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ブックガイド村上春樹:『ノルウェイの森』から入るな

小説をこれから読もう!と決意した人が最初に手に取る本はなんでしょうか。夏目漱石?芥川龍之介?太宰治?彼らの作品はだいたい有名どころが決まっていて、とりあえずこれを読めばいいというのがある程度わかっています。

たとえば漱石なら『吾輩は猫である』とか『こころ』、芥川なら「羅生門」とか『河童』とか、太宰なら『人間失格』とか、などというように。

そしてもうひとり、多くの人が知っている、しかも存命の作家がいます。村上春樹です。純文学でも読むか、純文学と言えば村上春樹だろう、こういった思考の流れをたどる人はすくなくないと思います。

そして村上春樹の代表作と言えば『ノルウェイの森』だからこいつからいこう……この罠からみなさんを救うために、私は本記事を書いています。

『ノルウェイの森』から読んではいけない

村上春樹、いえ、日本近代文学の中でも最も有名な作品のひとつが『ノルウェイの森』です。ビートルズの同名の楽曲からタイトルが取られたこの小説は、主人公「ぼく」、自殺した友人キズキ、そしてその友人の恋人であり、いまは療養所にいる直子との三角関係を描いた「純愛」作品です。

『ノルウェイの森』が出るまでの村上作品は、複雑な構成をもつ『風の歌を聴け』や、SFじみた作りの『羊をめぐる冒険』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』など、とっつきにくい作品が主でした。何度か芥川賞の候補に挙がりつつも、ある程度文学になじんだ人間だけが話題するタイプの作家であり、いまのように誰でも知っているような「文豪」ではありませんでした。

その状況が一気に変わったのが『ノルウェイの森』です。死んだ友人の恋人直子と主人公の淡い「純愛」物語は単純に感動的だと言えそうですし、村上の文章のうまさもあいまって「読ませる」作品でした。村上はそのとき海外で執筆活動を続けていたのですが、『ノルウェイの森』が異様なほどのヒットを見せたので、作者の方も驚いたのだとのちに述懐しています。

というわけで村上春樹に触れようとする人は、「とりあえず『ノルウェイの森』から読むか」となりがちなのですが、この作品かなりのクセモノです。

というのも、とにかく性描写が多いのです。10ページに1回かそこらは性描写が挟まります。しかもわりと丁寧に、前戯から終わりまで描かれます。そのうえ、なぜか日常会話のなかにも性に関する話題が異様に多く含まれています。

これでは「純愛」ストーリーどころではありません。一歩間違えれば官能小説です。村上春樹作品に馴染んだ人が読めばそれなりに意味を見いだせる描写もありますが(短編「蛍」との比較とか)、一発目で『ノルウェイの森』を読んでしまうと、他の作品を読む気は起こらなくなるでしょう。世間的に村上が「エロ作家」的なイメージを持たれているのは、この作品の影響が大きいのではないかと思っています。

じっさい私も高校生のとき『ノルウェイの森』から村上作品に触れ、「なんだこのエロ小説!」と驚いて上巻の途中で挫折しました。それから2年くらい村上春樹を倦厭していたのは、今から思えば惜しい話ですが、純情な高校生には刺激が強かったのも事実です。

また、周りにもけっこう被害者がいて、『ノルウェイの森』から入ったばっかりに村上に妙なイメージを抱いてしまっている人をよく見かけます。

要するに村上作品にふれる上で一番大切なことは、『ノルウェイの森』から入るな!、ということなのです。

では、なにから読むのがいいのか

『ノルウェイの森』はあとにまわすとして、では、なにから読むのがいいのでしょうか。『ノルウェイの森』以外ならなんでもいいという気もしていますが、せっかくなので読みやすいものをいくつか挙げておきます。

・『女のいない男たち』

短編集です。タイトル通り「女のいない男たち」の話で、恋愛小説的に読める読みやすいものがそろっています。話題の映画『ドライブ・マイ・カー』の原作も、この短編集のなかに収録されています。比較的新しいものなので、書店でも手に入りやすいはずです。

一般論として、読書に慣れていない人は短編から入るのがおすすめです。長編だとその話が気に入らなかったら終わりですし、話の筋を忘れてしまうこともしばしばです。その点短編なら、「寝る前にこの作品だけ読むか」みたいなこともできるので、読書のハードルが下がります。

ほかにも村上春樹の短編集なら、阪神淡路大震災後に出版された『神様の子どもたちはみな踊る』、不気味さ漂う『TVピープル』あたりも面白く読めると思います。

・『色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年』

村上春樹の作品は、短編と中編と長編に分けることができます。50ページ前後のものが短編、300~400ページ程度のものが中編、500~1000ほどあるものが長編です。普通の作家だと300ページもあれば十分に「長編」ですが、村上の場合『ねじまき鳥クロニクル』『騎士団長殺し』のような骨簿との作品が多いので、300ページ程度だと「中くらい」という感じです。

さて、このやけにタイトルの長い『多崎つくる』も中編のひとつ。親友だと思っていた同級生たちからある日突然絶縁を宣告されてしまった主人公。彼はそのために一度死の淵まで行きますが、なんとか回復を遂げ、今では社会人として働いています。なぜ自分は友人たちから見放されなければならなかったのか?彼は過去を清算するために、かつての仲間たちのもとを「巡礼」し、あの時何があったのかを徐々に知っていきます。

『ノルウェイの森』と対象的に、村上作品にしては性描写が少なく、友情と恋愛をモチーフとした現代小説で読みやすく仕上がっています。また、主人公の知らぬ間に何が起きていたのか、というミステリ仕立てで読めるのもいいところです。

実は、私が『ノルウェイの森』の次に読んだのがこの『多崎つくる』でした。これを読んで、「村上春樹って面白かったのか!」と失礼なことを思ったのを覚えています。

・『1Q84』

短編、中編ときたら次は長編ですね。村上春樹は数年に1回長編小説を出します。最新のものが『騎士団長殺し』、そしてその前のものが『1Q84』です。村上の長編が出るたびにけっこうお祭り的な騒ぎになりますが、本書のときの盛り上がりはすさまじかったように覚えています。

本書のあらすじをかんたんに述べるのは難しいのですが、一種の平行世界ものSFです。その世界は「リトル・ピープル」という悪しきものの支配下にある妙な新興宗教が存在し、彼らの干渉に主人公たちが振り回されます。

話が男主人公と女主人公の2人の状況を交互に描くことで進むため、本作は両者の思惑が交錯するような複雑な構成を持ちます。単行本で3巻分、文庫本では6巻分にもなる、大長編です。

タイトルでピンと来た方がいるかもしれませんが、本書はトランプ就任直後辺りに話題になったジョージ・オーウェル『1984』のオマージュです。『1984』で国家を支配するのは党の指導者「ビッグブラザー」ですが、現代は1人の巨大な悪ではなく微細で複数的な邪悪なものの網の目、「リトル・ピープル」に世界が覆われている、というわけですね。

とはいえ『1Q84』を楽しむのに『1984』を読む必要は全くありません。SF的な設定や話の作り方、「ふかえり」というライトノベル的な美少女の存在で、十分に読みやすい作品となっています。

・『遠い太鼓』

村上がヨーロッパに住んでいた頃の紀行文です。個人的に村上の文章で一番おもしろいのは紀行文で、読みやすく流れの良い文体でさまざまな地域の食べ物や文化について知ることができます。

小説はなんだかんだでストーリーがあって、筋を追うのにもエネルギーが要りますから、疲れているときには紀行文やエッセイがいいかもしれません。

村上の紀行文は他にもいろいろ出ていて、神戸あたりを散歩する『辺境・近境』、ウイスキーにフォーカスした『もし僕らのウィスキーであったなら』、一番新しい紀行文集『ラオスにいったいなにがあるというですか?』なども面白いですよ。

おわりに

何冊か紹介して来ましたが、本記事の要点はただひとつです。

「『ノルウェイの森』から入るな」

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