【読書note_007】銀行王 安田善次郎 北康利

克己心が成功の要諦
本書は、日本を代表するメガバンクの礎を築いた、
銀行王・安田善次郎の生涯について記したノンフィクションです。

正直に言って、安田善次郎のことは名前を聞いたことがある程度の認識しかありませんでしたが、
本書を読んで、その人間性に強く惹かれました。

安田善次郎の成功要因として特筆すべきは、その克己心です。
自らを強く律して戒め、銀行員として、人間としてあるべき姿を追求して
行動していく様は、現代人に最も欠けている姿勢だと感じました。

善次郎の克己心を象徴するエピソードは数多くありますが、
印象的なのはP47で語られている『克己貯金』です。
これは、生活費や小づかいなどの支出を収入の8割に抑えて
残りは貯蓄することとし、住宅には支出の1割以上を充てないようにして、
月々のやりくりをするというもの。
このような生活を生涯続けたというから、驚きです。
33歳から82歳までの49年間、毎日欠かさず日記を書き続けたという
エピソードからも分かるように、
善次郎の「克己堅忍」を貫く姿勢は、その継続性に大きな特徴があります。

善次郎は、どのような時も一貫性のある自らの考えを持って
ビジネスを進めていますが、
こうした継続性に裏打ちされた自信が、その根本にあるのだと思います。
P302に、善次郎率いる安田銀行は、ライバル銀行と慣れ合うことを嫌い、
逆張りすることで一人勝ちする状況を作ってきたというエピソードが
語られていますが、こうした周囲に流されない独自の経営判断も、
自らの行動と価値観に強い自信を持っていたからこそ
できたことではないでしょうか。

「隠」徳である意味
善次郎の人間性を語るうえでもう一つ欠かせないのは、本書の副題にもなっている「陰徳」です。
幼少期から誰も見ていないところで陰徳を積むような行動を取っており、この善次郎の姿勢は善次郎の父・喜悦の教育の賜物であると言えます。

ここで私が疑問に思ったのは、「陰」徳であることの意味です。
つまり、世間一般の人から認められる形で、
人が見ている前で善行を行うことをなぜ否定するのか、ということです。

富豪の夫人が貧しい人たちに金品を恵んだという新聞記事に対して
強い嫌悪感を示すP248のエピソードから、
善次郎が「慈善とは隠れてすべき事」という強い信念を持っていたことが
分かります。

しかしながら、後年善次郎が爵位を得ることができなかったこと、
世間一般の人々からケチというイメージを持たれてしまったこと、
そして非業の最期を遂げることになってしまったことなどは、
善次郎数々の善行を「隠れて」やってしまっていたことが
遠因だとも言えます。

それでは、そのような負の側面がありながらも、
なぜ善次郎は「陰」徳にこだわったのでしょうか。
広く世間一般からも認められるような慈善活動では、
なぜ駄目だったのでしょうか。

私が注目したのは、父・喜悦の2つの言葉です。

『慈善は陰徳をもって本とすべし、慈善をもって名誉を求むべからず』(P100)
『奢りをきわめ欲望をほしいままにするのは
禽獣の生活と変わるところはない。
限りない欲望を抑えて暮らしてこそ真の楽しみがあるのであり、
これを味わう生活でなければ人間と生れて恥である』(P144)

父・喜悦の教えに従い、善次郎は欲望に突き動かされることを強く律しています。
ここから、名誉欲や承認欲と結びつきやすい、公の慈善行為を忌み嫌ったのだと感じました。

このことは、善次郎が数多くの文化人を窮状から救ったことからも分かります。
没後に遺族まで含めて面倒を見続けた成島柳北や、
一時は時代の寵児となるも晩年は病床に伏した福地桜痴などに対する支援は、その好例です。
見返りを期待して行った善行とは考えにくく、
善次郎自身がその人や作品に惚れ込んだことのみをもって、
行ったことだと思うのです。

強い克己心と陰徳。
世間的には誤解されてしまいながらも、
「千両分限者」にまで上り詰めた善次郎の生き方は、
SNSやブログで安易な承認欲求を求め、
楽して稼ごうとしてしまう現代人にとっては、
見習わなければいけない美徳が詰まっています。

成功者になるために必要なものは、今も昔もそう変わらないのかもしれません。
それでも、時代の移り変わりの中で、表層的な流行り廃りに振り回され、
安易な道を模索してしまいそうになる自分自身を、
強く戒める良いきっかけになりました。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
Happy Reading!

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