見出し画像

 Re出逢い 16

『 会う派 』と 『会わない派』
もしも、私が、逆の立場だったら、どちらになるだろうか?

2021年1月、私はふと気づくとICU(集中治療室)にいた。なんだか、いっぱい管がくっついていた。
いったい何が 起きたのか分からなかった。
T○○病院の方々のお蔭で、 およそ一週間ほど、何度もあっちへ行きそうになったりしたそうだが、こっちに戻して頂いた。
そして、一般病棟に移って、意識もはっきりしてから、自分に何か起きたのか先生から説明を受けた。
前年度末の肺腺癌の告知の時は、すでに脳に転移していてボーっとしていたので、 驚きも悲しみも感じなかったが、今回は、もう一度意識を失いたいくらい、どっひゃーん!なことであることを認識した。
先生曰く、どんなに原発巣が小さくても、すでに転移しているとそれはもうステージ4なんだそうだ。一ーーちっとも嬉しくない飛び級!?
病気になったことは敢えて言いふらすことでもないが、 立場上、迷惑をかけてはいけないので仕事関係の方には、伝えた。
後は、 「もしも・・・」の時を考えて会っておきたい、「ありがとう。」を言いたい方には、伝えよう...としたが、結局は、まだ生きていられそうなので、あの時、先走らなくて良かった。 ーーー我ながら、ほ〜んとせっかち!
幸い、今は薬の副作用もたまに発疹が出る程度だし、食欲もあるし、元気である。されど、パンデミックと重なり、免疫力や、体力の落ちてる私は、インドネシアへ戻ることを断念せざるをえなかった。
そうこうしている間に、半年が過ぎ、1年が過ぎた。

当然、“どうしてる?” “ 元気?"と連絡がくる。なるべく、軽く返信していたが、そうもいかない場合には、“ いやー、実はさぁー"となる。
やむ無し、事情を話すと、ここで『 会う派 』と 『会わない派』2つに分かれた。どっちがいいとか悪いとかじゃない。どちらも私を思ってくれての対応であることに変わりはない。

『会わない派』
「落ち着いたら会いましょう。」あなたにとって落ち着くのは、いったい、いつなんだろう?
ーーーの気の長い系

「どうよ?」と、退院直後からこう聞いてくる。結構頻繁に、聞いてくれるけど、
「最近、どうよ?」と聞いているのは、この場合、たぶん私の病状を聞きたいわけではなさそうだ。
もう一緒に飲めるのか? 一緒に旨いもん食べに行けるのか? Yes or Not yet? ってこと? ーーーそれってどうよ!?系

あとは、分かり易かった系
インドネシアにだって、ちゃんとした日系コンサルタント会社も会計事務所もある。そういうとこには、ちゃんとインドネシアの法律とか労務とか税務のプロの方がいらっしゃるけれど、 当たり前だが、 そこへ行って相談したら、一時間いくらと金がかかる。
サービス業で進出を考えてる人だと、そこへ行く手前に情報収集したいのだろう。
私だと、ちょっとランチ食べに来たついでに軽くアレコレ地場情報を聞ける。しかもタダ!
さらに、てっとり早く適した人を紹介しちゃったり!までしてた。私は、気が短いし、慌しいランチタイムに長々としゃべってる暇なんてないからそうなっちゃう。
それに、 他人事ながら 「段取りワリぃなぁ一、何で調べてから来ねぇんだよ!」って思うと、ついお節介ながら・・・ってことになってしまうのだ。
そんな時期もあったからか、私を 「社長、社長」と呼ぶ人 ーーー昭和初期の客引きかっ!?
産んだ覚えもないし、ファミリーのような生活を共にしたこともないのに「母さん」と呼んだり「お姉さん」と呼んだりする人もいる。
しかし私は、下町の小さいながらも町工場の社長の末娘である。
商売というのはいい時もあれば、悪い時もあり、それで周りの人が父に対して寄ってくる時もあれば、離れていく時もあるのを幼いながらに見ている。
世の中そんなもんだと思っていたから、そういう人が、私が一線を退いたからと手の平を返す様にピタっとコンタクトを取らなくなったのは、 逆に良かったと思っている。
そこまで極端でなくとも、上昇志向の強い人だと、ちょっと距離をおくのかもしれない。「只今病気になって、無職!」っていうと、そういう人間のそばに寄ると運気が下がると感じる? 少くとも、 パワーアップにはならないと思うのだろう?一ーー意識高い系?

悲しいことにーーー引かれてしまった系もあった。
私が、びっくりしたのが、 「絶句」という返信。
「祈る!」と一言。以上。
「怖い」と相手を怖がらせてしまったこと。
嬉しかったことや楽しかったことは、もちろん友人に話したい。
そして、 辛いこと、悲しいことは、誰かに話すと少し楽になる。
とは言え、 愚痴をウダウダ言う奴は嫌いだ。
涙をハラハラと流すキャラでもない。
苦しみや悲しみは、ため込むと大きくなってしまうとは言え、「私は癌になりました。」ってぇのは、ちと重いかと思って『それでも笑って楽しく入院体験』ってブログにした。 ・・・それなのに、
あれを読んで 「びっくりして、あの、 いつも元気だったあなたが・・・と思うと、怖くて連絡をとれないビビリの○○です。」と彼女のご主人経由で連絡がきた。
ショックだった。
あれですら、自己満足だったのか?と反省した。
ICU  で 命を救って頂いた私はRe.Bornだと思った。 そんな私が、今回は癌を持って生まれてきただけ。
それを受け止めてはもらえないということ?
さみしいなと思ったけれど、人の思いとはそれぞれで、 その人にとって重い、怖いことならば離れていればいい。そう思った。

パンデミックで「会わないのも愛」 確かにそう思う。ーーー会えない時間が愛育てるのか?系
実際に会えなくても、繋がってる糸を感じ続ける相手とそうでなくなる相手がいるのは、相性?運命?

『会う派』
「言葉がありません。」と返信してきたくせに、翌日、車飛ばして何十年ぶりに会いに来てくれた人。
「えっ、ホントに来たの?まだ死なないよー!」
「いや、今日、お天気良かったからさ。」

「我々は、クニコさんを大事な友達と思っています。 早く飲みに行きましょう。」 

朝から号泣させられた手紙と本

自分は妊婦だってのに「私が、会いに行きます。」

「体調どう?」と気にしてくれつつも「あなたに、会って飲めればそれでいいんだから。」

ーーー時を越えて、世代を超えて、距離を超えて、ずっとそう言ってくれる系
どれも涙が出るほど嬉しい再会であった。



私は、この町の唯一の救急医療設備が整っている、肺腺癌を診ることができる呼吸器内科のある総合病院の、唯一人の白衣を着た方と折り合いが悪くて、「どうしても、この人に私の命を託す気になんかなれない。ぶっ倒れたら、そん時はそん時だー!」と思って、近所の小さな呼吸器科のクリニックへ駆け込んだ。
そして、幸いS先生という医師に出会った。S先生は良い事も悪い事も全部ちゃんと私に話すと約束してくれた。初診の際に、そうして欲しいと私がお願いしたのを覚えいてくれて、毎回、丁寧に説明してくれる。
先日、分かってることを、勇気を出してもう一度確認した。
「 あのぉ、先生、 今さら?の質問ですが…。ステージ4ってことは、もう治ることはないってことですよね?ぶっちゃまけ、あとは、死ぬのが早くなるか遅くなるか? ですよね?」
「あのね、ステージ1で早期発見された方が、突然悪化して亡くなることもあります。 ステージ4の方が奇跡的に長生きされることもあるんです。 」
先生は、もう一度、私の目を見て、言った。
「決して、諦めないで下さい。」

私の中でムクムクと力が湧いた。奇跡を私が!創ればいいのね?
いやっぽーー!

医師に身体を診てもらっていたこの1年間。私は、自分の内を見つめる1年間であった。
これは、もしかしたら、私の中でいい『Re.出逢い』を創れたのかもしれない。
そして、

2022年 素敵な『出逢い』があることを
私は、諦めない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?