"Do it scared."
日本に住んでいる自分にとって、今年は一番難しいです。正直言って難しくてよかったです。
最近友だちと一緒に「子供の頃、なりたかったアニメキャラは誰か」と話しました。 「ドラゴンボールの絶望への反抗!! 残された超戦士・悟飯とトランクス」の悟飯になりたかったです。強いし、かっこいいし、大切な人を守る人ですから。その後、僕たちは「自分が本当になったアニメキャラは誰か」と話しました。日本に来る前、誰かわかりませんでした。でも、日本に来てから、プーさんのピグレットになったと思いました。新しい経験がいっぱいあります。いい点だと思いますけど日本語をまだ習っています。だから、あまりわからなかった場合もありますから、なんでもいつも心配するし緊張します。
日本語を勉強し始めた理由は日本語でアニメを見たいし漫画を読みたかったからです。日本に住みたかったけど無理だと思いました。だからアウトプットのスキルである話すことと書くことにあまり集中しませんでした。それに常勤の仕事で働いていましたから日本語を勉強をするのが楽しい趣味だけでした。日本語のクラス以外で、いつ話せるきっかけがあるかわかりませんでした。クラスであまり話なかったから、日本語で話しなければならなかった時、いつも緊張しました。ほとんど言語を勉強する人のように間違えたくなかったです。バカそうな人になりたくなかったです。先生がなにをしても、リラックスして楽しめませんでした。僕と一緒に三年間くらい授業があったけどこの状況が変わりませんでした。この問題をちゃんと考えず日本で働くことを決めました。日本に移り住んで、日本語を話すことがすぐ慣れるかもと思いました。でも、本当に違いました。
日本に住んで一年目は大変でした。一時間ごと一日ごとにいつも緊張しました。誰かが僕に話した時、ストレスを感じて、たくさん悩みがありました。人が話しかけて、僕は意味がわからないとか答え方がわからないことを心配しました。僕は会話の続け方がわかりませんでした。僕が話せば迷惑をかけるかもと思いました。その上で、田舎に住んでいるし、同い年の人が家庭を持っているし、日本人の友達を作ることが難しかったです。しかし、その年に本当に楽しくて話した人がいました。生徒たちでした。
いつも話してくれた生徒たちがいました。そんな時簡単な日本語で話せてもまたいつもいろんなことを話しました。アニメとか漫画とかスポーツとか話してシンプルな冗談を言って笑いました。僕がわかるために、生徒たちが難しい日本語を使わなくていつもゆっくり話してくれました。彼らといつも楽しかったです。話したかったから一所懸命勉強しました。バカにされませんでした。決して緊張しませんでした。なんかわからなければ助けてくれました。例えば、集会の後で僕に「わかった?」と聞きました。わからないと知っている英語と日本語で説明してくれました。生徒は英語が難しくても、頑張って話そうとしたことがありました。僕は、間違えた時、単語を思い出せなかった時、自分にがっかりしました。しかし、生徒たちは困っていなさそうで恥ずかしくなさそうでした。「生徒たちができれば、僕もできる」と思いました。毎回の会話の成果を悩む代わりにポジティブな視点で考え始めました。毎回の会話は、人たちと繋がれる契機でした。彼らのおかげでよくなりました。生徒というより兄弟のようでいつまでも感謝しています。
でも自分にまだないものがありました。最近、やっと見つけた気がします。
2年間半日本に住んでいるし、勉強しているから、日本語のスキルが上がってきたと思います。ゲームみたいに強くなれば強くなるほど、チャレンジも難しくなります。難しいことをしなければなりませんでした。準備しないで、短いレポートを上司に報告しなければなりませんでした。会議中に、考えを聞かれて、シェアしたこともあります。地元のテレビニュースに感想のインタビューをいきなりされたことがありました。それから3月に調子が悪くなってきて二週間のあとお医者さんにやっと行って診てもらいました。日常会話を日本語で出来てもお医者さんに行って診てもらうことは特別な単語と敬語を使うから圧倒的な感じをしました。正直言って怖かったです。わからなければ、仕方がわかりません。しかし「もし病気が重くて、放置して悪くなれば思い残す」と思いました。友達に助けを求めたくはなかったですが結局求めました。1回目僕と一緒に来てくれました。でも薬を飲んでからまだ治らなかった時、戻らなければなりませんでした。友達に迷惑をもうかけたくないから勇気を出して一人で行きました。全てわかりませんでしたけど構いませんでした。一人で行って、十分にわかりました。まだ治らなかったからその後4回戻りました。感謝していました。
6ヶ月前そんなことが無理そうでした。人が話してかければ、緊張しすぎたし不安だから、話せないかもしれません。多分前は、ハッキリ本当の答えを言おうとした代わりに簡単な返事で答えました。「大丈夫です」。自分で追い込まなかったかもしれません。一回だけお医者さんに行けば、自分の手柄にしなくて言い訳を作るかもしれない。「その回が簡単だった」。「多分2回だったら出来なさそう」。その考えのおかげで自分にないものに気づきました。
自信です。
お父さんと先生と生徒も僕に「自信を持って!」と言いました。「日本語がまだ下手だよ。新しい文法を使えないし似ている漢字に混乱するしいつも単語を忘れるし。どうやって自信を持てるか」と考えました。でも僕の見方が間違いました。そして見方が変われば感じも変えれます。「できないと思ったことをできました。自分で何回もしました。その経験のおかげで成長しました。時々恐れます。でも僕が臆病なわけではないです。その怖いことをしました。だから思ったより僕が強いですよ。」考えが変わってから、失敗することの中に自信を見つけられないことに気が付きました。完璧にすることの中にも見つけられません。いくら小さくても成功することの中に見つけられます。恐怖に直面することの中に見つけられます。できないと思うことを考えてもまだすることを決めることの中に見つけられます。日本語が完璧じゃないです。まだ全ての感じを伝えられません。話す時、いつも間違えます。でも必要じゃないです。それを実行することが最も重要です。Do it scared.「怖がっていても、いずれにしてもやりなさい。」その考えを持てばそれから綺麗なことが咲くと思います。
最近、友達と話して僕がシャレのように「僕はピグレットみたいと思う」と言いました。彼が「ピグレットは言語をまだ習っていない外国に移住して、やったことない仕事をすると思わない」と答えました。一週間後、僕がフリーレンアニメの村の英雄のエピソードを見ました。放送した時、見ましたけどアニメが最高でしたからまた見たかったです。アイゼンは自分の恐れについて話しました。敵と戦う前フリーレンはアイゼンに「こわいの?」と聞きました。アイゼンが「ああ。怖がることは悪いことではない。この恐怖が俺をここまで連れてきたんだ。」と答えました。そのシーンの後、龍と戦うことを怖がるシュタルクというアイゼンの弟子は龍と戦って倒した。二、三日の後、それと僕が「魔法の耳あて」というプーさんのエピソードも見ました。ピグレットはスケートが出来ないからアイススケートを恐れました。プーさんとクリストファー・ロビンはピグレットに魔法の耳あてをあげました。耳当ては魔法じゃないけど着けているから、ピグレットが自信を得ます。ピグレットの友達が滝を越えようとしたとき、ピグレットが彼らを救ってくれました。自信を持った時、ピグレットも恐怖に立ち向かいました。シュタルクのようです。
自分は龍と戦っているわけではありません。友達を救うわけでもありません。ただ日本語を話そうとしているだけです。でも恐怖に打ち勝ちます。だから、ピグレットにしてもスタークにしても、僕が結局はヒーローみたいなものになったと思います。
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