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ながいひる

ここ5年ぐらいだろうか?周りで古本屋ブームのようなものが巻き起こっていた。と言うほど大きな流れではないのだが。割に若い人が新しく古本屋を始めたりして、ちょっと面白いなぁと思っていたのだった。
雑誌関係の仕事をしていると、ネット環境が整い、PCからスマホへと世の中が移っていくにつれて、紙媒体の衰退がよくわかった。
情報ソースの主なところは、小説であれ、雑誌であれ、その文章自体であるから、紙に印刷されたものとモニターに表示されるものとで、本質は変わらないのだ。ソフトウエアの部分では。
ただ、モニター画面で見る文字とか絵と紙に書かれたものとでは、文字や図が持つ記号的な意味合いとは別の情報があると思う。それはモニターにもあるのだけれど、媒体が違えばその質は異なったものとなる。そういった部分では、そこから人が受け取る情報には違いが生まれて当然であろう。いわゆる、印象とか文字の記号的意味での情報以外の、文字の形であったり、印刷された紙質、風合いであったり。媒体によって受ける印象が変わることも結構あるのではないか?
よく思うのが、書店で本を見ていると、表紙のデザインがまず目に入る。タイトルとデザインと作者名。ここで、受ける第一印象は、実際にその物語を読み始めてみてもその物語の受け取り方に影響を与えていると思う。「この本が、違うデザインの表紙であったら、この物語について違った印象を受けてなかっただろうか?」文学からいえば不純であるかもしれないのだが、「本」というモノを考えれば、装丁をも含めた形で作品と成立していると考えてもいいのではないか。

それは、ノスタルジックな想いかもしれないのだけれど、紙媒体には何かしら特別な意味、役割があると思ってしまうのであった。これが、古本であると、また違った意味が付加されると思うのだ。もし、一人の蔵書を丸々買い取って、古本屋さんの店の一角にコーナーを作ったりしたら、なんだか持ち主であった人の脳内を旅行するような感覚になる気がしてならない。

そうとまではいかないものの、古本屋さんという店はその店主の人を表す小宇宙のような気がしてならない。

古本「ながいひる」は、キムちゃんそのものであるけれど、お客が求める何かがコソコソっと本棚の隅に隠れている、不思議な空間である。

https://note.mu/nagaihiru

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