学校の教えだけで獣医になった少女の幼少期

私は獣の女医である。
頭はそれほど良い訳でも無く、しかし公立の小、中、高校に通い、塾や予備校に通うことなく獣医大学にストレート合格した。
高校で毎月受ける模試で、獣医大学への合格可能性がEランクの20%以下、しか見たことがない。
熱意と情熱だけではどうにもならないことがあると知っているが、熱意と情熱があれば大半のことは何とかなるとも思っている。

さて、今日はそんな私の幼少期のことを話したい。

母は毎日2回、私を公園に連れていった。
私が1歳手前、初めて発した言葉はその公園でみた「アリ」と「石」だった。
それを聞いた母は喜んで日記に書き留めていたのだ。
私の勝手なイメージでは、パパが先か?ママが先か?やっぱり毎日一緒にいてお世話してくれるママが1番だよね。みたいな。
それがまさかのアリ。
それに疑問を抱くことも残念がることもなく素直に喜ぶ母。
私はそれを聞いて母に少し申し訳ない気持ちになったのは言うまでもない。

それからも公園が好きで、自然や生き物に触れるのが好きな子供だった。

動物園に連れていくと、サル山の前を1時間は動かなかったと言う。
大人になって動物園に行くとわかるのだが、子供は興味津々でも、大人がそれに付き合っていられないものだ。
うちの両親はそれを気が済むまで見守ったのだから感謝しかない。
そしてそう育てるとこう言う子が育つ。

幼稚園になると女の子同士おままごとやお母さんごっこなるものをするようになる。
基本的にはお母さんが人気で、誰がお母さん役をやるかで話し合いが必要になるが、
私は望んで毎回ペットのネコ、イヌだった。 
そして幼稚園の送り迎えの際、自転車の後部座席に座り、毎朝遠吠えをしていた。
この頃の記憶はもうハッキリ残っている。
母に、恥ずかしいからやめて欲しいな、と言われたが、皆が私の遠吠えで振り返るのが快感だった。
つくづく母には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

小学生になった。

学校の図書の授業では、図書室の本を3冊まで借りることが出来た。私は毎回、2冊の絵本と動物図鑑を借りた。
ひとつの動物図鑑を、借りては返し、また借りて、他の児童が手に取ることがなかったんじゃないかと心配になるくらいいつも眺めた。
好きな動物が何ページのどこに載っているか、大抵把握していたし、ほんの少しだけかかれた動物の解説文も暗記していた。

母が読書や読み聞かせが好きだったために、私も本は好きだった。
両親に懇願して初めて買いに行った本はシートン
しかし出向いたお店にあったシートン動物記は少し上の学年向けの本で、びっしりの文字に怯え、低学年向けに作られていたファーブル昆虫記を買ってもらうことにした。
ここで虫の魅力にも触れることになる。
そもそも、初めて発した言葉がありなのだから、昆虫に興味が無いわけが無い。

ファーブル昆虫記を一通り揃えて、一通り読み潰したころには、シートン動物記もことなく読めるようになっていた。
実家の本棚にファーブル昆虫記とシートン動物記が並んでいた。
シートン動物記には、やはりファーブル昆虫記以上の、なんとも表せない魅力が詰まっていた。
直ぐに虜になった。
特に、ギンギツネの話と、ギザ耳うさぎの話は何度読んだか分からない。
想像して、ギンギツネの絵も書いたりした。頭の中で名前をつけて、ペットのように空想で可愛がっていた時期もあった。
言っておくが頭のおかしい子だと思わないでいただきたい。少し変わり者だったことは認めるが、狂った過去をさらけ出して笑いものになるつもりは無いのだから。

学年に上がっていくと、図書館で出会う色々な本に魅了され興味の幅が広がっていった。
3年生の時にハマった愛読書は、「スズメが手に乗った」だ。
ハトは触れるのに、スズメは警戒心が強く触れない、これは日々自然の生き物に触れながら自分の出した結論だった。
しかし、公園のスズメを手に乗せることが出来るというのだ。
タイトルと表紙だけで私は引き込まれた。
歓喜に溢れ、また、愕然とし、驚愕、そして自分には出来ないと諦めていたことを恥じた。
やってみたら、いや、やってのけた人がいて、それを本にしていたのだ。
すぐに読み漁り、そして野生動物と仲良くなる術を学んだ。
それはそれは時間がかかり、根気のいるチャレンジだった。
私は作者を心の底から尊敬し、すぐに実践に移した。
しかし、毎日同じ時間、同じ場所で、何時間もスズメを待ち続けることは、興味関心の幅広い小学生には少し無理難題で、結局成し遂げることは出来なかった。
そもそも、友達と一緒に公園に行って、誰1人スズメを脅かさずに静かに見守り続けるには無理があったからだ。
それでも今までとは違って、格段に近い距離でスズメを観察できるようになって私は十分満足していた。

4年生に上がり、次にきたブームはイルカ。
恐らくは水族館か、アニメの影響かで好きになり、一時はイルカの調教師を夢見ていた。
そんな時手に取ったのがイルカ療法、いるかセラピーの本である。
タイトルが思い出せないのだが、後に購入して愛読書としていたし、この本が私の人生の最初の岐路をこちら側に導いた本だ。
そこにはイルカの持つ力、イルカが病気を治したり、人間の閉ざした心を開いたり、時には不妊治療までしてくれると言うのだから驚いた。
また、その本にはこう書かれていた。
イルカがイルカの力を発揮できるのは野生でのびのび暮らしているイルカである。
水族館に囚われているイルカにはこの力が発揮できない、と。
この表現には賛否両論あろう。
しかし小学生の私は素直に読んで素直に理解した。そうか、飼育下のイルカは囚われて、本来持つ能力を失っているのか、と。
そう思うと、少し気の毒に思えて、私はイルカの調教師の夢を見つめ直すことにした。
そしてバハマでいつか野生のイルカと泳ぐ日を夢見ることとした。

長くなったので続きは次回に持ち越そう。
ここまでお読みいただいた皆様には感謝申し上げる。


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