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約30年前のニューヨーク・強気JAPANからのドイツ人OLの話②

 移民たちがひしめき合いながら創り上げた街は人種のルツボと呼ばれ、得体の知れないパワーに魅了される者が続出。自分もそのひとりだ。

 前回(最後にあります。お時間あるとき読んでください)も書いたが、英語レベル1初心者クラスでは、先生との交換日記があった。

 あるときNYと日本のホームレスについて、自分が受けた印象の違い(能動的と受動的みたいな)を書くと

「ぬ、ぬゎんと? 経済大国の日本にホームレスがいるなんて。信じられない!」

 アメリカ人の先生はとても驚いていた。

 たしかに日本はイケイケドンドン時代。コロンビア映画、ロックフェラーセンター、エンパイヤステイトビル……ほかにもガシガシ買収していた。

 そんな国にホームレスがいるわけないだろと、先生は本気で思っていたのかも知れない。

 企業だけでなく、一般市民も海外へ飛んでは爆買い。パリのブランド店で大行列を作るのは日本人、棚に残る最後のバッグを奪い合うとか。

 英語クラスの友達と、マイアミへ遊びに行ったときはホテルで驚きの光景を目にした。日本のツアーガイドさんが、段ボール箱から幕の内弁当を次々取り出し、ロビーテーブルへ並べている。

 その後どうなったかまでは見てないけど、あの頃なら、日本人団体様がロビーを陣取って皆で弁当を食べていても不思議じゃない。それくらいの強気⭐︎JAPANだった。

 爆買い中国人マナーや、日本の土地が買われてますっと嘆くニュースがあるんだけど、日本が勢いにのってた頃は、同じようなことをしていたんだなと。事実としてね。それはアンタたち年寄りの話でしょうと聞こえてこなくもない……まあ、ある意味そうだ。

 考えてみたら、SNSが無い時代で、ずいぶん助かったんじゃないか。「旅の恥はかき捨て」なんて、どえりゃあ言葉引っ提げて、方々へ出掛けてたんだもの。語源はさまざまらしいが、私や周囲の一般的な解釈を思い返すと、やっぱりあかん反省反省。

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 3ヶ月ほど過ぎた頃、私は学校近くの女性専用施設へ入居した。民間経営なので、海外からの長期出張組やアメリカ人?のお婆さんもいる。食堂に行くと、世代の違ういろんな人と会えて、そこは会話の実践場となった。

 ひとりのドイツ人OLと食堂でよく同じ時間帯になることから、会えば自然と同席した。

 ある日、コーヒー片手に母国語と思われる新聞を読み耽っていた彼女が、急に顔をあげて

「たしか日本から来たんだよね? あなたはどっち? 右? 左? 日本の政治っていまどんな風になってるの?」

 グイグイ質問してきた。(最初はなんのこっちゃ分からず、何度も聞き直して理解)

 自分がふつうに馬鹿なのもあるが、1960年前後生まれ(から以降も。かな)は、このての話題に関して軟弱世代。

 学生運動も身近でなかったし。浅間山荘のときで小学生。その2年前には、大阪万博で

「こんにちは〜♪こんにちは〜♪世界の〜国から〜🎶」

 なんて気分良く歌ってたからさ。意識は一億総中流階級っしょ。360度平和な空気に包まれて、大人になったんだもの。

 言い訳ばかり頭を過ぎるが

「えっとぉ日本は平和でぇ政治のことは、あまり考えない……かな」

 あやふや以下の答えで濁す自分と

「今のドイツはこう。でも私はこう思うのよ」

 確とした意見を堂々と述べる同世代女子とのギャップに大きなショックを受けた。

 学校でも、ときおり各国の政治が話題にあがるが、日本チームは(たいてい)おとなしい。

 ロサンゼルスで、黒人と韓国人コミュニティが争ったの(撃ち合いまで起きた)のもあの頃で、同じクラスの韓国人は「今からデモに参加する!」と。それに対しても、日本チームは
「へえ、そうなんだ」テンション低め。

 それから30年以上が経ったが、自分の子を見る限り、関心薄いところは変わってなくて。ある意味幸せなことだけど……だんだん他人事では済まされなくなってきそうな今日この頃。なんとも難しいこっちゃと。憂う。

 書いては消し書いては消ししてたら疲れた。次回はグリニッジ・ビレッジでの楽しかった思い出を書こうと思う。

 読んでくださりありがとうございました。

                つづく

 前回の話です。

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