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「今に繋がる起点となった気づき」

創業してから17年、ヴィーナスラッシュをオープンしてから今年10月で15周年を迎えます。
この機会に原点回帰をしてみようと思い、前回の投稿では「自分の力で生きていけるようになる」と決意した時に
自分に約束したことを書いてみました。

今回は2つめの約束「誰かに必要とされる存在になる」と決めた時にどんな行動をとったかを書いてみようと思います。
これは「女性の社会的自立」にも繋がってくることだと思っていて、自分の存在を確かめるとき人から必要とされている実感がなければ感じることはできないと思っています。
でも自分がどれだけ必要とされているかって中々分からなくて言葉や態度にしてもらわなければ伝わってこない。
日本人は気持ちを言葉にするのが下手なのでプレゼントをしたり手紙を書いたりして伝える人が多いのかなと思います。
私も特に苦手で、そもそも何を考えているか分からないと言われるほど表現力が乏しくて(怒った時は顔に出ると言われますが)本当に最悪。
それまでは周りがフォローしてくれたから生きてこれたことさえ気づけない状態でした。
こんな最悪な私をはっきり指摘してくれたのが今の夫で、私は「愛と承認は沈黙と推測の中にしか存在しない人」と言われました。
自分の気持ちは伝わっているものだと思っていたのですが、実際は全然だったそうです。

この気づきは私の人生の中で本当に重要なことで
「誰かに必要とされる存在になる」には言葉や行動で周りにいる人を承認し、受け入れることからしか始まらないということ。
そしてまずは近くの人に必要とされること、
私の場合は夫に「側にいてくれるだけで幸せ」と日々言葉にして伝えられるようになりました。
言葉にすることで自分も幸せな気持ちになり全て帰ってくることも実感しました。優しくしてほしいなら私から優しくする、必要とされたいなら私から必要とする、大切にされたいなら私から大切にする、
そして一番傍にいる人を大切にできなければ、社会から必要とされることはないんだと思っています。


ある方が書いていたとても心に響いたお話です。よかったら読んでみてください。

「絆」

仕事から帰宅すると、妻は食事の支度をしていた。
僕は彼女の手を握り「話があるんだ」と切り出した。
妻は何も言わず席についた。
その目は苦痛に満ちていた。

ふと、僕はどう切り出したらいいのか分からなくなった。
でも言わなければならない。
「離婚したいんだ」と。

僕は冷静に、その言葉を口にした。
妻は大したリアクションも見せず、ただ静かに聞き返した。
「どうして?」

その問いに敢えて答えないでいたら、妻はとうとう怒りをあらわにした。
彼女は箸を投げ散らかし叫んだ。
「あんたなんか、男じゃない!!」

その夜、その口論のあと僕らはとうとう一言も言葉を交わさなかった。
妻のすすり泣く声がかすかに聞こえた。
わかっている。

どうして僕らがこうなってしまったのか、妻はその理由を知りたがっているのだ。
でも僕は、彼女を納得させられるような説明をとうてい与えられるはずはなかった。

それもそのはず。
僕は「ジェーン」という他の女性を愛してしまったのだ。
妻のことは、、、もう愛していなかった。
ただ哀れんでいただけだったのだ!

深い罪悪難にさいなまれながら、僕は離婚の「承諾書」を書き上げた。
その中には、家は妻に譲ること、車も妻に譲ること、僕の会社の30%の株も譲渡することを記した。

彼女はそれをチラと見ただけで、ビリビリと破り捨てた。
僕がこの10年という月日を共に過ごした、この女は僕にとってもはや「見知らぬ誰か」に成り下がっていた。

彼女が今まで僕のために浪費した、時間、労力、エネルギーに対しては、本当に申し訳ないと思っている。
でも自分が「ジェーン」を愛しているという気持ちに、これ以上目を背けることは出来なかった。

承諾書を破り捨てた後、妻はとうとう大声をあげて泣き始めた。

ヘンな言い方だが、僕はその彼女の泣く姿を見て、少しホッとしたのだ。
これで離婚は確定だと。
この数週間、呪いのように頭の中につきまとっていた「離婚」という二文字は、これでとうとう現実化したのだ。

その翌日、僕は仕事からかなり遅くに帰宅した。家に戻ると、妻はテーブルに向かって何かを一生懸命に書いていた。

夕食はまだだったが食欲など到底なく、僕はただベッドに崩れるように倒れ込み寝入ってしまった。
深夜に一度目が覚めたが、その時も妻はまだテーブルで何かを書いているようだった。

僕はもはや大した興味もなく、ふたたび眠りについた。
朝になって、妻は僕に「離婚の条件」を突きつけてきた。
彼女は家も車も株も、何も欲しくないと言った。

でもその代わりに「1ヶ月間の準備期間」が欲しいと言ってきた。
そして彼女の条件は、その1ヶ月の間、出来るだけ「今まで通り」の生活をすること。
その理由は明確だった。

僕らの息子が、1ヶ月後にとても大切な試験を控えているためできるだけ彼を動揺させたくないというのが、彼女の言い分だった。
それに関しては、僕は即座に納得した。
だが、それ以外にもうひとつ妻は条件をつけてきた。

「私たちが結婚した日、あなたが私を抱き上げて、寝室に入った日のことを思い出してほしい」と。

そして、これからの一ヶ月間、あの時と同じようにして毎朝、彼女が仕事へ行く時に彼女を腕に抱き上げて、寝室から玄関口まで運んでほしいと言うのだ。

僕は「とうとうおかしくなったな・・・」と思った。
でもこれ以上妻といざこざを起こしたくなかった僕は、黙って彼女の条件を受け入れた。

僕は「ジェーン」にこの事を話した。
ジェーンはお腹を抱えて笑い、「馬鹿じゃないの」と言った。
今さら何をどうジタバタしたって、離婚はまぬがれないのにとジェーンは嘲るように笑った。

僕が「離婚」を切り出して以来、僕ら夫婦はまったくスキンシップを取っていなかった。
なので彼女を抱き上げて玄関口まで連れていった1日目、僕らは二人ともなんとも変な感じで、ぎこちなかった。
それでもそんな僕らの後ろを、息子はそれは嬉しそうに手をパチパチ叩いてついてきた。

寝室からリビングへ、そして玄関口へと僕は妻を腕に抱いたまま10メートルは歩いただろうか。
妻は目を閉じたまま、そっと「どうかあの子には離婚のことは言わないで」と耳元でささやいた。
僕は黙ってうなずいた。
でもなぜか、そうしながら心はひどく動揺していた。

妻をドアの外に静かに下ろすと、彼女はそのままいつものバス停へ向かって歩いていった。僕もいつも通り車に乗り込み仕事へ向かった。

2日目の朝。
初日よりは少しは慣れた感があった。
抱き上げられながら、妻は僕の胸に自然ともたれかかっていた。
僕はふと、彼女のブラウスから薫るほのかな香りに気づいた。

そして思った。
彼女をこんな近くできちんと見たのは、いつ以来だっただろうかと・・・

妻がもはや若かりし頃の妻ではないことに、僕は今さらながら驚愕していた。
その顔には細かなシワが刻まれ髪の毛には、なんと白いものが入り交じっている。

結婚してからの年数が、これだけの変化を彼女に・・・
その一瞬、僕は自問した。

「僕は彼女に何てことをしてしまったのだろう」と。

4日目の朝。
彼女を抱き上げたとき、ふとかつて僕らの間にあった、あの愛情に満ちた「つながり感」が戻ってくるのを感じた。
この人は、この女性は、僕に10年という年月を捧げてくれた人だった。

5日目、そして6日目の朝、その感覚はさらに強くなった。
このことを、僕は「ジェーン」には言わなかった。

日にちが経つにつれ、妻を抱き上げることがに日にラクになってゆくのを感じた。
なにせ毎朝していることなので、腕の筋力もそりゃ強くなるだろうと僕は単純にそう考えていた。

ある朝、妻はその日着てゆく服を選んでいた。鏡のまえで何着も何着も試着して
それでも体にピッタリくる一着が、なかなか見つからないようだった。

そして彼女は「はあ〜っ」とため息をついた。
「どれもこれも、何だか大きくなっちゃって・・・」

その言葉を耳にして、僕はてハッ!とした。
妻はいつの間にやせ細っていたのだ!
妻を抱き上げやすくなったのは、僕の腕力がついたからではなく彼女が今まで以上に軽くなっていたからだったのだ!

愕然とした。
それほどまで、やせ細ってしまうまで
彼女は痛みと苦痛を胸のなかに・・・

僕は思わず手を伸ばして、妻の髪に触れていた。
そこに息子がやってきた。
「ダディー、マミーを抱っこして『いってらっしゃい』する時間だよ!」

息子には、父親が母親を毎朝抱き上げるこの光景を目にすることがすでに大切な日常の一場面となっているようだった。

妻は、そんな息子にむかって「おいで」と優しく手招きしたかと思うと彼を力いっぱいぎゅっと抱きしめた。

僕は思わず目をそらした。
そうしないと、最後の最後で、気が変わってしまいそうだったからだ!

僕はだまって、いつものように妻を腕に抱き上げ寝室から、リビング、そして玄関口へと彼女を運んだ。

妻はただそっと、僕の首に腕を回していた。
そんな彼女を、気づいたら強くグッと抱きしめていた。
そうまるで、結婚したあの日の僕のように。。。

彼女の、それはそれは軽くなった体を腕のなかに感じながら僕は例えようのない悲しみを覚えていた。

そして最後の朝、妻を抱き上げたとき、
僕は、一歩たりとも歩みを進めることができなかった。

その日息子はすでに学校へ行ってしまっていた。
僕は妻をしっかりと腕に抱き、そして言った。

「今まで気づかなかったよ。僕たちの結婚生活に、こうしてお互いのぬくもりを感じる時間がどれほど欠けていたか・・・」

そして僕はいつも通り仕事へ向かった。
何かにせき立てられるように、とにかくここで、最後の最後で自分の決心が揺らいでしまうのが怖くてそれを振り切るかのように、車を停めると鍵もかけずに飛び出しオフィスのある上の階まで駆け上がっていった。

気が変わってしまう前に、オフィスへ行かなければ。
早く「ジェーン」のもとへ!

ドアを開けるとそこに「ジェーン」がいた。

彼女を見た瞬間、僕は思わず口にしていた。
「ジェーン、すまない。僕は離婚できない。」

「ジェーン」は「はあ?」という目で僕を見つめ、そして額に手をあてた。
「あなた、熱でもあるの?」

僕はジェーンの手を額からはずし、再度言った。
「すまない、ジェーン。僕は離婚はできないんだ。」

「妻との結婚生活が『退屈』に感じられたのは、彼女を愛していなかったからではなく僕が毎日の小さな幸せを、他愛のない、だけどかけがえのない小さな日常を大切にしてこなかったからなんだ。

今頃になって気づいたよ。

あの日、あの結婚した日
僕が彼女を腕に抱いて家の中へ初めての一歩を踏み入れたあの日のように
僕は死が二人をわかつまで、彼女をしっかり腕に抱いているべきだったんだ!」

「ジェーン」はようやく事の次第を理解したようだった。
そして僕のほっぺたを思いっきりひっぱたくと、扉をバタン!と閉めワーッ!と泣き叫びながら飛び出して行った。

僕はそのまま黙って階下に降りた。
見ると、花屋が目にとまった。

僕はそこで、妻のためのブーケをアレンジしてもらった。
店員が「カードには何とお書きになりますか?」と聞いてきた。

僕はふと微笑んで、言った。
「そうだね、こう書いてくれ。」
『毎朝君を腕に抱いて見送るよ。死が二人をわかつ、その日まで...』

その日の夕方、僕は妻への花束を抱え、顔に笑顔をたたえて家についた。
はやる気持ちで階段を駆け上がる!
早く早く!妻のもとへ!

出迎えてくれた妻は
ベッドで冷たくなっていた・・・
何も知らなかった。
僕は、何も知らなかったのだ。
妻が癌であったことさえも。
ジェーンとの情事にうつつをぬかしていた僕は、妻がこの数ヶ月必死で病魔と戦っていたことに気付きさえしなかったのだ!

妻は分かっていたのだ。
自分がもうじき死ぬことを。
彼女が出してきた「離婚の条件」は
僕を責めるものではなく、僕を救うためのものだったのだ!

自分亡き後、最愛の息子から僕が責められることがないように。

毎朝お母さんを抱き上げて優しく見送るお父さん。

そう、そういう僕を毎朝見ていた息子にとって僕はまぎれもなく
「お母さんに離婚をつきつけたお父さん」ではなく
「お母さんを最後まで愛したお父さん」となったのだ!

僕はどうしても皆さんにお伝えしたい。
日々のささやかな幸せ・・・
それが人生で何よりも大切であるということを。

幸せは大きな家、土地、高価な車、または銀行の残高・・・
そんなものの中にあるのではないということを。

もしも今、あなたの傍らにかけがえのない伴侶がいるのなら
毎日がどんなに忙しくてもどうか、相手が大切だと伝える
小さなジェスチャーを、心を通わせる時間を大切にして欲しいと思います。

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