子供の私が宗教と大人を疑いはじめて得たあるスキル
記憶がある限り、好奇心の強い子だった。
質問が多くて、本をたくさん読んだり、ドキュメンタリー映画を観たりした。
週末か夏休みに、親とキャンプやハイキングしたり、お城か洞窟巡りをしたりして、とにかく冒険だらけの子供の頃を過ごせたと言っても過言ではない。
好奇心の強い私にはたまらなかった。親との関係はそんなに良くないけど、この思い出たちのお陰で、嫌いになれないし、感謝している。
…
うちの祖母は極端に信仰深い人だった。びっくりするぐらい厳しい信仰生活を送っていた。人は一日で5食を食べるのと同じように、彼女がお祈りした。さらに毎日ミサにも行っていた。そして、聖書を文字通りに捉えていた。
おばあさんの場合は、宗教が洗脳に近いものだった。大卒で先生として勤めていたのに、進化論ではなく神様は地球を6日間で作ったと信じていた。オゾンホールは宇宙飛行士が宇宙へ飛ぶからできたわけだという発言も未だに忘れられないw
実は小学生の私はおばあさんとこれらの件で何回か喧嘩したことがあるほどだw
しかし、
キリスト教育ちの私が、大人を見て色々疑問に思った。
大人が「こうであるべきだ」と教えるのに、実際そういうふうに振舞ってないのをずっと目にしていた。
そして、たった10歳の私は世の中を疑い始めた。
大人の振る舞いも、宗教も、答えに繋がるどころか、質問を増やしているだけだった。
子供の私は、答えを探すために、図書館へ向かった。
宗教と大人が教えてくれなかったことと答えを求め、図書館でその答えを探した結果、答えを探す旅に出てしまった。
大量の本を借りた。(一回あたりで10本までしか借りられないという制度だったけどw)
気づいたら、様々な宗教、神話、哲学について月々読むようになっていた。
答えを見つけたかどうかわからないが、視野が広がったに違いない。
神話は人間関係を描き「人間の本質が変わっていないな〜」とすくすく笑った。
宗教についての本は、本質は悪くないけど、パワーを握ろうとしている人によって狂った風に使われたということが分かった。
哲学は、答えが山ほどたくさんあるのに正解はないと教えてくれた。
何もかも新しい手掛かりになった。
そして、ある結論に至った。
全ての宗教と哲学のいいところだけを取って混ぜれば、世の中はもっといいところだったのだろうな。
そして、教会や大人などに不信になったため、宗教を辞めることにした。
あるとき妹にある質問をされた。
「お姉ちゃん、こんなにたくさんの宗教や哲学についての本を読んでいるのに、なぜ神なんて信じないの??」
とある時に妹に聞かれたことがある。
「だからだよ?」
ととてもシンプルな返答をした。
私からしたらそういうものだ。
…
ニーチェが「神は死んだ」と言ったけど、ベロニカからしたら「人間は神を殺した」ようにしか見えない。
力を持つために、他人を支配するために、自分を神にしようとしている人が少なくない。そういう人たちは歴史の中で、どんなにいい宗教があっても、その宗教を利用して狂わして良くない方向へ持ち込んだ。そして、殺し合いや他人へのヘイト(憎しみ)に繋がった。悲しい限りだ。
…
こんな話をして何を言おうとしているのかというと、「これ可笑しくない?」「違和感感じる」「納得できる答えになってない」などというふうに感じることがあるなら、自らリサーチするしかないということだ。
色々勉強して、自分にとって最も当てはまる、最も合う考えまたは情報を探さないと、いつまでたっても他人に支配され、洗脳され、自分らしく生きることができない。
この21世紀は、SNSやメディアからの情報に溢れすぎている。どの情報を信じていいのか、可笑しいと判断するか、自分次第だ。自分の頭で考えることができなければ、流されやすくなる。そして、自ら動けなくなる。または、悪いことをするように他人に利用される。
疑うことから、やっとスタートだ!
疑って色々調べて、自分の頭で考え、自分の判断力をあげる!
ベロニカの場合は中学時代は、宗教を押し付ける、偽善者にしか見えなかった大人たちとの長い闘いだったが、最終的に抜け出すことができた。
しかし、長期的にみると、宗教から離れたこと以外に、もっと大事なスキルを身に着けた気がする。人の言うことをそのまま信じず、自分の目や舌で確かめたり、人の性格と好みを知ることで「この人はこういう人なんだ!だからこういうことを言うんだ!」と分かるようになってきた。これは個人的にものすごくいいスキルだと感じる!
みなさんはどうですか?色々を疑ってみませんか?