くエンジン音が遠ざかると同時に、当然の如くキャスと目が合った。しかも、

「あら、ノエミさんお帰りになったの❓」

だって。うわー。。ついに、というかフツーの人にとっては当り前だけど、キャス的には遂に事件が起こったというのに❗️ーーキャスの洗濯物がなくなるの、当然といえば当然。
 これで流石に

フツーなら‘しまった!‘ ってなる

わけだけど。キャスは全くもって予想外、前代未聞の言動に出ることに❗️それはも〜う、抱腹絶倒・空前絶後・空前絶無❗️なななななななんと、

 「この辺て変なところね❗️」

だってさ‼️‼️‼️✖️10 ㉔・・・うわあああああああっ! へへっ変て、変な所ゎアンタのアタマだよ‼️つかそれよか、こーゆーキャス本体を第一印象で見抜けなかった自分て、キャス同等のマヌケ⁉️うわあああっ❗️1を知って10 を気づくチャンス、こいつホントに正真正銘のおめでたい、それこそ完璧なアーホとわかる瞬間は日常のどこかに絶対あったはずだ。・・てかよ〜く思い出して見ィ❗️ホレ、初めてここで一夜を明かした時。ここの設備の使い方を訊く言葉が、例えば’あゆゆ©️’が連れてきた玉学や桐トモのお嬢様方の‘当り前な訊き方’とは明らかに違ってた。
 お嬢様方はみんな、

『すみません、使い方教えて欲しいんですけど、、』

というカンジ、つまり使うためにきいている、これ当り前。ところがキャスときたら、どう思い出しても設備の使いにくさに対する文句が主眼に聞こえたし、更には自分の所はこうこうだ、という余計な話までし始めた。これは、相当失礼な話であって、勿論そもそもがお嬢様方のお言葉では決してない。
 なのに‘僕’ としたことがその時は、初お泊りの雰囲気を壊したくないという安易な心情から、折角感じ取った違和感を数秒で払拭してしまったのだ。
 ゴマかし笑顔に顔が歪んだというか。。しかも、間を置いてこーゆーことが3回あったなァ。間を置かず続けざまなら絶対わかったろうが、かなりの間があったためか、実際その都度モノ珍しさがあったってことだ。昔からお嬢さま的な娘にしか縁がなかったせいもあって、実にモノ珍しかった感は否めない。たまにだから。。しかし、間があっても、その何回かを糸で紡いで並べて引っ付けてみたら、ななんと

  ‘トンデモない病態’

が浮かび上がってきた❗️というわけで、時すでに遅し感、甚大‼️ 也々
 一度や二度でないのは、これはもう完璧に、所謂お里が知れた事柄になる。アーホとかいう以前の‘論外’の部類。ーーこれこそ僕の中では、最も受け入れ難い範疇だったのでは⁉️なんてこった、あなーんてこったったぁ。。
 ・・けど、1を理由に10を捨てる❗️という、後で‘英断’とゆあれる類を二十代のフラーテーションで実行するのって相当難しいものなのかもしれない。あの夜初お泊りの時、

 『帰って‼️』

と言えれば凄い。が今は
『お帰りください』
と言えるとゆーか、そもそもそうなる前に気がつくワ。流石に。。
 要するに、


‘来るものを拒まず’
ってゆーか、拒まなくて済むウェルカムな人としか出会さない。ーーまともな人間なら、生きているうちにそーいう状態に必ずなれるはずだ❓❓


 あ〜ぁ〜〜、あん時ほど力が抜けきって言葉がなかったことはない。キャスの奴・・まさに絶句❗️しかしカカシ、、中の広間は‘パーティー’の最中にある❣️
 と責任感といったら今更ヘン、だけど気分を変えてというか、僕の目線は、テラスのパームの黄緑の葉末に立つ、金金の紗を着た超ボディコンのキャスから、グルッと

 夜空に煌めくタワー方向ーーOh,wonderful…この素晴らしき眺望、これは只東京の中心ということでは断じてない❗️T.P.のうちのP. 場所、ではないのだ。それよりも居合わせたT. 時なのだ。‘時’はバブル真っ只中の1980 年代後半、週の大半4日は‘パーティーだ・マハラジャだ・エリアだ’と六本木界隈をウロウロする。まさか自分が遭遇することになるとは⁉️なんでかって❓それは、1920 年代のフィッツジェラルドの物語の世界で知った世界だったから。


1970年代に、散々スクライナーの原盤で何度も読み味わい映画でも繰り返し観ていた、謂わば想像の世界だった。それは80年代に入ったバブル助走期に買ったLD版‘metropolis’とも重なるイメージさえある、とても② 大過去未来の、それこそ自分とは別世界の夢のまた夢の世界‼️だったはずだから。なのに今、今のいま現実に目の前に燦然と箒星、百年に1度のほうき星のように輝き広がり手のうちに頑として実感存在しているからだ。この‘時’こそすべてなんだった。と、そんな思いの刹那、煌めくタワーの手前、それはお隣の(急に現実に引き戻されて)谷口さんのテラスのヘリにタワーは掛かってるんだけど、ヒョイ、と谷口さんのお顔が一瞬見えたのだ。
 つまりここは、フツーにしてたら決して目が合わないような設計になっていたが、敢えて伸びをすれば見えるかな、という。。そんなカンジでまま、ないでもないことではあったけど、僕は反射的に、

「こんばんは」
「・こんばんは、、賑やかですねぇ」

「すみません、ご迷惑おかけしてますー」
「いやいやそれよりも今、うちでちょっと多めに’おでん’を作りすぎましてね。」

という話の展開になって。。4月の夜はまだ、寒かった。

 というわけで、食べることが大好きなキャスは、単純にゴキゲンに豹変。とまあ、2人してワゴンを玄関先に用意して待つこと2、3 分もすると。
 話を聞いたゲストの皆さんも、ドアと居間を仕切るガラス張り方向に注目。
ピンポーン!

 開けると、こぎれいな黄色いミニスカのワイフさん、まだ二十代後半の谷口和女(かずめ)さんが、ワゴンを転がし入れてくる。後から入った先の‘ダンナ’がヒョイイとばかりに大鍋を、ワゴンからワゴンへ移し、一同注視の中、堂々食を招じ入れた。
 仕切りの内側は、オークのダイニング。まず、

『うっまっ❣️』

とあゆゆが声を1番にあげている、そのダイニングの奥が、例の古楽器屋で見つけた茶色猫足の小振りグランド・スタインウェイ。とそのさらに奥が飴色のソファ席。。『あたし、何か歌ってから食べる』と言ってソファに戻ってきたのは、レポーターの可愛く上品な娘🧑‍🎤で、入れ替わりにchanson歌手👩‍🎤ルミーが立ち上がる。

 反対側の壁際には、幾つもの流行のイルミネーションが置かれている。いわゆる何千本もの針棒のような中を光が伝って先端に雫となって輝き落ちていく、というカンジの照明とも言い難い置物電飾。
 一同、小腹の空いた人は分皿を手に、鍋に吸い付くダイニングテーブルに移り。そこでまず、
『うっまっ』
というあゆゆの声が再び響き、、。

 さて、当の隣人・谷口さんはというと、これもいつものことながら、たった20mの徒歩でも被ってくるオフ・ホワイトのボルサリーノ帽をピアノの脇に置き何気にそこにサッと座る。奥さんとは40近く離れてる隣人は帽子のシニアモデルさん。勿論それは副業なのだが。。ピアノに向かうgentleman 谷口・・
 2度と戻らないサイコーのとき、バブルの中でしか得られないこれ以上のものはないってカンジの陶酔感・恍惚感、隣人が奏でたのは、

  As Time Goes By … … … 時のたつまま 。。

イントロの重厚な響きに誘われて、飴色のソファの方に居たシャンソン歌手の‘ルミー’が、茶色いスタインウェイの脇へ行き、ソルトの容器を口元に近づけた愛嬌❣️ しかし、まろやかな歌い出しに皆んなうっとりとして耳を傾ける。。ホントにキレイな高音が出る人だった。

 “You must remember this…..A sigh is just a sigh ……………..”

 気品に満ちた黄緑色のワンピースさえセクシーに見えなくもない、そんな唄いだった。ウットリ・ルミーのあとは、明るい‘男と女’のダバダバ演奏は谷口さんに任せ、さらに某番組のレポーターをやっているTommyと呼ばれてる娘が、feelings を歌った。

 “もう、会えないこと
 知ってたけど〜”

 “いま
 あなたとわたしが美しければ
 それでいい! … … …  ”

 ガラスの向こう、
 テラスの外では、
 タワーが、これ以上ないってくらい煌々と輝き

 “愛は
 男と女の、、、”

 遥か、
 その彼方には、
 4月の星々が、
 纏面していたことだろう。

 明け方、4時過ぎにほぼ帰り始め、あゆゆ©️とそのお友達の例のレポーターの娘は話疲れたのか若さにかまけて夢語り議論し過ぎたか(実はこれには僕が付き合わされたのだが、というかもう昔から‘夢追う少女の係’らしい僕だから)1、2 時間、ソファでうたた寝してから帰っていった。。

      (つづく )… … ずっと下方に⇩次話クリック有
#アムロ   #邪馬台国 #斎藤茂太 #風吹ジュン



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