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「本」はもともと「聞くもの」だった

昨日は、文字を読む(読める)幸せということを書きました。
そして今日になって、ハタ!と気づいたんですね。
視覚障害のある方々はどうだろうか、と。

昨日の投稿はもちろん、目の機能的な話ではなかったのですが、そんなことを思いついたのは、母が昔、視覚障害者の方が利用するセンターで、朗読のボランティアをやっていたからです。

母は若いころアナウンサー志望だったこともあるらしく、アナウンサーになることはなかったですが、本が好きだったこともあり、最初は朗読の講座かなにかを受け、それからボランティアになったのだと思います。

利用者と対面で朗読することは少なかったようですが、家でマイクを使ってカセットテープに小説や、希望のあった本をよく録音していました。そういったテープの図書室があって、利用者の方が聞いていたようです。

それで思い出したのが、荻窪のブックカフェ「6次元」のオーナー、ナカムラクニオさんの「本の世界をめぐる冒険」に書かれていたこと。
NHKのテキストと同じ棚にあって、テキストかな?と思って手にとったらそうではなくて。本というものがどのように発展してきたか、わかりやすく書かれているテキストのような冊子でした。

それによると、「むかしむかし、「本」は人間でした」とあります。
語り部と呼ばれる、記憶力がすぐれた人たちが、自分たちに関係ある大切なことを、口伝えしていたんですね。

世界史で必ずでてくる、ヨーロッパ最古の詩人ホメーロスの「イリアス」や「オデュッセイア」は、リラという竪琴に合わせて宴会の席で歌われていたそうです。
インドの「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」も語り部によって伝えられたもので、そういや教科書に載ってたな、それ、、という感じです。

そして恥ずかしながら覚えてない、いや、知らなかったのかも。「アリとキリギリス」や「うさぎとかめ」などのイソップ寓話が、紀元前から語り部たちによって伝承されてきた古代の物語が起源で、奴隷の身分だったアイソポス(イソップ)が生きのびるための知恵として、人々に伝えたものだったということを。
イソップって、奴隷だったの?! 中世か近世の作家かと思ってた(無知すぎて呆れる)。

日本の古事記も、稗田阿礼(ひえだのあれ)が人間テープレコーダーとして暗誦した物語を編纂したもの、、って、どれだけ記憶力がいいのでしょうか。

最近、世界でもオーディオブックが人気になってきているそうで、なんだかぐるりと戻って行っているようです。

私個人は、紙の本の成り立ち(原本、写本、印刷)に興味があるのですが、本の歴史は面白いなあ、とあらためて思うのでした。




書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。