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色がつく瞬間、音が聴こえる瞬間-映画「マチネの終わりに」を観て。

2019年11月1日。
新宿にて、映画「マチネの終わりに」を観た。

溢れる、温かな気持ちが抑えられなくて、今携帯で文字を打っています。

「マチネの終わりに」は平野啓一郎さんの小説。ジャーナリストである小峰洋子と、天才と呼ばれたギタリスト蒔野聡史の愛の物語・・・とまとめるには壮大過ぎるが、まあ、そうです。

小説を読む時、登場人物のイメージ、風景や音を自分の中で想像して読む、という人は多いと思う。

私の中にも、私しか知らない様々な小説の登場人物が生きている。

「マチネの終わりに」の蒔野と洋子も、私の中に存在していた。
しかも割と、はっきりと。

映画化が決まり、洋子を憧れの石田ゆり子さんが演じると知ったときは嬉しい気持ちが80%、不安な気持ちが20%だった。

この20%は、誰が演じてもあったと思う。
洋子という人間が、28歳の私には、余りにも素敵で強くて遠く感じていたから。
そんな洋子がスクリーンの中にちゃんと生きるのかしら?
素人ながら、少しの不安があった。

しかし、問題はそこではなく、福山雅治さんが演じる蒔野聡史だ。
私の中で生きている彼は、そこまでハンサムではなかった。
そうであるべきではない、とすら思っていた。

それなのに、演じるのはあの福山雅治。
余りにもかっこよすぎるだろうが!と、心の中で総ツッコミ。いや、声に出てたかも。

だから、公開初日「私の蒔野が死ぬかもしれないな〜」と思っていた。
まあそれはそれでいいか、とも思っていたけれど。

前置きが長くなった。
ここからは、映画を観た感想である。

幕を閉じた時の気持ちを、思い出すと、胸がいっぱいになる。
素晴らしかった。
物語が終わる頃、温かい涙が流れ、吐息が溢れた。

小説を読みながら、私が描いた線画に、役者の声や表情、そして音楽が色を付けた。

蒔野と洋子が、確かにそこにいて、生きていた。

大嫌いだった早苗を、少し好きになれた。

そして、何より音である。
クラシックに疎い私は、小説を読んでいるとき、残念ながら音楽のイメージが全く付かなかった。
そんな世界に、ギターの音色が優しく、切なく響いた。

愛とは、何なのか。
私はまだ分からない。

でも、遠い国にいる大切な彼に会いたくなった。声が聴きたくなった。
愛とは、こういう感情を言うのかもしれない。

きっと、感情が揺さぶられた時、彼らのことを思い出すだろう。
本を開き、そこにいる彼らに助けを求める日も来るかもしれない。

蒔野と洋子は、死ななかった。
優しく、きらりとした色を纏って私の中に生きている。

またひとつ、大切なものが増えた気がする。
あのふたりは、どうなるのかな。
そう、想像する楽しみも出来た。

未来の私が、愛することを大切に、正直に生きていますように。

「マチネの終わりに」の世界を届けてくれたすべての人に、感謝します。

素敵な時間を、ありがとうございました。

あとがき

小説と映画が好きで、良かったな。
ずっと、余韻に浸っていたい。
そう思える映画に、これからどれだけ出逢えるだろう。
もう一度、読み返したい。
そう思える小説に、これからどれだけ出逢えるだろう。

楽しみだな、冬が来るのに、私の気持ちはとてもぽかぽかです。



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