【読書note_014】武士の娘 杉本鉞子

武士家庭の教育水準の高さ
本書は、長岡藩の家老の娘として生まれ、厳しい教育を受けた著者が、渡米して貿易商の杉本氏と結婚しアメリカでの生活を経験したことで、日米の文化の違いについて感じたことを記した自伝的エッセイです。

衝撃的だったのは、当時僅か6歳の著者が漢籍を学び、その2時間ほどの勉強の最中には畳の上に正座したまま微動だにすることも許されなかった、という要求水準の高さです。
現代であれば、6歳の子どもはもちろん、成人した大人でも2時間もの間正座で一切動かないことは不可能でしょう。

このような教育を当時の女性は当たり前に受けていたのでしょうか。
P31に、『女の子が漢籍を学ぶということは、ごく稀なこと』と書かれておりますので、その学習内容は当時としても珍しかったのかもしれません。
ただ、ある日著者がほんの少しだけ体を動かした際に、師匠がその様子に驚きその日の勉強を終了させてしまうというエピソードから、この厳しい勉強の型は、武士の子どもに対して施される教育としてはスタンダードだったのだと思います。

高い異文化理解力
本書の中で私が最も印象的だったのは、著者が日本の生活習慣や文化に強い誇りを持ちながら、アメリカの文化を自然に受け入れることができているという両立性です。
著者が受洗によりキリスト教信者となりながらも、母の死後その弔いを仏式で営んだことからも、日米双方の文化を大切にしていることが分かります。
著者の師事する牧師が仏式の弔いに懸念を示した時も、著者自身の心が揺らぐ様子はありませんでした。

著者が日本とアメリカ双方を受け入れていたであろうことは、P217の表現からも読み取れます。

祖国日本と第二の故郷アメリカでは、ものごとの標準が大変かけはなれておりますので二つの国に深い愛情を感じている私は、時々雲の上にいて、二つの世界を見下して考えているような、妙な感じを持つことがございました。

それでは、著者が日本とは大きく異なるアメリカの文化を自然に受け入れることができたのは、なぜなのでしょうか。

まずは、父親と母親の教育が挙げられるでしょう。
著者がキリスト教に入信する際のエピソードの中で、こんなことが書かれています。

他人の意見には寛容であった父の傍にいて、母もその態度を学んでいたことでしょうが、新宗教に対して偏見を持つということはありませんでした。

ここから、両親ともに他人の考え方や異文化に対して受容的であったことが分かります。
そして実際に、母親はその後キリスト教が祖先をないがしろにする宗教ではないことが分かると、著者の受洗を快く承諾しています。

このように、両親が異なる意見を広く受け入れ、進歩的な考えを持って著者を教育してきたことは、著者の異文化理解力に大きく貢献しただろうと思います。

本質を見る目が偏見を排除する
そしてもう1点が、先述の教育の影響も大きいとは思いますが、著者自身に、物事の本質を見定めてそれを理解できる素養があったことです。

著者のこうした特徴を象徴するエピソードとして、渡米後アメリカの婦人から着物の帯について質問されたときの対応があります。

著者は、単に着物の帯の結び方などを答えるのではなく、日本人にとって衣服の示す象徴が第一でありその材料は第二義的なものであることや、丈や幅の由来から古代の東洋人が信じた神話や天文学が帯という衣服に表れていることまで説明しています。

これは、ただ単に教養を身につけていただけでなく、日本文化の持つ意味や意義を一つひとつ深く理解していたことの証左だと思うのです。

この著者の姿勢は、アメリカの文化を理解し受け入れる上でも助けになったはずです。
アメリカ人の生活習慣をただの異物として捉えるのではなく、その行動の意味や意義を考えて理解しようとすることは、私達が文化や世代を超えて異なる考え方を理解するうえでも極めて重要なあり方だと感じました。

本書の最後に、著者は『西洋も東洋も人情に変りないことを知った』と記しています。
外国が遠い存在であった当時の日本で、ここまで本質的な理解に到達していた日本人はほとんどいなかったのではないでしょうか。

著者の本質を見定めて物事を受け入れる姿勢を見習うことが、これからの変化の大きな時代を生き抜く力になるのだと強く感じました。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
Happy Reading!

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