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遠くから見ることの大切さ

この10年、震災のこと、原発事故のこと、避難のこと、避難者住宅のことなどについて当事者の立場からお話をさせていただきました。

そうしたご縁が点々とつながって、先日は、早朝にカナダ、深夜にはオランダ在住の日本人の方々と、オンラインでお話をさせていただきました。

大震災はもとより、原発事故による避難は長期的です。
また、原発事故による避難は、避難指示の有無により、多くの人にはなかなか理解されない現状もあるため、孤独に陥りがちです。

しかし、こうした発信の機会を作ってくださることや、同じ思いを持つ人々との出会いは、とても貴重で、孤独からの解放と同時に明日への活力にもつながります。

海外在住の方々からはよく「遠くに住む自分たちに何ができるのか?」
という質問を受けることが少なくないのですが、そのとき私は決まってこうお伝えしています。

「遠くにいるからこそ見える全体像、遠くだからこそ気づく疑問など、率直なご意見をどしどし発信してください」と。

私がこのことに気づいたのは、2011年の夏に、ETVで放送された「フクシマを歩いて 徐京植:私にとっての「3・11」こころの時代」という番組でした。

それまで「福島」をテーマにした番組は数々ありましたが、いずれも当時の私の心のモヤモヤを代弁する番組には出会えずにいたものでした。

しかしこの番組は私の心のモヤモヤを余すことなく代弁してくれたのです!
というよりは、ナビゲーターである徐京植氏の発する言葉の一つ一つがあまりにも的確で絶句したものでした。

たとえばそれは以下の表現でした。

「破局という現実が非現実的なものに思える。同心円的に遠ざかっていく想像力。離れると見えないけど離れないと見えない同心円のパラドックス」

同心円のパラドックス・・・なんて的を得た表現なのだろう。
そしてなぜ徐京植氏はそれをいともたやすく分析し表現できたのだろう。

私は徐京植氏について知りたくなりました。
すると、氏は在日朝鮮人であったことから、様々なご苦労をされたことを知り、深く納得したものでした・・・

そして私はこの番組と徐京植氏をきっかけに、遅ればせながら在日朝鮮人の方々の根の深い問題を知り、後日、在日朝鮮人の方々が多く居住するウトロ地区を訪ねることになったものでした。

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