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散文雑文追って書き


【約2700文字です】

別役実(1937〜2020)さん。それまでよく存じ上げなかったのだが、知り合いから誘われた講演会に登壇されいて、いちど話を聞く機会があった。

講演会は、3.11大震災から数ヶ月あとのことで、東京は少しずつ通常モードになってるものの、まだまだ暗い塊りを抱えていた。

別役さんは、震災や原発事故がもたらしたこの国の現実とそこから見えること、そしてもちろん演劇についてなど

いろんな話をされ


宮沢賢治の『アメニモマケズカゼニモマケズ』を引用し

「このマケズ

雨に負けないよう
風に負けないよう

対抗するのでなく

(戦うとか張り合うのでなく、というニュアンスだったような気がします)

雨で倒れても倒されても
風で倒れても倒されても

起きあがる、何度でも起き上がる

そのマケズなんだと
思いますよ」 

そのように言われた。

胸に響いて私は慌ててメモを取った。宮沢賢治が好きだったという別役さん。今回、ノロノロ断捨離中、その時のメモをみつけたこともあり、別所さんを再ググもといネットサーフィンした。

すると渡辺知明さんという方のYouTubeに
出会った。『セロ弾きのゴーシュ』(宮沢賢治著 角川文庫版)に寄せた、別役さんの解説「命をかんじとる」を朗読されている。

〝別役さんが捕える宮沢賢治〟が、渡辺さんの声を通して心に染みた。別役さんのお話もっと聞きたかったなぁ。読みます。


別役実さんが言われた「倒れても倒れても起き上がるという行為」

頭の中で映像化してみると

おろ? 

その動きって、コンテンポラリーダンスや舞踏でよく見かけるじゃんか。こちらでは具象(雨や風)というより、重力が関わるらしい。

よく何してはるのんやろ?
と最初は思ったものだったが

舞踏の創始者とされる土方巽さんの著書
『病める舞姫』(土方巽、白水社 1983年、2011年復刻)のあとがきにヒントがあった。

カバーも表紙も優しげな風合い。なのに中身は優しくない。笑


注【この本、自叙伝とあるが難解。土方さんの頭からこぼれ落ちる言葉をそのまんま羅列したよな本。今回note書くのに本棚から出してきてパラパラめくったが、やはり難。笑】


そういえば舞踏解説者の國芳和子さんも(後述する本の中で)

もう読むのを「止める舞姫」などと、冗談を飛ばしながらも、手放せない

と、表現されている。言い得て妙。笑。とにかく専門家がそう言うくらいの本である。

そのあとがきに澁澤龍彦氏(1928〜1987)が文を寄せていて【渋沢栄一の親戚だとか東大から作家への転身など、華麗なるバックボーンのうえサド裁判(わいせつ文書販売)などと経歴辿るだけで魅惑される】

時代背景や土方アプローチを詳しくされている。おかげで疲労困憊の読者はここへきて(あとがきにきて)やっとこさ、ホッとするのだ。

あとがきでホッとするてどんな本やねん!と、いちおう突っ込んでおこう。

少し抜粋(長い前後から乱暴に抜粋してるので、可能なら全文お読みください)

ニーチェは「重力の魔」から解放されることをしきりに願っだが、東洋人である土方巽には、むしろ重力は敵対すべき相手ではないように見える 〜略〜 

おそらく彼は「重力の魔」を手なづけた、新しき日本のツァラトゥストラとして〜略【あとがきより】

土方さんは、大地を身近に捉えていた。とは、舞踏界の通説だ。欧米バレエは高く高く空へ空へだけど、日本はどうしたって手脚短い(当時の話ね)んだから、まずは地面に立つこと。日本発の踊りはそこからだと。舞踏解説本には、そのように書いてあることが多い。

『土方巽の舞踏』(川崎岡本太郎美術館、慶應義塾アート・センター編 慶應義塾大学出版会 
2004年)錚々たる面子が寄稿している。

國芳和子さんのさっきの話もこちらへの寄稿文から抜粋させてもらった。

失礼ながら表紙トリミングしました。洋服着てる方が土方さんで、もうひと方は、お顔から玉野黄市さん。早くからアメリカへ拠点を移したお弟子さんのひとりで、大駱駝艦アメリカツアーではお世話になった。明るく個性的な方だ。


なかに人生後半はちょっぴりお騒がせ?だった石原慎太郎氏の文がある。

ああそうだ、この人はセンセーショナルな若者を描き、颯爽と文壇に現れた作家さんで、石原さんもひとりの熱き若者だったのだ……な。


暴れ猫を抱いて踊ろうとするが猫に嫌がられて上手くいかない弟子に
「お前は猫の重さに負けてるからだ」
次に土方さんが抱いて踊ると、暴れ猫は赤ん坊のようにジッとしていた話など

石原さん視点で、ここでも重力と土方さんや舞踏が語られる。

そして文の途中に
岡本太郎氏と石原慎太郎氏の会話が出てくる。

太郎さん晩年(太郎さんは業病が進み、敏子さんに手を引かれていた)石原さんが、久しぶりに太郎さんに会ったときの話のようだ。

寄り道だが、おもしろいのでこちらも抜粋。

その眼差しだけは相変わらずきらきらと輝いていて、私は思わず
「いいねえ岡本さん、相変わらず気のふれた少年みたいで」
いったら彼がその意を捉えかね、
「なんだい、その、気のふれたってのは」
聞き返してきたので、
「半分気違いということですよ」
いったら、すかさず、
「じゃあ、お前だってそうじゃないか」
と切り返してきて、私はたまらなく愉快だった。【原文まま】

柱の影から覗いてみたかったシーンだ。


さて、倒れて起き上がる動作から繋がったのだが、ふと、宮沢賢治も土方巽も東北地方の生まれ育ちだなと。ならば、この地域土壌空気が影響する?

と思ったが
いやいや、先ほど登場した岡本太郎さんが「沖縄文化論」(中央公論新社 1996年)でぶち上げてた中にも、同じ匂いがあったぞ。

立ち上がり方(ハウトゥー)は、ちょっと違うが、岡本太郎が沖縄で感じた中にもそんなイメージがあった。沖縄の受け入れ方(ひいては日本列島の、、になるんだけど)

倒れても倒れても気付いたら立っている。

全方位受け入れ倒れ
からの
飄々立ち?

語彙素人。ごめんなすって。

でも演劇やダンスされてる方なら、イメージしていただけると信じて。(私は両方しません想像だけ笑)

では東洋で括る?

倒れても倒れても起き上がる東洋

はて、事によると

ベトナムで難儀したアメリカ兵たちなら、うんうんと頷くかも……

偏屈的妄想が一人歩き

とうとう地球儀を廻す。

お?
ビッケちゃんのあたりな。ここもみな粘り強そうだよスウェーデンとかノルウェーあたりの海賊ね。海か。ああ海よ、そこには何があるの。なんつって笑。

もうね
ここまで来るのに5倍くらい僻遠の地を彷徨い 

頭から煙出てるハズで。よって終わりにしよう。

徒然なるままにぃ。

ここまで読んでくれた方、ありがとう😂

〈舞踏やいろいろな方については私個人の勝手な見解妄想です。よろしくです〉

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