【読書note_012】反応しない練習 草薙龍瞬

「心の反応」とは
本書は、僧侶でありながら特定の宗派に属さず、実用的な仏教の本質を伝える活動をしている著者が、心の無駄な反応をやめることで、一切の悩み・苦しみから解放されるブッダの合理的な考え方について解説した本です。

著者は、「無駄な反応をやめる」ことは、無理して我慢することや、無視すること、無関心でいることとは違うと明言しています。

確かに、怒りや悲しみ、不安といった負の感情を不要な「心の反応」と捉え、こういった反応を我慢するのでなく、そもそも「やめる」ことができれば、ストレスや悩みから解放されることは間違いないでしょう。

一方で、「それができれば苦労しない」と思う人も多いのではないでしょうか。
私自身、本書の「はじめに」の中でこの考え方を読んだときには、そのように感じました。

そこで、「心の反応をやめる」具体的な方法を探るために、「心の反応」とは何なのか、本書から読み解いてみたいと思います。

①まず「求める心」があり、②それが「七つの欲求」を生み出し、③その欲求に突き動かされて、人は反応する。④ときには欲求を満たす喜びが、⑤ときには欲求がかなわない不満が生まれる。そういうサイクルを繰り返しているのが、人間の人生である。(P26)

この解説を読めば、「心の反応」とは、「欲求に突き動かされて揺れ動く感情」と理解することができます。

ここでいう「欲求」「求める心」のことを、仏教の世界では「渇愛」と表現しています。
「求め続けて、いつまでも渇いている、満たされない心」のことです。

ここで著者は、人間は誰しもこの「渇愛」を持っているものだと理解することが重要だと説きます。
理解することで、「このままではいけない」「何かが足りない」という得体のしれない欠落感や焦り、心の渇きが収まって、「人生はそういうもの」と、もっと大きな肯定が可能になるのです。

「理解」することで心の反応は軽減する
この「理解」が心の無駄な反応をやめるためのキーワードになります。
本書では、この「理解」の重要性について繰り返し触れられていますので、いくつか抜粋してみます。

ブッダの考え方の基本は、「まず理解する」ことです。(中略)このように、繰り返し、言葉で、客観的に理解するよう努めます。すると、反応が静まってきます。(P30)
仏教が目指す「正しい理解」とは、逆説的な言い方になりますが、「正しいと判断しない」理解です。そんなことより「真実であり、有益である」ことのほうが大事ではないか、と考えるのです。(P67)
ブッダは、ふつうの人なら腹を立てるようなことを言われても、「無反応」で返しました。(中略)どのようなときも決して反応せず、ただ相手を見すえて、理解するのみ、その立場に徹していたのです。(P100)
私たちが目醒めるべきは、競争という現実、社会の現実に対して、日頃「どんな心で向き合っているか」という、最も根源的な部分です。(中略)どんな心で外の世界に対峙しているかを理解することなのです。(P168)

本書の中のこうした説明を反芻して見えてきた「心の反応」の抑え方とは、自らの内面を客観視することです。
自分自身の中に沸き起こる感情に身を任せるのではなく、かといって我慢するのでもない。
「そうなのだなぁ」というように他人事のように捉え直すこと。
こういった心の動きを訓練して積み重ねることが、無駄な心の反応をなくし、ストレスや悩みのない人生を生きていくために必要なことだと感じました。

本書の第4章では、他人の目から「自由になる」方法が語られていますが、これも同様です。
他人からの承認を求める自分自身の欲求を理解し、前述のアプローチによって客観視します。
そうすることで、自分自身を大きな意味で肯定していくことができます。
そうなれば、自然と他者からの承認欲求は小さくなっていくのかもしれません。

人間には様々な欲求があることを肯定し理解すること。
自分が欲求に動かされて感情が揺れ動く様を俯瞰すること。
他者からの承認欲求を忌避せずに受け入れること。

インターネットやSNSの存在により、自分の近しい存在以外の他者についても気になることが多い現在では、特に必要な考え方であるように思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
Happy Reading!

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