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ズーズー弁とツングース語

八坂神社のルーツを調べていたところ、2つの説があることがわかりました。

1つは、貞観18年(876)南都の僧・円如(えんにょ)がお堂を建立し、同じ年に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に降り立ったことにはじまるという説。

もう1つは、斉明天皇2年(656年)、高句麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)の創建とされる説があるそうです。

ちなみに、この時代の高句麗の民族は「ツングース族」であるという見方が多く見られるとありました。

この「ツングース族」とは、満洲からシベリア、極東にかけての北東アジア地域に住み、ツングース語族に属する言語を母語とする諸民族のことで、その起源は、満洲北東部、またはアムール川流域周辺一帯のどこかであると示唆され、宗教は、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方である「アミニズム」とありました。

特筆すべきは、古代出雲の住民が「ツングース族」であり、いわゆる「ズーズー弁」は「ツングース語」起源とする説もあるということです!!

「ズーズー弁」とは、一般には東北地方の方言の俗称で、「し」と「す」、「ち」と「つ」、「じ」と「ず」(「ぢ」と「づ」)の区別がない方言を指し、「一つ仮名弁」とも言い、「砂の器」の学説によりますと、かつては日本中が「出雲の言葉=ズーズー弁」だったといいます。

ではなぜ「出雲の言葉=ズーズー弁」が標準語ではなくなったのでしょうか?

古代、日本人は2つのグループに分かれて、陸と海から大陸を渡り、メソポタミアに辿り着いて文明を築いたそうです。

しかし、太陽が過酷すぎて、日本に戻ることになったと。
その際、海から戻ったのが大和族で、陸から戻ったのが出雲族に。

両者は争いが絶えず、大和族代表のアマテラスと出雲族代表のスサノオが政略結婚。

しかし、争いはなくならず、オオクニヌシの時代に出雲族は負けて、出雲の土地を譲ることに。

結果、標準語は「出雲の言葉=ズーズー弁」ではなく、「大和言葉」になっていったのかも?!

ぼんやりとしていた歴史認識が、少しづつクリアーになってきました!!
いずれにしましても「ズーズー弁」は貴重な無形文化財であることがよくわかりました。

あの温かみのあるサウンドを大切に次世代に伝えていきたいとしみじみ思いました✨

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