見出し画像

みんなへ



高校3年生のMです。
新キャプテンに変わるまでキャプテンを務めていました。


私は高校生からサッカーを始めました。


クラブチームで選手としてプレーしながら、
学校ではサッカー部のマネージャーをしていました。
私の高校生活は良くも悪くも
サッカーから離れられない3年間でした。

サッカーの事を知れば知るほど、
すればするほどサッカーに魅力を感じて、
大好きになっていきました。

もちろん最初は上手くいかないことばかりで、
毎試合泣いていました。
途中で、サッカーをするのも見るのも辛い時期がありました。
それでも「高校からサッカーを始める」という
自分が選んだ道が間違ってるとは
一度も思ったことはありませんでした。


延長戦後のPKを彼女がストップして
県U18リーグ参入戦に勝利。
みんなが彼女に駆け寄った。


むしろ、サッカーを始めて良かったと心の底から思います。


私が一番悔しかった試合は、高校2年生の時のクラブユース予選です。
みんなで絶対勝って関東に出場しよう
関東で一回戦突破しようっていつも話していたし、その為に努力をしてきました。

しかし、0-1で負けてしまいました。

私はアディショナルに入ってから涙が止まらず
仲間も涙を流していました。
この日から、もっと強くなって来年のクラブユースは絶対関東に出場すると決めました。

今年のクラブユースは、関東に出場できるチームがヴェルフェ矢板しかなく、県の代表を決める試合はありませんでした。
だけど、その分練習試合を沢山してきたし、練習も一つずつ取り組んできました。

私は大学入試のため、9月から活動をお休みしていました。
久しぶりに練習に来た時にはみんなが上手くなっていました。
私も入試が終わって戻ってきたこの1週間、
今までの練習ができなかった時間を取り戻せるよう練習に励みました。

もしも、
高校1年生の時にサッカーを始めようと思わなかったら、
「ヴェルフェ矢板」に入っていなかったら、
この最高の仲間と、監督、コーチに出会うことはなかったと思うし、
一緒にサッカーをすることもなかったと思います。

だから、今こうして仲間として一緒にサッカーをやっていることは奇跡だと私は思います。
私は「ヴェルフェ矢板」という中学1〜高校3年生の幅広い学年がいて、学年を超えて仲が良く、互いに切磋琢磨できるチームに入って良かったなと思います。


私のこの先の夢は理学療法士です。
理学療法士になって沢山の人を助けたい。
こう思ったのは、私の祖父が脊髄の病気で歩けなくなったことがきっかけでした。
じいちゃんは釣りが大好きでアクティブな人でした。
そんなじいちゃんが突然歩けなくなり、入院することになりました。
理学療法士の方と一緒にリハビリをやっているところを一度だけ見たことがあり、その時のじいちゃんはすごく活き活きしていて、リハビリがじいちゃんにとって生き甲斐になっているようでした。

じいちゃんと歩くことは最期まで出来なかったけれど、じいちゃんのおかげで私は理学療法士を目指すことができました。

この先はこの夢に向かって、進んでいきます。


最後に



みんなへ
泣いてばかりで頼りないキャプテンだったけど、最後までキャプテンでいさせてくれてありがとう。
今まで沢山試合をして、勝って負けて、悔しい思いも沢山して、怒られることもあったけど、高校3年間ほんとうに楽しかった。
それはみんなのおかげです、みんながいたからです。
いよいよ明日だね、悔いが残らないように全力で戦ってこよう!


明日、いよいよ関東大会。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?