見出し画像

「よく頑張ってきたよ、私」から始まる

もうすこし本棚をなんとか整理できないものかなと、ごそごそしていたら、だいぶ前に買った画集のタイトルが目に留まりました。
「聖なる森の物語」きたのじゅんこ著(MOE BOOKS 白泉社)

あら~、そういえば「聖なる森」の画集持ってたっけ。
先日購入したオラクルカードと近い世界観。

繊細なタッチで幻想的な世界を描く、きたのじゅんこさんは昔から大好きです。
妖精、精霊、魔法使い、植物、森、鉱物、宇宙、天使、ケルト・・・
こんな絵が描けたらさぞ楽しいだろうなあ・・と憧れていたのはもう数十年前。昔はばくぜんとした憧れでしたが、今では葉っぱや花はだいぶ描けるようになり、ケルトの世界もカリグラフィーを始めてから、ほんのすこし近くなりました。
この画集の初版は1996年。購入したのは2001年の版でした。

こうしてみると、興味のある世界は変わらない。
離れてたとしても、やっぱり戻るみたいです。

先日「エルフ」のカードを引いたことを書きましたが、実はその2日後も、さらにその次の日も同じカードを引いて、笑ってしまいました。
それだけでなく、自分が引いたカードのテーマとyoutubeでよく見るあちこちの動画で言われるテーマが同じ、ということが毎日のように頻発していて、さすがに「私っていま、かなり重要な局面にいるのかも?」と思わざるをえません。

自分自身と物事のプロセスを信頼すること、だめな自分も丸ごと肯定すること、望まない事ではなく望むことに焦点を当てることなど、繰り返し繰り返し言われているようです。

目にうつる~すべてのことは~メ~ッセエ~ジ~、と、あっちからもこっちからもキーワードが飛んでくる。
「こんだけ繰り返さないと、アンタわかんないでしょ」と言われているみたい。

最近は「私って、よくやってきたよな~」とつぶやいたりしています。
うん、ほんと頑張ってきた。頑張ってきたよね~
と自分に労いの言葉をかけたりして。

虐待されるとか、いじめにあう(子供のころちょっとだけあったけど)というような、自分にとって原因がわかりやすい困難さではなく、自分自身の思考や性質で「作り上げてきた生きづらい世界」の中にいたな、と振り返るとわかります。
でも、「自分で世界を作っている」ということが、いい大人になるまでわからなくて(知らなくて)、ハタから見ても決してわからない「生きづらさ」だったなあと。

そうして長いこと、無意識に自分にダメだしをすることが多かったのだな、と思います。そのくせはまだ少し残っているかもしれません。
だけどもうそういう部分もひっくるめて丸ごと自分を「よしよし」とするところからしか始まらないなと、つくづく感じています。

貴様いつまで自分にダメ出ししてるんだ問題
なんて、ジェーン・スーさんの本のタイトルみたいなことを思ったり。
(「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」)

3回めの「エルフ」のカードを引いた朝、youtubeでかけてた曲の画面をふと見たら、森のなかで小さな妖精が行ったり来たり、ちこちこ歩いている動画が出ていて、びっくりしました。
だってその曲、もう1年以上前からよく朝かけていて、幻想的な湖と樹々の映像が映ってるだけだったんです(時々古代文字ルーンが浮かび上がります)。
でも、最後の数秒になぜか妖精の映像が入っていて、それに気づいたのが「エルフ」のカードを引き続けた朝でした。
思わず「なんか奇跡が起こった?!?」と思ってしまった。

気づいても気づかなくても、自分の周りにはいろんな面白いことが起こっている。
いつか、これもあれもそうだったと、もっと気づくことがあるのかもしれません。

上の動画、吉岡純子さんが作る曲は波動調整を意識して作られているので、数年前から朝起きるときに流しています(ほかにもいろいろ曲があります)。
一応私もクリスタルボウルの演奏者なので、音で整えることも意識しています。

と、日々コツコツ生きているわけで。
そのコツコツって地味でなんの変化も感じられないこともあるから、そういう時こそ、よくやってるよ自分と言ってあげたいのです。

書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。