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#12「○○しなかったら××するからね!!」は言っていいの?子育てを”識学”で考えたら怒る子育てから卒業できた話

9月から受け始めた識学が、子育てにも役に立ちそうだな、と思い、自分自身の理解を深めるためにもこれから毎回識学を受講し終わるまで記事にしてみることにしました。今回のテーマは「恐怖」です。

この恐怖も、私たちが生きる中では切っても切れないものです。なぜなら、もともと恐怖は私たちが死ぬ、という最も危機的な状況から身を守るために備わっている大切な機能です。ですから、恐怖は無くすものではなく、必要なものであり、その恐怖とどのように付き合うか、ということが最も大事なわけです。

「必要な恐怖」と「不必要な恐怖」

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識学では、恐怖には「必要な恐怖」と「不必要な恐怖」がある、と定義しています。
必要な恐怖とは、例えば自分が世の中に対して価値を発揮できていなかったり、成長が止まっていたり、時間を無駄にしていたり、要する自分が社会や自分の人生に対して有益ではない状態が続いた時に「このままではまずい!」と抱く恐怖です。
これは非常に健全な恐怖ですよね。こうした恐怖がなければ、私たちはいずれ社会の中で生きていくことが難しくなるからです。

では一方で、不必要な恐怖とはどんなものが挙げられるのでしょうか?
例えば、結果が出る前に「私にはできない」と自己の評価を勝手に決めてしまったり(自己評価)、正しいことをしているのに、関係のない周囲の人からそれ違うんじゃない?と指摘されて「自分は間違っているかもしれない」とゴールに対して疑問を抱いたり(疑念)、これを頑張っても、私は評価されずに「今の立場を失うかもしれない」と心配になったり(消失)という状態です。
これらがなぜ不必要な恐怖かというと、いずれも本来目指すべきゴールに対して集中できない状態を引き起こす恐怖だからです。この恐怖に苛まれると、私たちはいつまでも本来すべき行動に集中できず、目的に向かって前に進むことができません。ですから、いかに自分が日々生活する上で、こうした不必要な恐怖を取り除き、健全な恐怖を持って進んでいくか、ということが非常に大事なんですね。

「消失の恐怖」にさらされた長女の悲劇

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では、もし子育てにおいて、親が子どもにこの不必要な恐怖を与えてしまったらどうなるのでしょうか?今回は私の失敗談を元にお伝えできればと思います。
先日出かける時の出来事でした。せっかく前々から約束をしていて楽しみにしていたお出かけなはずなのに、長女が機嫌が悪く、妹に喧嘩をふっかけてイライラしているんです。今振り返れば、長女は自分の選んだ洋服が私にあまり褒められてもらえず、可愛いと言われた妹にヤキモチを焼いていただけなののですが…(女子あるあるですねw)

仲良くして欲しいのに、イライラして喧嘩をしようとする長女。それに見かねた私は、あまりに頭にきてしまい、つい「そんなにいい子にできないなら、お出かけはもうしません!!もう今日はやめたから!ママは仕事に行くからね!」

と言ってしまったのです。その途端、長女は激しく動揺し、もうヒステリックに怒り出しパニックに!「あんなに楽しみにしてたのにふざけるなー!!ママの嘘つき!ママなんて仕事だけしてればいいんだ!」と、泣きじゃくり、収集がつかなくなりました。

私が何をしてしまったのか。もうみなさんならお分かりですよね。
私は、彼女にまさに不必要な恐怖を与えたわけです。
彼女は妹と仲良くする前に、そもそもママと遊びに行くことができないかもしれない、という消失の危機にさらされ、本来のゴールであるはずの「妹と仲良くする」ことではなく「遊びに行けなく恐怖を回避する」ことのために行動を起こしてしまったのです。

親がマウントを取る必要はない

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では、私はどうすべきだったのか。それはシンプルに「次女と仲良くするように」と言って聞かせる。これだけです。とにかく、「次女と仲良くするように」と言い続け、「出かけるまでに仲直りして、できたら完了報告するようにね!」でよかったんですよね。そこに「遊びにいけなくなる恐怖」は必要なかったはずです。
でも、私は感情に身を任せて威嚇することで長女に対してマウントを取り、さらに消失の恐怖をちらつかせて、言うことを聞かせようとしました…苦笑

でも、そもそも親という存在は怒ったり威嚇したりしなくとも、圧倒的に子どもより上ですよね。経済的にも経験値的にも圧倒的に上にいる存在であり、その関係性においてマウントを取る必要はないはずです。でも私たちは安易に恐怖というものを使ってマウントを取り、どうにか子どもに言うことを聞かせようとしてしまうときがあります。
でも、それは結果的に子どもに本来すべき行動に集中できない状態を創り出しているだけにすぎません。

本当は、子ども自身が、この状態は自分にとってよくない状態だ、と認識して必要な恐怖をもって生きていけるようになることが望ましい状態です。そのために親ができることは何か。それはとにかく言い続けたり、ルールを徹底させたり、経過変化を促せるように伴走したり、時間と忍耐をもって、とにかく親自身もぞれを継続するしか方法がないわけです。
不必要な恐怖を与えるという安易な方法で、すぐに達成できることではないんですよね…。

子育ては親が一番成長する、と言いますが、なんだかその理由が、とても深いところで腹落ちした、そんな出来事でした。
みなさんも、日々の子育ての中で、つい怒りたくなったら、ぜひこの恐怖の話を思い出してみてください。もしかしたら、少し冷静になって子育てを楽しめるようになるかもしれません。


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