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虹を見るのは魂のステップアップ

今日は違うこと書こうと思ったのですが、
夕方、自分の部屋の窓の正面に虹が出まして
きゃーーーーーーーーーっ!
とコーフン。
虹のことを書くことにしました。

長いこと住んでいる場所ですが、
部屋の前に虹が出たのを見たのはこれで2度目です。
それも1度目は、つい数年前だったと思います。
noteにも書いたかな?

虹を見たときは、魂がステップアップしたとき
なんていいます。
そんなもんかな、って話ですが
どうやら本当にそうかもしれないという経験があるので
たぶん、きっと、絶対そうなのだと思います。
当人はなんのことだかわからなくとも。

以下、かなり霊的で個人的なことなので書くこともないと思っていましたが、
せっかくだから、さらっと簡略に書いてしまおうかな(どきどき)。
明日は8日、ライオンズゲートってやつがめいっぱい開くらしいですし(特に意味ないかもだけど)。
その手の話が嫌いな方はスルーしてください。

でも最近思うのですが、
いまこの目の前の現実(に見えること)が全てだとすると
どうにも救いがないように感じることはないですか。
どうしようもなく嫌なことがあったり、
八方ふさがりだったり、
そんな状態だけが現実だなんて。
でもそれは自分が見ている世界のほんの一部で
見えない世界はもっと広がりがあるし、
頭の上はどこまでも空いてるわけでね。
だから私はときどき、霊的スピリチュアルなことを書きたいのです。
目の前に見えているこの世界が、絶対なわけではないということを思い出すために。

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ずいぶん前のことですが、
イタリアに行きまして、
そのときのお土産を、ある友人に郵送で渡しました。
友人はかなり霊的能力のある人なのですが、
お土産に私の過去生の魂(霊)がくっついていっちゃったらしくて・・
(はあー?!ってなった人は以下読まなくていいです・笑)

つまり、私がイタリア人だった時の魂が友人の前に出てきちゃったらしいのです。
これはもちろん、私とその友人とイタリアとの縁があったからなのですが・・。

え、どゆこと? と思いますよね。
いま私はここ日本に生きているわけで、
それなのに、過去の魂が出てきたって・・・?
と思うわけなのですが。
魂は個体で、それが過去から未来に向かっていろんな人物に生まれ変わっていく・・・ということではないようです。
そういう個ではなく、もっと大きいものみたい。
過去も未来も、いまここに同時に存在している、ともいいますしね。
残念ながら私にはちょっと、詳しく説明ができません。

たとえばイタリアに行ったりすると、
昔そこで生きていた人が、いまもそこにいるということがあるようです。
聖堂の中に、昔生きていた修道士が今も立っている。
私には見えないのですが、エネルギー体みたいな感じで残っているのでしょうか??
でもその人はおそらく、今どこかに生まれ変わって肉体を持って別の人間として生きているのかもしれません。

昔生きていた場所に思いを残していて、なにか癒されないものがあると
そこに旅しに行きたくなる、ということがあるようです。
今は世界のあちこちに自由に行けるようになったので、
過去の思いを直接清算できる機会が増えたのだと思います。
(もちろん必ずしも行かなくてもいいかもしれません)
本人はそういったことを何も意識していなくても。

そんなわけで、その人(昔の私)はずっとイタリアに思い(エネルギー?)を残していたのだと思います。
当時の私はしょっちゅうイタリアに意識を飛ばしていたので、
そういう状態の人は、魂の一部がその土地に残っているのかもしれませんね。

そんな昔の私が、物(お土産)を通して私の友人のところに現れてしまったみたいです。
ほとんど何もしゃべらなかったようですが、名前は名乗ったみたいで、
友人ははっきり聞き取れなかったということですが
頭の文字を聞いて、私はわかってしまったのですね。

昔生きていた人ですから、キリスト教の狭い世界の観念の中で
窮屈な考えにとらわれていたようです。
詳しいことは書きませんが、私の友人がその古い考えを解くようにしてくれたことを、あとになって聞きました。

ある日、仕事を終えた私は会社から出ると
目の前に大きな虹が出ていました。
それもダブルレインボー!!
おそらく、人生で初めて見た二重の虹でした。
興奮してそのことを当時ホームページかなにかに書きました。
それを見た友人が、日付と時間を聞いてきて
私が虹を見た時が、昔の私の魂が救われたのとだいたい同じ時だったことがわかりました。

私自身があまりいろんなものが見えたりしないのは、
すごく怖がりだからだと思うのですが
まわりにはいろんな人がいて、不思議な体験がけっこうあります。
ただ、正常バイアス(使い方が違うけど)みたいなものが働いて、
不思議な世界に行き過ぎないようにしているのかもしれません。

だけど時に、日常にとらわれ過ぎて
自分が何もできないちっぽけなものに感じることがよくあります。
ふだんの生活を普通に生きることが大切だけど、
普通は退屈だったり、何かに縛られたりすることではなく
見えない事柄の助けも借りながら
面白く生活できる場にしたいと思うのです。

さて、私の魂は今日、どんなふうにステップを上がったのでしょう。

書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。