官僚型組織とコミュニティの話 その2
前回の続きで、官僚的組織とコミュニティの話
最近の若い人は、会社に対してコミュニティとしての機能を重視している人が増えているように感じる。これは、給料も大事だけど、共感できる経営者、ミッションやビジョン、サービスの会社に所属したい、ということ
こういったコミュニティを会社の中で、官僚的組織部分への弊害をもたらせないように秩序を持って運用する場合、経営者のカリスマ性に依存する場合や、ミッション・ビジョン・行動規範の浸透を図る、などで対応する会社が多い。
ただ、うまく浸透せず、会社が官僚的組織部分よりもコミュニティの秩序維持によりすぎると指揮命令系統は機能しなくなってくる。そうすると、責任関係が曖昧な組織にもなりやすい。
個人的な解釈では、最近はやりの識学は、会社内にコミュニティ的考えを持ち込まないほうがよく、あくまで官僚的な組織運営に徹すべきと提言していると理解している。コミュニティそのものを否定しているわけではないが、会社以外でコミュニティを持てばいいと。最近の風潮からはかなり逆行するが、正直、会社経営はシンプルになるし、そういった会社のほうが働きやすい人もいる。
また、リンクアンドモチベーションがやっているモチベーションサーベイについては、コミュニティとしての満足度を図っているように感じる。あくまで私の解釈だが、実は官僚的組織部分をしっかりやっている会社が、コミュニティ部分をうまく運営するためのツールとしては使えるのだが、官僚的な部分がしっかりできていないと、コミュニティ的な部分によりすぎて、経営者がコミュニティ維持のためにメンバーの顔色を伺うことにもなってしまう。この両立は、官僚的部分で組織を機能させつつ、しっかり成果を出し、成果を出すことでメンバーが成長し、結果、モチベーションがあがるのが理想だとは思う。これに対して、成果を上げようとするプロセスでモチベーションを意識していては、官僚的な部分の機能、すなわち指揮命令系統がしっかり機能しなくなる。このあたり、正しい理解と使い方が必要な気はする。
コミュニティの秩序として、ミッション・ビジョン・行動規範(バリューやウェイ)などを定める会社は多いが、徹底できないと秩序維持にはならない。朝礼や会議で唱和したり、常に幹部陣がそこに含まれる言葉を使ったり、もっと徹底するところでは、テストをする会社もある。当然、コミュニティとしての秩序を守るためのルールを徹底すればするほど、そのコミュニティにあわないと思う人も増えるため、退職リスクも増えるが、徹底できると共通の価値観や言語が増えるので、コミュニケーションのロス(誤解)が減り、早く意思決定ができるようになる。とはいえ、繰り返しだが、この徹底は難しい。
あと、コミュニティを悪用している場合もある。社会貢献のために自己犠牲的なことを求めるコミュニティを作ることで、官僚型組織として厳しい環境での指示命令系統がまかり通る場合や、待遇面で搾取されている場合もある。教育や医療、介護などの業界に多い気がする。やりがい搾取と呼ばれるもので、コミュニティ面でやりがいを、官僚型組織で搾取をしているともいえる。経営上、無意識でやっている場合もあるので、経営側も働く側も注意したほうがいい。
やはり、官僚型組織面とコミュニティとしての面をどうバランスするかは、しっかり設計すべき、重要な経営意思決定事項だと感じたりする。
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