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ツインレイ?の記録8

2月5日
その日は朝から雪で道路が真っ白だった。
朝起きてすぐに彼にメッセージを送った。
運転手付きの車で出社する彼に道路が真っ白だから後部座席でもシートベルトしたほうがいいですよという余計なお世話な内容。
「お仕事がんばってくださいね」と。

出社途中にすぐ返事。

「積雪がすごい。滑りそうですね。運転手のテクニックを信じるしかありません」

私はなぜかこの時、シートベルトはしてないだろうなと思った。
彼は一件穏やかそうだけど、自分で決めたこと以外絶対しないというか、頑固で言うことを聞かない面がある。
何となく私はもうこの時からそれがわかっていた気がする。

それでもシートベルトはしてほしいと念を押して言っているあたり、私もかなり主張が強い。

その夜、私は彼にパスタを食べにこないかと誘った。

でもこれはすぐに断られている。
どうやら風邪が悪化したらしい。
安静にして早く寝て治したいということだった。
腰痛に対しての報告もあり、業務に支障が出ないよう早く完治させたいと言っている。
彼にとってはまず仕事。
そしてまるで問診票のようにくわしく体の状態を報告してくる。
この頃からすでにそうだった。

それに対して私もおせっかい発揮で、色々アドバイスしている。
そして土日に無理させたことを謝っている。

「マックで出入り口付近の席で風が入ってくるし、腰冷えないか心配だったのになかなか解散できませんでした。気遣いが足りなかったです。あったかくして水分とってゆっくり休んでくださいね」

そして自分もぎっくり腰を何度かしているので、呼吸は浅くないか、力を抜くのが下手じゃないかと聞いている。これは自分のことなのだが、息を吐く時意識的に長めにしてみてくださいと伝えている。

マッサージをした時も感じたけれど、なぜかこの人の体が自分の一部のように感じるのだ。
まあ勘違いかもしれないし、好きだから共感的態度になっているからかもしれないし、錯覚や思い込みかもしれないけれど、何となく、この人もいつも力んでいるというか、力を抜いて体を緩めることが下手な気がしたのだ。

「返信は不要です。早く回復するよう祈ってます」

そう私は書いたけれど、その日は本当に返信は来なかった。

2月6日夜
「具合どうですか?」と私が聞くと、
30分後にすぐ返事。

「今日は妻から長女がコロナにかかってたと聞いて慌てました」

この時、初めて私は彼のメッセージの中に「妻」と「長女」の文字を見る。
彼は非常に空気を読む人で、「妻が」というと、微妙に私が黙るので、それ以上言うことはなかったし、こちらが聞かない限り、子どもの話も絶対にしなかった。そして私は聞くことはほとんどないので、話題に出ることもなかった。

それが今、この時、自ら家族の話をしている。
それほど動揺した出来事だったというのがわかる。

家に戻って看病してあげたいのに電話で大丈夫としか言えない状況が情けないとか、まだ小学生だし、どれだけ辛いか、コロナなので悪化しないか、心配で仕方ない、近くにいてあげられないのはダメな親です・・・といった弱音を吐き出す。

この人は、家族のこととなると防具が取れるのだな。
正直、このメッセージを見た直後は、「なんでそんなこと私に言うの?」と思った。

傷ついた。

そうやってわざと家族の話題を出すことで、私をけん制しているのかとも思った。

でも、いつもならここで勝手に失恋したと傷ついて終わるところだが、なぜか沸々とちがう気持ちがこみあげてきた。

初めて彼が私に素を見せていることがうれしい気持ちと、そして鮮明に浮かぶ私の記憶により、感動さえしていた。

その記憶とは、私が子どもの頃の記憶。

二階で父と共に寝ていた私は、高熱を出していた。
一階のトイレに行きたいが、ふらふらしていて階段を降りれない。
私は一段一段座りながら降りていた。
すると起きて来た父が私を見て、
「おまえ、何ふざけんてんのよ」
と言った。

父はこのように私が具合が悪いことを認めたがらないことがある。
非常に弱くて未熟な人で、自分が信じたくない現実からは目をそらす人なのだ。

私が乳がんの疑いがあって悪性のシコリがあると発見された時も、父に言ったが、「どうせなんともないんだろ」と言われた。
結局隣の家のおばさんの勧めでセカンドオピニオンで専門病院に行ったところ、誤診とわかり、シコリは良性で手術もせず経過観察で済んだ。

今なら父は現実を直視できない弱い人とわかるが、子どもの頃の私は傷ついていたのだ。

泣きながら階段を座って降りたのを覚えている。

その時の父と彼はなんてちがうんだろうと思った。
こんなふうに自分も体調不良で寝込んでいても、娘の体を案じて、どんなにつらいかと気持ちに寄り添ってくれる父親がいるのかと、私は感動して泣いた。

父親としてのこの人が本当に好きだと思ったし、弱気になっている彼を何とか励ましたかった。

そして私が送ったメールはたぶん彼の意表を突くものだっただろう。

「遠くにいても、自分が病気なのにこんなにも我が子を心配してるお父さんがダメな親なわけないでしょ!」

まずは自分の体を回復させて、あまり心配しすぎないで、日本の医療を信じましょう!と。

「むしろ異国のこんな田舎で寝込んでいるあなたのほうが心配です。気を強く持って回復に努めてください」

「ダメな親なんかじゃない。自分を責めないで、早く元気になって下さい」

その夜は返事はこなかった。

2月7日
私は自ら人体実験と称して、この地の薬を飲んでいる。
現地の友人に勧められた薬で、この地のウイルスならこの地の薬が効果が高いのではないかという判断から飲み、見事咳が一発で治った。

彼は日本の薬しか飲みたがらないが、一応効果があったことと、この薬の入手法を彼に伝えた。

そしてこんなメッセージも

「元気でいてほしいんです。ご家族のためにも。お父さんが元気じゃないと娘さんを力づけることもできませんよ。自分にできることは何か考えてます。あなたは私が弱ってるときに助けてくれました。助けられることと助けることは同価値です。今目の前の人にできる限りのことがしたいんです。押しつけがましかったらごめんなさい」

返事はすぐにきた。

「情報ありがとうございます。色々と調べてくださったのですね。お気持ち感謝します」

そうはいってもやはり私の伝えた異国の薬は飲む気はなさそうだった。
丁寧な言葉の裏には彼の頑固さと融通の利かなさがいつも垣間見える。

そして最後に娘さんの熱が下がったこと、家族に感染していないことを報告している。

「心配してもどうにもあげられないのですが、気持ちは落ち着かないです」

これが本当に本音なんだろう。
この人にとって何よりも大切で自分の中心にあるのは「家族」なのだ。
そしてこの人は恐れている。家族を失うことを恐れている。
心配性という性格もあるのだろうけれど、私はこの時にはもう彼にとって「家族」は絶対に失いたくないという恐れと執着の対象であることを、どこかで感じ取っていた。

ただこの時の私は単純に娘さんの回復を喜んだ。
正直私は彼ほど心配はしていなかった。
どうでもいいということではなく、今のコロナならそれほど重症化しないのではないかと思っていたからだ。

「心配しすぎって相手を信頼していないことにもなるんですよ。もっと娘さんの治癒力や生命力を信じてあげてください」

私はこのように書いた。
そしてまずは自分の体を回復させてほしいと。
彼は本当に私と出会ってからどんどん体調が悪くなっていく。
むしろ大丈夫じゃないのは彼だろうと私は思った。

「大丈夫だから気を落ち着けて、自分の回復に努めてください。病は気からですよ!」

このようになぜか私は励ましている。

これは昼に送ったメールだが、夜寝る前にもメールを送っている。

「心配性のお父さん。夜は悪い考えばかり浮かぶ時間帯だから何も考えず早く寝てくださいね。言葉の力は大きいから、大丈夫って何回も言ってみてください。早く元気になりますように。おやすみなさい」

2月8日
昼休みに返事があった。
前日は早寝をして、安静にすることが良いだろうと思ったということだった。
家族も無事とわかり、自分の体調回復に努めるとのことだった。

そしてそれに対して私の返信

「ご家族はだいじょうぶだと思っていました。でもあなたは40代ですよね? 風邪を甘く見てはいけません。しかもここの医療体制は不安もあります。だから私はあなたのほうが心配です。あなたは自分のことより人のことを考える人でしょ? 誰にも頼らないんじゃないかと思うから、助けた私には気兼ねなく何でも言えるんじゃないかと思って声掛けしてるんです。煩わしかったらごめんなさい」

そして、先日から泊まっているこの地の親子の話をした。

母親は私の友人で、別な国に出稼ぎに行っていたところ帰ってきた。
5歳の息子がいて、離婚した旦那のもとから連れて来て、束の間一緒に過ごしている。彼女はほかに行き場もなく、私は親子が水入らずで過ごせるよう冬休みに私の部屋で一緒に暮らしてもいいと言った。

彼らが寝ている隣のベッドで私は彼を想っていた。
なぜか私はシクシク泣いていた。

「あなたが一人で娘さんを想って泣いているのかな、辛いだろうなと思ったら、もらい泣きしてきました」

これ、言葉だけじゃなく、本当に私は泣いていた。
彼のつらさがまるで自分のつらさのように感じられた。
私自身は娘さんはそんなに重症と思ってないし回復傾向で安心している。
それでもつらくて泣けるのは、彼の心配がそのまま私の心配になっているからとしか言いようがない。
彼のつらさはもはや私のものだった。

その夜も彼から返信はない。

2月8日
翌日、私は以前から乗りたかった乗り物に乗れたと動画付きで報告している。

だけどこの日も返信はない。

2月9日
「おつかれさまです。具合どうですか? 返信ないし、寝込んでないか心配です」

するとこれにはすぐ返事がきた。

体調は回復傾向ということだが、仕事が急に忙しくなったようだ。
もうすぐこちらの暦では大型連休となるのに、彼は休めそうもないということだった。さすがにこれには彼も不満があるようで、珍しく私に愚痴めいたことを書いている。

ただここで私がショックだったのは、この大型連休に彼はすでに予定を入れていたということだった。

前回、私の家で一緒にご飯を食べた日、大型連休の予定を私は聞かれた。その時私は初めて子どもが三人いると聞かされていて、下の子がまだ6歳ということに動揺していた。そして黙り込んだ私に大型連休は暇だと思うと言ったのだ。だけど、私は何も言わなかった。言わないのに勝手に期待していた。その連休は彼と一緒に過ごすことができるのだと。

でも、彼が予定を別に入れていたというのがショックで、私はそのことを書いている。

「会えると思っていたのに予定を入れているようでかなりショックです。その時は今家にいる友だち親子も一緒にみんなでゲームやろうと思ってました。風邪に効くメニューも仕込みました。急に仕事になったのは仕方のないことだけれど、すでに予定いれていたということにがっかりです」

その夜遅くに返事がきた

仕事が相当忙しいらしく、「馬車馬のように働かされている」と最初から少しぼやきがある。

でも真面目に「色々と企画してくださったのですね。そのお気持ちに感謝です」と返事をしてくれたのが彼らしい。
そして予定といっても大した予定でもないのだということが書かれている。
ただその予定さえ仕事につぶされたことに対して彼は腹を立てている。大人げないと反省はしているものの、彼の苛立ちが伝わってくる。仕方がないと諦めながらも、やりきれない気持ちが込められている。

私の中に沸々と怒りが湧いてくる。
もはや自分のがっかりした気持ちなどどうでもいい。
彼の怒りが、ストレスが、やりきれなさが私の中から湧いてくる

もしもこの時、彼の気持ちに同化しすぎていると気づけていたら、少し冷静になれていたら、私は暴走しなかっただろうか。

翌日私はとんでもない失敗を犯してしまう。

そしてそれがきっかけで、彼からの連絡がぷつりと途絶えた。









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