テキストマイニングで宇多田ヒカル『First Love』を読んでみる
詩の読み方?
詩を読むのはなかなか大変です。
文学部の学生でも、詩の読み方はあまり習いません。私は日本の近代詩を専門に研究していますが、「詩の読み方がよくわからなくて……」とよく聞かれます。近代詩の研究者は少ないのです。
詩の読み方については僕のほうが聞きたい……というのは韜晦ではなく本当なのですが、半人前でも研究者がそんなこと言っていては始まりません。未熟さを棚に上げる蛮勇が常に必要とされます。
ひとつ詩の読み方について言えるとすれば、単体で読むより詩集単位で読んだほうがはるかに読みやすいということです。
詩集でよく出てくる単語やモチーフをつかむことができれば、それぞれの詩でその言葉の使い方に同じところ/違うところはあるか、違うとすればそれはどんな違いか、など読む取っ掛かりが生まれるからです。さらに、他の詩人の同じ言葉を使っている詩と比較することもできるようになります。
たとえば詩人の北川透さんは中原中也が詩に「空」を多用することに注目し、中原の詩を「空」という観点から読んでいます。北川さんのレベルになるとまた別ですが、こうした読み方はひとまずたくさん出てくる言葉に注目すればいいので、文学作品を読み慣れていなくてもできるはずです。
とはいえ、はじめのうちはたくさん出てくる言葉に敏感になること自体が難しいかもしれません。というわけで、それを機械に委託することにしてみました。いまはネット上で、テキスト分析のソフトを無料で使うことができるいい時代です。今回は「AIテキストマイニング」というサイトを利用して、そこに宇多田ヒカルのファーストアルバムである『First Love』の歌詞をぶちこんでみました。
テキストマイニングが読んだ宇多田ヒカル
◯「I」と「君」
どうやら『First Love』では、「i」「me」がたびたび登場するらしい、ということがわかります。宇多田ヒカルの曲には英語が多く出てきますから、この結果に特に意外性はありません。ためしに一部を引用してみましょう。
一見すると、「I」=「私」が歌詞にたくさん出てくることにそんなに不思議はありません。jpopは基本「僕」と「君」の世界で構成されています。でも、「I」と「私」は違いますね?「I」に性別はありませんが、「私」「僕」はジェンダー的な負荷を担った表現です。
正確に言えば「私」は男女どちらが使っても違和感のない表現ですが、jpopで多用されるのは「僕」です。「僕」という未成熟な主体の成長や未熟さが歌詞には求められており、「私」の持つ成熟した大人といったイメージは「歌」にそぐわないのでしょう。これはちょっとおもしろい問題で、女性の一人称には「僕」に相当するものがありません。強いて言えば「あたし」を使えば「私」とはまた違った印象を与えることはできるでしょうが、「僕」と「私」との関係とはかなり異なります。
ところが「I」はこうした煩雑な問題から開放されています。その結果歌詞になにが起こっているか。ためしに「automatic」の歌詞を見てみましょう。
この曲に登場するのは、「I」と「君」です。ともに、男性にも女性にも使える表現です。宇多田ヒカルが女性的な声で歌うので「I」が女、「君」が男だと考えたくなるかもしれませんが、歌詞を読むかぎりでは「I」と「君」にはどんな性別を代入しても解釈可能です。「I」が男で「君」が女であっても、「I」が男で「女」であっても……。いや、性別を代入しない解釈が可能だと言ったほうがよいかもしません。そして性別が限定されないからこそ「I」と「君」とは反転可能なように読めますし、クィアな読み方も許されることになります。
「automatic」における「I」と「君」は、日本語だとしばしば問題となるジェンダーの問題を、少なくとも人称のレベルでは逃れています。これは、宇多田ヒカル自身のセクシャリティとはまた異なった、歌詞単体の読み方として指摘できることです。逆に言えば、『First Love』の「I」は、日本語音楽にとって性別を示さずに歌詞を作ることがいかに難しいかということを表しているとも言えますね。
◯反復
さて、他の言葉も見てみましょう。「I」の横には、「甘い」という語が大きな文字で並んでいます。ところが実際に見てみると、この「甘い」という言葉は「甘いワナ 〜Paint It, Black」という曲のみで頻出している言葉だということがわかります。こうなるとアルバム全体の分析としては不適切です。このあたりはちゃんとデータの階層の情報までツールに与えてやれば解決できるでしょうが、まあ無料アプリにテキトウに歌詞を放り込んだだけなので、偏りがあるのはこちらの責任というものです。
気を取り直して、他の歌詞にいってみましょう。たとえば「甘い」の近くには「let」があります。これもなかなかおもしろそう――と思って実際に見てみると、やはり「Never Let Go」のサビから拾われていることがわかります。要するに、これも同じ曲で繰り返し歌われているだけなのです。そこそこ大きな表記になっている、「never」と「go」も同様ですね。
このあたりで、出現頻度を見る手法は悪手なんじゃないか……という感覚になってくるかもしれません。しかし、こうしたデータの偏りからもわかることはあります。それは、『First Love』には同じ歌詞の繰り返しが多用されているのではないか、という洞察です。「Never Let Go」なんかは極端で、ひたすら「I’ll never let go」を繰り返します。
あるいは、「甘いワナ 〜Paint It, Black」における「甘い」の反復もなかなか執拗です。
もちろん歌というのは同じフレーズを繰り返してリズムを作るものですが、宇多田ヒカルの場合はその技法をより強調して、特定のフレーズを聴き手の印象に残そうとしていることがわかります。「automatic」の「It's automatic」とか「Beautiful World」の「Beautiful World」なんかが典型ですね。この少々過剰な「反復」が宇多田ヒカルの特徴なのではないか、という仮説をたてることは可能でしょう。
◯「いい」
もうひとつ気になるのが、「いい」の多用です。たしかにこれは普通に話していても多く出てきそうなワードですが、ちゃんと見ていけば『First Love』がどのように「いい」を使っているかがわかります。
これらの用例からわかるのは、『First Love』の「いい」に込められた「赦し」のニュアンスです。「とまどいながらでもいい」「もう少しだけ素直でもいい」「泣きたいだけ泣いていい」と、「I」=「私」は「君」あるいは聴き手に赦しを与え、その弱さを肯定します。
あるいは「戦うのもいいけど」「きずつくのもいいけど」も同じように読めます。「戦いたくない」「傷つきたくない」と強く拒否するのではなく、「これでもいいけど別の道もあるよ」と現状を肯定しながら違った選択肢に進む「赦し」を与えるのです。ここで『First Love』は、「癒やし」のアルバムとしての相貌を見せていると言えるでしょう。
こうした主体の弱さへの目線は、アルバムの冒頭曲「automatic」に典型的に表れています。「唇から自然と/こぼれ落ちるメロディー」や「声を聞けば自動的に」という歌詞、そしてなによりもタイトルの「automatic」に象徴されているように、この曲で「I」は自分の意志というよりも機械的な反応によって気持ちを揺さぶられてしまいます。この曲が示しているのは、恋する「I」がいかに影響されやすいかということであり、そして「それでもいいんだ」というメッセージであるでしょう。
まとめ
テキストマイニングという大仰なタイトルをつけましたが、やっていることは非常に単純。登場頻度が多い言葉を拾っているだけでした。しかし、それだけでも色々なことがわかるのだ、ということを示せたのではないかと思います。
青空文庫はじめ、作品の全文がテキストデータになっている場合は少なくありません。作品を機械的に――automaticに分析アプリに放り込んで結果を見るだけでも、たくさんの読みのヒントが得られるかもしれませんよ。
詩の読み方はたしかに小説の読み方よりもわかりにくいところがあります。しかし、詩は小説よりも短く、それゆえに繰り返し読めるという大きなメリットがあります。そうして繰り返し読んでいく中で、その詩集や詩人の愛用する言葉・表現も見えてくるのではないでしょうか。
◯関連記事
よろしければサポートお願いします。