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【スタッフ手記】25年越しの「パサール ミスティック」 北野 彩

私は、小学6年から中学1年という多感な時期を、インドネシア・ジャカルタで過ごした。先日、些細なことをきっかけに、当時の自分が書いた作文を見つけた。

▼ 小学6年のときに書いた作文(旧姓:安藤)

――あれから25年。久しぶりにインドネシアを訪れた私は、ふと思いつき、立ち寄ってみることにした。25年越しの「パサール ミスティック」だ。

パサール(市場)の道は、驚くほど綺麗になっていた。かつて漂っていた、鼻をつく生ゴミのような匂いは、今や、全く気にならない。25年という時の長さと、その間にインドネシアが成し遂げた発展の系譜を、あらためて実感する。

当時の作文に書いた”少し大きめのスーパー”は、外観のキレイな「ショッピングセンター」になっていた。衝撃の変化。しかし、その驚きは、一瞬で安堵へと変わる。足を踏み入れてみると、中の様子は、昔とさほど変わらないのだ。生ぬるい空気が、今も尚、ゆらゆらと漂っていた。店と店の境い目がよくわからない雑多さは、あいかわらず健在で、洋服屋さんや布地屋さんが、所狭しと並ぶ。なんとなく気だるい様子で売り場に腰掛ける店員さんと目が合って、「ああ、変わらないな」と、心底ホッとした。

世代は変われど、人びとは、ミスティックで変わらない日常の時を過ごしている。今は、スマートフォンのアプリで注文を受け、バイクで配達することもあるのかもしれない。それでも人びとは、たしかにここで屋台を開き、物売りをしている。

▼ 今日も人びとは、ミスティックで日常の時を過ごす

▼ 「ショッピングセンター」の外観

▼ 所狭しと並ぶ商店。中の様子は昔とさほど変わらない

「外観が変わっても、中身は変わらない」。そのことを、こんなにも愛おしく感じる自分に気づき、驚いた。中身が変わらないことに安堵を覚えるほどまでに、私の記憶の中には、25年前のミスティックの姿が、鮮明に、刻まれていたのだ。記憶したという事実さえ、およそ忘れかけていたというのに。

思えば私は、このミスティックと出会ってから、世界のことをもっと知りたいと思うようになった。子どもだった私の豊かな好奇心を、柔らかに引き出してくれる何かが、この場所にはあったのだ。人びとの暮らし、独特の匂い、空気、ゆるやかな時の流れ。すれ違いざまに物乞いに声をかけられたり、漂う匂いに鼻をつまんだりしながら、私は子どもながらに、インドネシアの日常を感じていた。なんて貴重な体験だったのだろうと、大人になった今、気づく。

ミスティックのような「現地」を自ら訪れることは、決して容易なことではない。私がかつてインドネシアに住んだことも、ミスティックに通ったことも、いわば、偶然の産物だ。誰にでも訪れる機会ではない。しかし私は、こうした偶然と、何かのご縁で出会うことができた。だからこそ、「この体験を誰かに伝えなければ」と、駆り立てられて、ここまで来た。

変わること、そして、変わらないこと。どちらにもきっと、それぞれの価値があり、比べられるものではない。ただ、一つだけ確かなことは、変わることも変わらないことも、その様子を体感できるのは、「現地」を自ら訪れた人だけ、ということだ。「現地」を訪れた人にだけ、見出せる価値がある。逆を言えば、誰かが訪れて見つけなければ、ひっそりと埋もれて消えてしまうような繊細な価値が、「現地」には山ほど潜んでいる。

これから未来を動かす現代の若者たちにも、「現地」に潜む繊細な価値に、一つでも多く触れてほしい。今、そこにあるものは何か。それはこれからどうなっていくのか。自分自身の五感で捉え、自分なりの視点から、価値を見出してほしい。そして、「現地」へ行ってみたいと志す若者たちがいるならば、私たち大人は、全力で応援し、一丸となって手助けしなければならない。そう本気で思うから、私は今、very50で活動している。

「外観は変わっても、中身は変わらない」。これからも、そんなミスティックであってほしいと願う。インドネシアは今後、ますます発展を成し遂げて、首都移転を実現し、スマートシティも当たり前と言い切る時代を迎えることだろう。その頃に、私はおばあちゃんになって、またミスティックを訪れたい。外見は、皺が増えて腰も曲がっているかもしれない。それでも、子どもの頃と同じようにワクワクと買い物をする、変わらない中身の自分でいたい。