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#8兄弟ケンカの原因は「責任の共有?!」子育てを”識学”で考えてみたら兄弟ケンカが激減した話

9月から受け始めた識学が、子育てにも役に立ちそうだな、と思い、自分自身の理解を深めるためにもこれから毎回識学を受講し終わるまで記事にしてみることにしました。
第8回は「責任」です。

責任は「共有できない」

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識学では、責任は共有できない、と定義しています。
「一緒に協力して」とか「共に連携して」という言葉は、あらゆるシーンで耳にしますよね。確かに、チームで連携したほうが良いアイディアが出たり、物事が前進することはあります。
でも、仮に、5人のチームで出したい結果が100だったとして、これをチームで協力して100にしてください、と言ったらどんなことが起きると思いますか?ある人は50やって、ある人は20やって、やらない人もいるかもしれません。その結果、もし100に達成できず、80になってしまったら、いったい誰がその80という結果責任を取るのでしょうか?互いに責任を押し付けあって、結果的にだれも未達という結果責任を取らないかもしれません。

チームスポーツなども、よく協力して、チームワークで、という言葉が飛び交いますが、スポーツは必ずポジションやルールによって、誰がどの役割を担い、勝利に対する責任を担うのか非常に明確ですよね。その上でのチームワークや連携なのです。
ですから、責任は共有できない、という前提を明確にした上で、結果に対する責任の所在を明確にし、誰がこの結果に責任を持つのかを定義することは非常に重要なわけです。

今日は、これを知ってから、もしかして子どもたちのけんかがなくなるのでは?…と思って実際に実践したことをシェアしたいと思います。
前回から引き続き、回が進むにつれて、私自身も識学で子育てをかなり実践するようになったので、今回もぜひそんな事例の共有をさせてください!

姉妹けんかの最大の原因は”責任の共有”

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長女は、非常に面倒見のいいお姉さんで、よく妹の代わりに片づけたり、手伝ってくれています。このこと自体は決して問題ではないですし、本当にえらいなぁと感心することも多いのですが、
これが弊害になることもあるんですよね。

例えば、「私は○○してあげてるのに、どうして次女は○○しないんだ!」
とか、「これは私がやってあげたんだから、これくらい次女もやってよ!」と、全く何もしない次女に、長女は不満やイライラが募ることがあるんです。
それに対して次女はいつも、のほほ~んととぼけて、「だって知らなかったんだもん」と、こんな感じです。下の子らしいマイペースさですよね。
そしてそれがいつも原因で、姉妹でけんかが始まり…とお決まりのパターンになっていました。

長女が次女を手伝ってあげることは、一見するとよいことのように見えます。でもその結果起きている事象を冷静に見ると、双方にとってよくない状態ですよね。

長女は、本来次女がやるべきことを代わりにやってあげてしまうことで、ストレスを溜めて、次女は、いつも長女がやってくれているから、自分の責任だという認識が全くない。
まさに責任の所在が不明確で、責任を共有してしまっていることが原因で、起きているけんかなのです。

そこで、私は「一緒に片づけてね」ということを一切やめることにしたんです。
例えば、食べた食器は、

①自分の食器は自分で片付ける
②シェアした食器は必ず長女が片付ける
③調味料は次女が片付ける

というように責任の所在を明確にし、共有することを止めたんです。
(もちろん終わったら完了報告です!)

すると、長女は次女が片付けないことにイライラしなくなりましたし、次女は自分の食器を率先して片付けるようになったんです。けんかもなくなり、長女もご機嫌で、次女も自分で自分のことをちゃんとやるようになり、自立するようになりました。

これはまた私にとっては目から鱗の出来事でした。
既にルール×完了報告の日常に慣れてきているので、ルールを決めると、うん、わかった!とすぐに実行してくれるようになりました。もう快適すぎます…!

「空気を読む」や「みんなで」の弊害

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私はこの責任は共有できない、ということを知った時に実はとても複雑な気持ちになったんですよね。
なぜなら、私たち日本人の大事にしている”空気を読む”とか”みんなで頑張る”という考えは、相手への思いやりの心を育む大事な文化ではあります。でも、一方で実は責任の所在を”空気”や”みんな”という暗黙知という不明確なものにすることで、誰もその結果の責任を取らず、ともすれば他責にさせてしまう弊害すらあるのではないか、と。

「これ、私がやらないといけないのかな…?」と空気を読むことで、結果的に空気を読める人が自分の領域を超えて責任を取って苦しくなる。空気を読まない人はどんどん自分の責任から逃れ他責になっていく。

人の成長は「この結果はすべて自分の責任で起きたことなのだ」と自責で考えることから始まりますよね。結果に対して、少しでも「それは私の責任ではない」と言ってしまったら、他責にした部分は永遠に自分が改善すべき課題にはならないわけです。

本当に相手の成長を考えた時に、すべき思いやりとは、本当は厳しくてとても難しいものなのだなぁと非常に考え深い出来事でした。子どもたちのけんかでお悩みのご家庭のみなさん、一度けんかの原因に目を向けてみてください。もしそれが責任を共有することで発生している出来事なら、ぜひ責任の所在を明確にしてあげてくださいね!

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