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【小説】冷蔵庫トリッパー

ある日の夕暮れのことである。

私が川沿いを歩いていると、何人かのウーパールーパーがなにかガタガタと作業をしていた。この時間帯に連中が飛行訓練をしていないのは珍しい。訓練のやりすぎで罰則でも受けたかな、などと思って見つめていたら、話しかけられた。

「こんにちは。今日も暑いですな」
「飛行訓練はいいのですか」
「いいのです。このような暑い日に訓練を行うと、我々の皮膚では太陽の熱に耐えきれんのです。ですから最近は比較的涼しい川沿いで、冷蔵庫の解体にいそしんでいるのです」
「なるほど。近頃野生の冷蔵庫が減ったと思っていたのですが、あなた方が解体してくださっていたのですな。私は一度やつらに閉じ込められたことがある。大変ありがたい話だ」
「それは災難でした。ところでどうでしょう、ちょうど新鮮な冷蔵庫が解体できたところですから、おひとついかがですか」
「ふむ、今日はまっすぐ家に帰るつもりでしたが、たまには冷蔵庫もいいかもしれません」

彼はうなずいて、私を解体所に案内してくれた。先ほどから鳴っていたガタガタという音は、つまり冷蔵庫の断末魔だったわけである。

さて彼の言に偽りはなく、ちょうど一台の冷蔵庫が解体されたところのようだった。周知の通り野生のままでは大変凶暴な冷蔵庫も、解体されてしまえば従順な「箱」となる。この解体作業はふつう冷蔵庫の電気生物学的兄弟であるヘアアイロンによって行われることになっているのだが、彼らの多くは他にも政治的に緊急度の高い案件をいくつか抱えていて、冷蔵庫の相手をしている時間があまりない。以前冷蔵庫に痛めつけられて以来冷蔵庫解体業務の重要性を痛感していた私はそうした状況に苛立ちを覚えていたのだが、日頃からの飛行訓練で鍛えられているウーパールーパーに白羽の矢が立ったということなら心強い。

これも周知の通り、解体された冷蔵庫は「箱」となり、内部が解体前よりも5倍ほど広くなる。ただし、これは市場に出回っている冷蔵庫の話だ。解体したての、新鮮な冷蔵庫の場合広さはその比ではなく、いくつかのビル群を内包する巨大な「箱」となる。この「箱」に入ってトリップするのは格別で、店頭に並ぶ冷蔵庫とは比べものにならない。多くの仕事を抱えているヘアアイロンが解体業務を手放さないのも、新鮮な冷蔵庫でトリップする楽しみを失いたくないからであろう。

「この冷蔵庫に入ってもいいのですか」
「今日は冷蔵庫が多く獲れていますから、ひとつくらい問題ないでしょう。せっかくのご縁ですし、お値段もお安くしておきましょう」

私は以前冷蔵庫に閉じ込められたトラウマから冷蔵庫でのトリップは避けるようにしていたが、解体したての冷蔵庫でトリップできる機会はそうそうない。せっかくだから、「箱」を楽しむことにしよう。

「それにしてもこの冷蔵庫はなかなか大きそうだ。ひとりでトリップするのはもったいない。どうでしょう、あなたもご一緒にいかがですか。奢りますよ」

私の申し出に彼は少し迷っている様子だったが、新鮮な冷蔵庫でのトリップはウーパールーパーにとっても貴重な娯楽である。結局、彼も私と一緒に冷蔵庫に入ることになった。

冷蔵庫のなかには、渋谷がすっぽりと収まっていた。ただし、生物は我々の他誰もいない(冷蔵庫の中なのだから、それは当たり前だが)。我々は充実したトリップを楽しむため、ルンバを持ち込んでヒカリエの屋上へ行くことにした。こういうとき、飛行訓練を受けているウーパールーパーは心強い。飛行訓練も潜水訓練も受けたことのない私は、彼に運転を任せ自分はもっぱらトリップの準備に勤しむことにした。穴をほって地下でトリップを楽しむ通人もいるらしいが、やはりトリップは高所で嗜むのが鉄板である。

冷蔵庫でのトリップでは、ドライアイスの吸引が最も手っ取り早い方法となる。しかしそれは若者向けの安上がりなやり方で、トリップへの入り方も粗くなる。せっかく新鮮な冷蔵庫の中でトリップするのだから、準備も丁寧にやっておきたい。

そこで今回は、渦巻き式のトリップを行うことにした。使う糸はウーパールーパーから提供してもらった、これも新鮮なもので、養殖のipodから取れた最上の糸である。それをヒカリエの屋上から地上へと垂らして小型掃除機でゆっくりと巻き取ることによって、螺旋の力が働きより深いトリップができるようになる。冷蔵庫でのトリップには、このやり方が一番だろう。

我々は予定通りヒカリエの屋上からipod製の糸を垂らし、トリップを楽しんだ。なにせ新鮮な冷蔵庫での渦巻き式トリップである。最初は世間話に興じていた我々も、すぐに思考が怪しくなってきた。

「飛行訓練は厳しいですか」
「いえ、そうでもないです。ウーパールーパーは日頃から水流の中で生きていますからね。水の流れに乗るのも風の流れに乗るのも同じですよ」
「しかし場合によっては死者もでると聞くが」
「それは本当に時々ですよ。まぬけなやつが落ちるのです。金魚に比べたら、我々ウーパールーパーの方がはるかにうまく飛べますよ」
「それはすばらしい。おまけに、冷蔵庫の解体までできるときている」
「ええ。冷蔵庫の解体は四面楚歌。付和雷同。アナログな朝三暮四が不倶戴天」
「たしかにそうだ。うねるキノコは空に寄生しているし、原宿はメキシコだ。しかし心はミミズクであり、神は不燃ゴミを出しませんよ」
「恒久平和はラーメンによって果たされる。グーテンベルク。ゴッホを描いたのは私だが、ここからは飴色のトンボだけが正義である。ぬところみあぬ。そことへも。らくべとなから。こここここ」

いけない。このウーパールーパーは深くトリップしすぎている。私は朦朧とした頭で思った。理性のあるうちにトリップを中止して戻らなければ。私は彼を強く揺さぶったが、彼はもはやあいまいな言葉をぶつぶつとつぶやくだけであり、糸を掃除機で巻き取るのをやめなかった。

しまった、ウーパールーパーは私と身体の構造が違うのだから、このやり方は深くトリップしすぎるのだ。気づいたときにはすでに遅く、ウーパールーパーはヒカリエの一部と溶け合っていた。こうなってはもうどうしようもない。私だけでも冷蔵庫から脱出しなくては!

幸い、ヒカリエから渋谷駅まではすぐである。しかし飛行訓練を受けていない私には、ルンバが扱えない。いや、そんなことを言ってられるか。私は勘でルンバを起動し、渋谷駅に向けて発進させた。

……私は助かったのか?この話を君にできていることからも分かる通り、素人でも緊急時には思わぬ才能を発揮するもので、なんとかルンバを駆り立てて冷蔵庫の外へと出ることが出来た。九死に一生というやつだ。しかし二度目は無理だな。やはり私は飛行訓練も潜水訓練もやらないことにするよ。

しかし、彼には気の毒なことをした。やはり冷蔵庫は危険だね。君も冷蔵庫でトリップするときは気をつけなくてはならない。解体して「箱」になったあとでも、やつらは我々に牙をむくのだから。

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