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【嗚呼、人生 vol.07】〜ついてない日〜

目覚ましの音を聞いては消してを繰り返すことが日常になっていた。絶対に起きなければ間に合わなくなる時間の5分前後にセットして、3回めの音で嫌々体を起こすことが日常になっていた。楽しみなことなんてない。今日もやらなければならないことに追われる忙しい時間を過ごすのだ。
一度目が覚めてしまったら起きるしかない。起きなかったら起きなかったでいつも通り忙しい日になるのを知っている家族の誰かが起こしに来る。
ギリギリに起きたもんだから朝食を摂る暇もない。顔を洗って歯を磨いて適当な服を引っ掴んでいつものリュックを背負う。家族と話す暇もなく電車に乗り遅れないように家を出る。
8:49発の電車に乗ってしまえば、あとは急がなくても授業10分前には大学に着けるのだ。

特段嫌なところと言えば、ちょうど通勤ラッシュの時間帯だということ。全部で3回乗り換えるがもれなく全て密だ。最初の電車の京急。わたしの最寄り駅は普通と急行の2本が停車するが、この時間はどちらに乗車してももれなく隣の人と肩がぶつかる。
急行だったらぎゅうぎゅうに詰め込まれた車内で静かに呼吸だけをしてものの5分我慢をすれば品川に着く。普通だったら肩と肩がぶつかる距離に立つ隣の人にぶつからないように肩を丸め10分我慢をしたら品川に着く。
どちらがストレスフルかは十人十色だが、私は時間を買っていた。急行に乗る際は特にだが、最後尾に並んでドアが閉まる直前に体をすり込ませれば扉の目の前に立つことができた。
しかしそうできなかったときが地獄だ。満員電車というどさくさに紛れて密着することを楽しみにしている輩もいる。そんな奴らを成敗するために、リュックは背負ったまま、胸の前で腕を交差させることで私は痴漢を防いでいた。それだけでは男の目を逸らすことは難しかったので、次第に私の目は冷徹さを宿すようになった。この目は、ときに人を威嚇するため、そして人の行動を制御せしめるためにこの形を呈したと言っても過言ではないかもしれない。

そんな目を持つ私でもリュックではなくトートバックなどを持ってきてしまったときの絶望感は知れたもんじゃなかった。前は手でカバーできるものの、背後はノーマークなのだ。どさくさに紛れて尻を触ってくるものがいたりして、気持ちが悪かった。しかし満員電車だから多少は仕方ないと思い我慢していた点もあったかもしれない。なぜならば、私は小学生の頃から電車で通学していたから。人は人としてしか認識しておらず、いわゆる大人は善良な人々だと信じていた。
学年があがるにつれて考え方や捉え方も変わっていき、汚い大人が多いことを知り、満員電車に乗ることも避けるようになったが。

品川に着いたら山手線のホームへと向かう。山手線は2,3分に1本は来るが、この時間帯はどれだけ待っても満員だ。都心部を走っている電車だからこそ仕方がないとは言え、京急乗車で神経を研ぎ澄ませている私としては、同じように耐えて新宿に着くのを待っていては、疲労で大学に到着する頃にはヘトヘトになってしまう。

だから私はいつも大崎で埼京線に乗り換えていた。湘南新宿ラインは混雑しているが埼京線は山手線や湘南新宿ラインと比較したら空いていることが多いのだ。しかも、多くの場合、座れたし、恵比寿、渋谷の次が新宿と停車駅も少なかったから必要以上に精神を擦り減らさなくて済む。

この時間帯は7,8番線ホームで待っていればどちらかに電車がやってくる。私は何も考えずに7番線にやってきた電車に乗った。

このところずっと睡眠不足が続いていたし、昨日の夜は少し嫌なことがあったし、満員電車で精神を擦り減らしてしまったし、私はただただ疲れていた。やけに人が少なかった。ラッキーと思って1番端っこの席に腰掛けて座席の壁に寄りかかり目を閉じた。小学生の頃から電車通学をしているからか、ほとんどの場合、降りるべき駅に到着した途端に目が覚める特技のようなものが身に付いていた。
その日はなぜか胸がソワソワしていた。その特技のような予感のようなものに身を委ねて寝たいのに、ソワソワのせいで眠れない。仕方なく目を開けた。車内の液晶ディスプレイは見慣れない駅の文字を映し出していた。
しまった。逆方向の電車に乗ってしまった。電車通学をして14年目なのに、こんなに初歩的な間違いをするとは、、、!自分が嫌になって一気に目が覚めた。全身に変な汗が流れる。8:49発の電車に乗れたから急がなくても大丈夫という命題に電車を間違えるという仮定は含まれていないのに。急いで乗換案内のアプリで次の停車駅から大学の最寄り駅までの行き方を調べる。
路線を変える必要はないが、4分後に次の停車駅を新宿方面に向けて発車する電車に乗り換えられたら、自転車を飛ばせば2限に間に合うかもしれない。心臓がドキドキと嫌な音を立てている。焦る気持ちを抑えて次の停車駅に着く時間を調べる。今から2分後。ということは駅での乗り換え時間は2分か。ガンダすれば間に合うかも。着くまであと2分あるから、その間に停車駅の駅構内図を調べながら車両間を移動する。
停車駅に、着いた。小学生のときの運動会の徒競走を思い出しながら電車のドアが開くのを待った。向こうのホームに私が乗るべき電車が止まっているのが目に入る。絶対に乗ってやる。
ドアが、開いた。私は重いリュックを背負ったまま、久しぶりにガンダッシュしようとした。けれどその時間は通勤ラッシュ。その駅にもたくさんの人がいた。人の波の中を徒競走のように走るのは難しい。というより、不可能だ。私が乗るべき電車が止まっていたホームに着いたら、もうそこにその電車はいなかった。
あーあ。終わった。昨日一生懸命課題図書読んだのに。8:49発の電車に乗ったのに。遅刻かよ。
次に来た電車に乗った。そんなに混んでいなかった。頭の中は絶望の文字しかなくて、新宿までゆらゆら電車に揺られた。その間にもやっぱり遅刻せずに行きたい私はどこかにいて、乗換案内のアプリでひたすらに調べていた。
通勤ラッシュの時間帯の混雑する駅では特に、人身事故やら緊急停止やらがとてもよく頻繁に起こる。そしてその日も新宿駅の手前で緊急停止ボタンが押された。駅の手前の新宿のど真ん中に踏切なんかがあるから、私と同じように時間に追われる人々が踏切が閉まっているのに渡ろうとしたりするのだ。今回もそれが原因だった。幸いなことに犠牲者さえ出なかったが、色んな人の事情が絡み合うこのことについて意見することは非常に難しい。
緊急停止している間にも車両替えをして乗り換えをしやすいドアの前へ行き、徒競走のスタンバイをすることもできたが、ついてない出来事の連続で心身共に疲れていたから、座席に座って壁にもたれかかってぼーっとしていた。
電車が停止する直前に立ち上がって、ドアの前で開くのを待つ。ドアが開いてからは、早歩きで中央線のホームへ向かった。中央線のホームへと続くエスカレーターを下っている途中でホームに電車が入ってくる音が聞こえた。体が自然に走り出した。これに乗れたら授業に間に合うかもしれない。ここに来て初めて、同じように急いでいる人と徒競走をするかのように、全速力で走った。

乗れた。乗れた!!緊急停車がなければ間に合うかも!!!活力が漲ってきた。大学の最寄り駅に着くまでにはあと20分ある。その間に改札に1番近いドアの前まで移動しておこう。そして席が空いていたらそこに座って体力温存のために少し眠ろう。
車両替えをしてみたが、席は空いていない。仕方ない。リュックを下ろして開閉の少ない方のドアにもたれた。あと2駅というところで席が空いたので、そこに座った。時計を見ると授業が始まるまであと17分。心臓は嫌な音を立てていた。
目を閉じて計算する。どれだけ頑張っても少し遅れてしまう。しかし駅に着いてから駐輪場まで全速力で走ってそれから大学まで全速力でこいだら、もしかしたら、もしかしたら3分も遅れないかもしれない。
よし、走ろう。電車が止まる30秒くらい前に席を立って、足首を捻らないように少し回した。
駅に着いてからは、今日何回目かのガンダッシュをした。そして、自転車でもガンダッシュした。ドキドキ、ドキドキ。心臓はずっと嫌な音を立てている。3つある信号も青か、チカチカで渡れた。腕時計をみる。授業開始まであと5分。いけるかも。
ここから2つ目の角を左に曲がって突き当たりを右に曲がってまっすぐ行けば大学の門に着く。足はもう限界がきていた。頑張れ自分。もう少し。ペダルを漕ぐ足に力を入れる。
着いた。守衛さんに挨拶して腕時計をみる。あと2分10秒。門から本館脇の駐輪場までの道のりは距離にして800mくらい。いけるぞーわたしー!がんばれーわたしー!!
右、左、右、左、声に出しながらペダルを漕ぐ。のんびりこいでいる学生を何人か抜かした。いつも停める本館から近い場所はもう既に埋まっていたため、少し離れたところに停めて、腕時計をみる。授業が始まる時刻から1分経過していた。
遅刻することは百も承知、疲れ切っている足をさすりながら3階まで階段をのぼる。なんで3階まで教室があるんだよ!というかなんでこの授業は3階で授業なんかするんだよ!
ついてない日は色んなことに不満を持つ。3階まで登り終えて時計をみる。2分30秒経過している。
頑張った方だよ、あとはこの廊下をまっすぐ進んで8個目のドアを開ければいいだけ。あーあ。遅刻してくと席がないんだよなあ。嫌だなあ。けど頑張ったんだし、席を探せるまでのもう一踏ん張り。自分を励まして教室までの足を進める。
教室のドアの前に着いた。一度素早く深呼吸して、思い切って静かにドアを開ける。
そこはがらんどうだった。100人くらい入る大きな教室は電気もついていないし、教授も、学生も、誰も、いなかった。

おかしいな、教室間違えたかな。廊下に出てドアの上の表示をみる。315教室。ここのはず。あれ、なんでだろう。休校の知らせ来てたっけ?メールを開く。それらしい情報はない。同じ授業をとっている友だちの存在を思い出し、LINEする。「今日って休講だったっけ?」いつもすぐに既読が付くはずなのに、付かない。あれ?色々おかしいな。

もう一度カレンダーを見る。
あ。
今日、火曜日じゃん。
3限の日じゃん。
2限3限で同じ授業なのは、木曜日じゃん。


それからしばらくそこに固まったまま動けなかった。やがて忙しすぎた朝を思い出して、バカらしくなって笑えてきた。バカじゃん自分。今日火曜日じゃん。なんで気付かなかったんだろう。って思って笑えてきた。
ほんっとに今日は、朝からついてない。こんなについてない日ってあるんだなあ。
一頻り一人で笑った私は外の空気を吸うために本館を出た。

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