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2021年の本棚―去年読んでよかった本たち

去年、「2020年の本棚」という題で、2020年に読んでよかった本を12冊ピックアップした紹介記事を書きました。

せっかくだから、2021年の分もやろう。というわけで、「2021年の本棚」です。本を選ぶ基準は去年と同じ、2021年に読んだ本から気に入ったものを取り上げる形式です。「2021年に出版された本」ではないので、ご注意を。

今年は14冊の本がこの「本棚」に選ばれております。

○村上春樹・小澤征爾『小澤征爾さんと、音楽について話をする』

名前の通り、村上春樹が指揮者小澤征爾と音楽について話をする本。この本のイチオシポイントは、なんといっても村上春樹の表現力。

音楽、絵画、食べ物などの感想を言葉にするのはなかなか難易度が高く、テレビでもよくレポーターの「食レポ力」が試されたり、学校の課題で感想文を書かされたりするわけですが、村上春樹は音楽の微妙な魅力を的確に言葉にしていきます。

ぼんやりと褒めていてもわかりにくいでしょうから、直接例を挙げましょう。引用は新潮文庫から。

村上「自分の世界に没頭しきっている。グールドも最初からそのへんはあきらめて、自分のペースでやってる。カラヤンが垂直方向に音楽を作っている一方で、グールドは水平方向に目をやっている、みたいな。」

44ページ

村上「サイトウ・キネン・オーケストラの音って、音の質としてはボストン・シンフォニーに似ていますよね」
小澤「ええ、似ています。絶対それは似てる」
村上「シルクっぽい音というか、風通しがいいというか、融通無碍なところがあるというか。ただね、僕がボストンに住んで、ボストン・シンフォニーの演奏会に通ってたのは、一九九三年から九五年にかけての、小澤さんのボストン時代の最後の頃だったんですが、音が煮詰まってきているなという印象がどことなくありました。濃密になっているというか、そんな気がした。それ以前に聴いたときとは、けっこう雰囲気が違っているような。」

77ページ

僕は正直音楽はからきしなのですが、それでも対談の最後までたっぷり楽しめました。音楽を知らなくても「読ませる」音楽対談、ということですね。

もちろん村上春樹だけではなく、小澤征爾の話も魅力的で面白い一冊です。世界的に活躍しているオーケストラの舞台裏が分かる本、あんまりないんじゃないでしょうか。

○内田百閒『第一阿房列車』

夏目漱石の弟子、内田百閒の阿房列車シリーズ。僕の知る限り第三阿房列車まであります。「阿房」なんて書いてるんで本物の路線でありそうな感じですが、そんなことはなく、行き先もやることもテキトーな「阿呆」列車がタイトルの由来です。

百閒先生は電車に乗って移動したいだけなので、行く先々で酒を飲んで、一晩泊まって、その次の日には帰ってしまいます。たいへんもったいないようにも感じますが、むしろ現代の我々の旅が予定を詰め込みすぎているのかもしれません。

いわゆる紀行文なのでストーリーも起承転結もなく、観光地の紹介さえほとんどありませんが、百閒のテキトウな旅路は読む方までのんびりさせます。だらだら読みましょう。

○倉橋由美子『酔郷譚』

倉橋由美子といえば、いまでこそあまり知名度はありませんが、60年代を代表する女性作家です。ときどき女性版大江健三郎みたいな扱いを受けますし、初期の作品にはその気がないでもないですが、この『酔郷譚』は倉橋晩年の幻想小説です。

飲んだとたん幻想世界に誘われる不思議なカクテルを出すバー、そこにいる蠱惑的なバーテンダー。陶淵明の「桃源郷」のようであり、内田百閒の夢小説のようでもあり、西洋的なバタ臭さも含んでいる。日本ではあまりないタイプの幻想小説です。

幻想小説はストーリーに合理性を求めいない分好き勝手書いていいように思えて、世界観を説明しすぎず野放図にしすぎずバランスをとるのはけっこう大変です。このあたりのバランス調整に、倉橋の筆力が輝いています。

夏目漱石の「夢十夜」とか、森見登美彦の『宵山万華鏡』『きつねのはなし』あたりが好きな人にはおすすめです。

○中上健次『枯木灘』

70年代から90年代にかけて活躍した作家、中上健次。知らない人にわかりやすく言えば、村上春樹の少し前にデビューした作家であり、春樹をして文壇の中心であったと言わせしめた、戦後を代表する作家の一人です。

その中上の代表作に、秋幸という入り組んだ血と土地に縛られた青年を描いた秋幸三部作と呼ばれる小説群があります。一作目が芥川賞を受賞した「岬」、2作目がこの『枯木灘』、3作目が『地の果て、至上の時』です。

この『枯木灘』は中上健次作品の中で一番良い小説だという評判が高く、実際代表作にふさわしい重厚さと構成の完成度を有した作品です。作中の土方描写の反復は、日本近代小説史の中でも白眉の出来栄え。

秋幸は5人兄妹の末っ子ですが、彼だけ父親が違います。生みの親龍造は土地の嫌われ者で、悪い噂が絶えません。秋幸は自分の中に流れる血に悩みますが、自分は自分として生きるしかない。しかし狭い土地では互いの事情をよく知る人ばかりが暮らしており、秋幸がただの「秋幸」であることは許されず……。

一作目の「岬」は短い作品ですから、秋幸の来歴が気になる人は合わせて読んでみるといいでしょう。三作目『地の果て』は……まあチャレンジャー向けです。長い上に話が重たく、よく言えばすごく読みごたえがあります。

○東浩紀『ゲンロン戦記』

現代日本の代表的な思想家、東浩紀が立ち上げた会社「ゲンロン」。その10周年となる2020年末に出版された新書です。主に、ゲンロン運営にまつわる苦労や障害が記されており、会社を経営することの大変さがよくわかります。

ゲンロンと東の思想を関連づけながら語っていくとたいへん長くなってしまうのでかいつまんで説明しますが、東が偉大なのは人文系の知識人が大学以外で生きる糧を得られる場所を作ったことでした。

理工系はともかく、人文系の場合一般企業に研究所があることはまずなく、研究や言論活動を続ける場合ほとんど大学だけが就職場所となります。そうした状況の中、ゲンロンは小さいながら大学以外に文化的な拠点を確立させようとしています。これからそれがどう転ぶのかは未知数ですが、期待できる取り組みであることは間違いありません。

また、会社の経営によって多くの大学知識人と異なる視点を獲得していることにも注目すべきでしょう。大学教員は言ってみれば大学に雇われているサラリーマンですが、東浩紀は自営業者。両者のリアリティの違いが、『ゲンロン戦記』の文章にはよく表れています。

ゲンロンの目的は「オルタナティブ」=異なる場所を作るのだということに集約できるでしょう。では、現代社会におけるオルタナティブとは?思想書のようにもビジネス書のようにも読める良著なっています。

○澤田智洋『マイノリティ・デザイン』

障害や社会的な弱さを抱えた「マイノリティ」、彼ら彼女らが抱える困難を解決するデザインは、実は万人にとって有用なのではないか。そんなデザインを考えてみよう、という本です。

マイノリティのためのデザインをどう設計し、さらにマーケティングにつなげるか。著者は、マイノリティという視点からマーケティングの新しい領域を拓いていきます。

もちろん、こうした考えには一定の距離をとる必要はあります。それは個人が抱える生きづらさを資本主義に利用し、マジョリティの利益として吸収してしまうものだからです。

とはいえ資本がさまざまな問題を解決するのもまた事実。『ゲンロン戦記』と同じく、「いかにペイするか」という問題が本書でも共有されているように感じられます。

介護や看護の文脈でよく使われる「ケア」の思想は、そもそもネオリベラリズムに対抗するものとして提出されたという歴史があります。本書の内容を「ケア」と合わせて考えてみることで、新たな「オルタナティブ」の構想が可能になるかもしれません。

○隈研吾『点・線・面』

2021年の「今年の100人」にも選ばれた建築家・隈研吾。その建築家としての姿勢を記したのが、この『点・線・面』です。

隈研吾によると、近代の建築とはル・コルビジェに代表されるような密度の発想です。みちみちにつめたコンクリートでブロックを作り、それをどーんと置く。

しかしポストモダンの建築は、より柔らかく、有機的でなければならない。それが「点」や「線」や「面」の建築です。

隈研吾が好んで使う木製格子状のデザインなんかは、こうした思想から生まれるわけですね。やや「ほんまか?」と感じるような記述もありますが、近代建築と対比させながら自分の立場を語ったこの本は、建築についてこれから触れるのにちょうどいい本かなと思います。

○ツクルバ『場のデザインを仕事にする』
○中原淳『知がめぐり、人がつながる場のデザイン』

同系統の本なので、まとめて紹介します。「ツクルバ」は人ではなく企業の名前で、住宅や場所づくりのデザインを主な仕事にしています。『場のデザインを仕事にする』は、今回紹介している本の中では一番「ビジネス書」という感じのもので、たぶんあんまり多くの人が読んでいるわけではない本です(失礼ですけど)。

それでもこの本が印象に残ったのは、場をデザインするといったときに出てきた「リノベーション」事業の話でした。僕は公共性との関わりで新しい空間の設計が必要なのではないかと考えて、一時期建築系の本を読み漁っていたのですが、ゼロから場所を作ることばかり考えていました。しかしそれはコストやマンパワーの面から考えてあまり現実的ではない。そのとき、本書のリノベーション事業の記述が飛び込んできたのです。

ゼロから新しいものを作るのではなく、手持ちのリソースや関係性をリノベーションして異なる公共圏を作れないか。あるいは、そういったことを助けるような場=プラットフォームづくりができれば、公共空間のありかたも変わってくるのではないか。まだあまり具体化できていませんが、それがこの本を読んで僕が考えたことでした。

そして、『場のデザインを仕事にする』のヒントになったという中原淳『知がめぐり、人がつながる場のデザイン』。これはまさに大学という空間を、より開かれた場所にリノベーションした例として読むことができます。

中原淳が大学の講義室を利用して作ったのは、月1回開催の「ラーニングバー」。参加料3000円、飲食をしながら打ち解けた雰囲気で講師の講演を聞いてディスカッションを行います。ポイントは参加の条件のゆるさと、ディスカッションをしやすいように場の設計自体が工夫されていること。単に場所をオープンにするだけではなく、開いたあとのフォローをどうするか。その実践知が書かれています。

自分も含めて大学人は思想や批評と言った抽象的な議論が好きな人が多く、あまり自己啓発書やビジネス書が読まれません。でも、それはもったいないことです。現実に場所を作ってお金を稼いでいる人々の書いた本には、さまざまな実践知があふれています。

自分の中で、2021年は建築と空間の勉強をした年でした。これは大学での研究課題とは関係なく、公共性をめぐる思考のなかで必要になった本たちですが、結果的に楽しく読書できました。知らない分野のことを知るのは、いつでもワクワクします。

○吉永剛志『NAM総括』

これもやはり、オルタナティブを作り上げようとした試みについて記した本です。柄谷行人という高名な批評家が2000年代初頭に立ち上げた団体、NAM。地域通貨を積極的に取り入れ、くじ引きによる代表選出を実装するなど、これまでにない団体づくりに取り組みましたが、内部のごたごたにより早々に瓦解してしまいます。

一般的には思想家である柄谷が現実に運動体を起こそうとした結果失敗した、というように評されるNAMですが、その実態はどだったのか。元NAMの会員でもあった吉永剛志が、その「総括」に挑みます。

多くの人にとっては、知らない人の知らない団体が知らないあいだにつぶれていた、という話かもしれません。しかし、運動をどのように組織しどのように運営するか、という話として読めばこれも一種の実践知。

分厚いですがソフトカバーで読みやすいので、柄谷を知らない人も読んでみるといいでしょう。そこから柄谷行人の著作に入るのもおすすめです。『探求』とか、かっこいいですよ。

○Tak.『アウトライナー実践入門』

さらにミモフタモナク実践的なのがこの本です。アウトライナーとは、一般的には文章を構成するためのツールで、文を書く前に構成を作っておくようなメモ的な使い方をするものです。しかし本書では、文章とアウトライナーが有機的に連携するような「アウトライン・プロセッシング」が提唱されます。

文章を書きながらアウトラインをその都度修正していき、アウトライン上で出たアイデアをまた文章に反映する。このアウトライン・プロセッシングは、ダイナミックな思考の流動を可能にしています。

文章を書くときだけでなく、タスクを管理する、将来の計画を立てる、当日のスケジューリングをする、などさまざまな場合にアウトライナーが活躍します。ツールは使われるものではなく使うもの。有用に使うためには知識が必要です。

2021年は『ライティングの哲学』や『すべてはノートからはじまる』などさまざまな文集作成ハウツー本が出ました。まさに「ベタ」な実践知というわけですが、こうしたベタな知識はベタに役立ちます。

ちなみに、僕もアウトラインについての記事を書いています。この本を読んだあとだといろいろ修正しなくてはならないところもあるように感じてしまうのですが、それはまたの機会に……。

○田村隆一『腐敗性物質』

詩人、田村隆一の自選詩集です。今でこそあまり名前が知られていませんが、戦後を代表する重要な詩人です。

その詩は緊張感でピンとはりつめ、言葉を発することへの鋭い内省に貫かれています。

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか

あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ

あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう

あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで掃ってくる

「帰郷」

言葉によって人は傷つきますが、「ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら」、コミュニケーションのある側面は確実に失われていたでしょう。そしてそうしたことをひっくるめた全部が、こうして言葉で書かれるしかないのです。

言葉を使うことに対する批評的な意識。詩人に必要とされるその素質を、最も先鋭的なかたちで有しているのが田村隆一なのだと言えましょう。

「2020年の本棚」を見返してみると、僕去年も田村隆一の詩集を挙げていました。偶然なんですが、我ながらよっぽど好きですね。

○千葉雅也・國分功一郎『言語が消滅する前に』

二人のドゥルーズ研究者、千葉雅也と國分功一郎の対談本です。現代を代表する哲学者どうしの対談なだけあって、内容は全体的にハイレベル。しかし読者をおいていくこともない、良い対談です。

というのも対談本というのは、作りがテキトウだと話者同士がだべっているだけで、中身のあるようなないような内容になってしまいがち。そこを警戒してか、お2人ともかなり真面目に実のある対談にしようとしています。その主なテーマは、「言語」。

千葉 そもそも言語がしち面倒くさい存在であるのは、それが直接的な表現ではなくて、常に間接的で迂遠なものであるからですよね。言語が何かを指すときには、また別の言葉が惹起されて、意味作用が少しずれていったりする。直接現実に関わるのではなくて、あいだに挟まる衝立のようなものとして言語がある。つまり言語というのは、直接的満足の延期であり、もっと簡単に言うと我慢なんですよ。その直接的満足の延期が、メタファーの存在に通じている。

152ページ

言語とは思考やコミュニケーションのツールであるとともに、それ自体存在感を持った物体でもあります。そして我々の世界も、言葉に大きな影響を受けて構成されています。そのことを考えるときにも、我々は言語の助けを借りています。ではこの言葉となにものなのか?

いまコトバはTwitterやらなんやらで簡単に消費されていますが、改めて考えてみるとなかなか摩訶不思議なものです。いま一度、言葉に対してとっくり向き合ってみるとよいでしょう。

○小川さやか『その日ぐらしの人類学』

GAFAを代表とするフォーマルな資本主義経済。しかし世の中の経済活動には、海賊版やコピー商品、廉価品などを売買する、もう少しアンダーグラウンドなインフォーマルなものも存在しています。本書は、そんなインフォーマル経済について、主にタンザニアでフィールドワークした知見に基づいて記されています。キーワードはliving for today、「その日暮らし」。

日本のような安定した国で暮らしている我々は、ともすると現在の延長として未来を考え、こつこつ積み立てていくような人生設計を考えがちです。ところがインフォーマル経済の世界は基本的に「その日暮らし」。一ヶ月先は何をしているか分かりません。

もちろん楽な暮らしだというわけではありませんが、キチンと大学に通ってキチンと就活して……みたいな日本での生活が「ふつう」のものではないことが、よくわかります。人生に迷っている人におすすめです。

ちなみに僕はこの本を、「シラス」(ゲンロンが行っているサービスのひとつ。動画プラットフォーム)の動画に小川さんが出演していたことをきっかけに買いました。有料ですが(そして有料であることがしシラスにとって重要なのですが)いい動画だと思うので、You Tubeにある紹介動画のリンクを張っておきますね。


最後になりますが、2021年は読者のみなさまにお世話になりました。2022年も、よろしくお願いします。

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