#187 無理に学校に通うのは、大いなる時間の浪費である
1 学習意欲は良くも悪くも伝播する
中学2年生は中だるみの時期と言われます。
しかし、中高一貫校においては、
中学3年生も中だるみの時期です。
自身の学生時代の記憶がありますし、
学習の目的意識を持ち、
モチベーションを高めることの
難しさも十分承知していますから、
スポット的に気持ちが緩むのは仕方がない。
でも、常にやる気のない表情で、
授業を「受けさせられている」生徒を見ると、
時間を無駄にしているなぁと思います。
こちらもお金をいただいている
プロフェッショナルですから、
授業内容の目的と活用方法を明確にして、
導入、展開、振り返りと、
最大限の工夫を盛り込んで授業を行います。
本気で良いものをつくっているからこそ、
学習意欲の低い生徒に腹が立つのです。
もちろん、こういった生徒は少数です。
けれども、意欲の低さは、
周囲の生徒にも伝播します。
斜に構えた態度が、積極的に、消極的に、
全体の学習意欲を削ぐ、
気怠い雰囲気となって教室に蔓延していきます。
2 無理をして学校に通う必要があるのか?
シンプルな疑問なのですが、
意欲が出ないのに
無理をして授業を受ける理由があるのでしょうか?
もっと言えば、
無理をして学校に来る必要があるのでしょうか?
勤務校は受験を経て入学する必要があるだけに、
余計に疑問を感じます。
乱暴に聞こえるかもしれませんが、
やる気が出ないのに
無理をして授業に参加するくらいであれば、
他の部屋で寝ていてもらって結構ですし、
もっと言えば、
家で好きなことをやっていてもらって結構なのです。
冷たく突き放しているわけではなく、
その方が時間を有効に使えると思うのです。
解決策はシンプルなのに、
学校に通わせるのが当然だという慣習があるだけで、
有限の時間を無駄にしてしまう。
無理して授業を受けなくても、
無理して学校に来なくても良いのです。
好きなことをすれば良い。
そして、授業を受けたくなったら、
学校に来たくなったら来れば良い。
それを許容できない、
学校や家庭や、
それをとりまく社会に大きな問題があります。
3 子どもを信じ、見守る社会の必要性
「教育の機会を奪ってはいけない!」
という耳タコの意見に対しても疑問があります。
教員が教育の機会を奪っているのではなく、
生徒が教育の機会を無駄にしているのです。
学びの目的を与えるのは誰でしょうか?
親でしょうか?
教員でしょうか?
社会でしょうか?
どう考えても生徒自身です。
胸に手を当てて考えれば、
誰しも思い当たるように、
学びの必要性に気付くのは、
自分自身しかありえません。
やる気のない状態で、
受動的に授業を受けていても、
絶対に、学びの必要性は生まれません。
好きなことをやってみて、
色々挑戦してみて、
たくさん失敗して、
自分のいたらなさに気付いたとき、
初めて学びの目的が生まれます。
そのプロセスを、
付かず離れずの距離感で、
粘り強く見守ってやる。
その余裕が、
学校に、家庭に、社会に、
必要とされているのだと強く感じます。
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