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琵琶湖のそばの少年、大海を知らず

担当:山本

very50で昨年の11月からインターンをしている、滋賀県出身、慶應大学経済学部2年の山本遼馬です。

今回は、何かに導かれるように滋賀県の田舎町を出て、大都会東京で生活するようになった夢見る口だけペーペー少年の心境と決意について話したいと思います。

・2流だらけな田舎生活

能力とはいつも相対的なもので、「慶應大学に入れているのだからあなたは天才だ」と言ってくださるような人はたくさんいます。

しかし、そんなことは百も承知な上で敢えて声を大にして言わせて頂きたいことは

「僕は勉強において2流だった」

京都大学への輩出者数が全国でもトップクラスである進学校に通っていたこともあり、自分の周りには常に「本物の天才」がいました。

もちろん彼らも努力はするのですが、その努力量も含め、まさに天才!
正直、そういう時にこそ燃えるような少年でしたが、それでもなお「こいつらには勝てない、、、」と思ってしまうほどでした。

しかし、そんな人に対して僕が抱いていた感情は劣等感ではなく「俺はこいつらより、運動もできるし、コミュニケーション能力も高い、社会で活躍るのは俺だ。勉強だけできても意味がない」という根拠のない優越感でした。

では、本当にそうだったのでしょうか??

勉強の次に自信があったのはサッカーでした。確かに中学時代からクラブチームで質の高い育成を受けていたこともあり、1年生の頃は上の学年の試合に呼ばれることも多々ありました。

新入生であるにも関わらず、上級生と親しく話していることで自己陶酔のようになっていたことを今でも鮮明に覚えています。

しかし、体の管理などの点で意識が甘かった僕は、怪我が続き最終学年の時にはベンチにすら入ることもできませんでした。

スタメンに入る同期には現役で名門大学に入ったような人がたくさんいます。やはり僕は文武において2流だったのです。

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※高校サッカー部の同期との琵琶湖での写真


それでも僕の安いプライドは彼らに敗北を許しませんでした。「俺は地元の不良たちとも仲が良く、夜遊びなども楽しんでいる。勉強やスポーツができるだけの奴はだめだ。青春を楽しめていない」

当時の僕は、いくつかの2流を積み重ねて自分の都合の良いポジションで戦い、自分が一番「イケている」と信じて止まなかったのです。

そんな僕が辿った道は、、ケガによるサッカー生活からの離脱、浪人生活による地元の友達との疎遠、2度の国立大学からの不合格通知、、、、、

結局僕は自分の価値だと信じていた全てのものを実家に置き、裸一貫で上京することになりました。


・初めての大東京

田舎者が上京した時の月並みな感情かもしれませんが、テレビで見る街並み、SNSで有名な人気店、大好きなアーティストのライブ、そのどれもが新鮮で子供のころに連れて行ってもらった夏祭りのような高揚感を味わっていました。


そんな中でも、とりわけ僕の心を引き付けたは人との出会いでした。

おしゃれなcity boy、帰国子女のトライリンガル、一流企業で活躍する社会人、MoGに参加するような視座の高い高校生たち。

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※国際寮にて多様な国の人との共同生活

どれも、田舎で踏ん反り帰っていた「俺」にとっては強すぎる刺激でした。

ポジションの取り方をいじった程度では到底及ぶことのできない壁がそびえ立っていたのです。

0からスタートしよう!

2流にすらなることができないことを悟った僕は初めて、沽券を守ることをやめ、ありのままの姿を受け入れました。


「言うは易く行うは難し」とはよく言ったもので「0からスタートしよう」とは言うものの、常に周りのあらゆる人から劣等感を感じながら、貪るように本を読み、語学の勉強をし、インターンに励む日々は、そう甘くはありませんでした。

自分より優れた人に対して、自分の方が優れているところを探し、自分が胡坐をかける位置に安住していた反発からか、どんな人を見ても自分の劣っている点ばかりが目に入るようになっていたのです。

このクソ大東京!

これは、田舎出身のアーティストが都会での辛酸を綴った歌詞の一部ですが、この曲を毎日聞き、歌詞をLINEのひとことに設定し、まさに臥薪嘗胆。死に物狂いで努力しました。
※レぺゼン地球 Life Song 

その甲斐もあり、今では手ごたえのある自分の成長を感じ、very50のインターンの中でも最古参として幅広い業務に携わらせていただけるようにもなりました。

もちろん、これで慢心してしまうような二の舞を演じることなく、まだまだ精進していくつもりです。

そして、自分が滋賀から東京に出てきただけで感じた敗北感。それよりもはるかに広い世界に自分が挑戦していったときに一体どのようなことを感じることができるのか??

将来設計について質問を受けることも多いですが、まずは成長して1度世界のレベルを自分の目で確かめてから、ゆっくりと考えていくことにしました。


田舎町で始まった新・遼馬伝ですが、僕のことを応援してくださる、知ってくださる全ての人と歩を進めていきたいと思っています。

改めて、これまで関わってくださった全ての方々、心から感謝します。
また、まだまだ修行の身でありますので、これからもあらゆる方面からのご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。

文責 山本遼馬 2019/10/19

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