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朔日の覚醒

ついたち。朔日というものの存在そのものが好きだ。
なぜなら、わたしが一日生まれだからだ。いや、それだけではない。はじまりを全身で感じられるこの日が、わたしを幾度となく変えてくれたからだ。

朔日には、前月の苦悩がぱつんとリセットされるような何かがある。
一という数字が持つ力。いちばん。始め。先駆け。トップ。スタート。

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今日の六月一日もまた、朔日の恩恵を受けた。苦悩まみれだった先月の出来事が、ぱつんとリセットされた。背負っていたものは肩から去り、睡眠を妨げていた懸念事項にも光が戻った。他人に集中していた意識が、自分へと戻ってきた。やむなき事情で人に貸していた愛車がようやく手元に返ってきて、その運転席にやっと座れたような感覚だ。

自分を楽しませ、自分を満たすことが疎かになっていた先月。そのように気もそぞろな日々は、きっちりと痛い現実を突きつけてくれた。おかげで目が覚めた。


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目が眩んで頭がイカれてる時。この状態において非常に愚かなことは、自分だけがそれを理解していないことだ。盲目であるがゆえ、上げられる視座も視点もないことだ。目が覚めて初めて全貌を表す、その愚かさこそが与える教え。
人はこうやって何度も目を眩ましそれを覚まし、痛みながらも歳を重ねていくのだ。未来にその痛みを笑い、得た痛みの分だけ、優しい経験を重ねていくのだ。







ありがたく生命維持活動に使わせていただきます💋