見出し画像

前途多難の妊娠出産記(出産④_分娩当日後編)

切迫早産から始まった長い妊娠出産記も、これにて一区切りです(前回の記事は以下リンクから)。


■産科病棟に戻るまで

お腹に敷いた抗菌シートに乗せられるわが子。ほんの5秒程は羊水に噎せていましたが、無事に元気な産声を上げてくれました。
「本当にお腹の中にいたんだなぁ」「ちゃんと生み出すことができたんだ…」と、ぼーっと放心する中でも、子供が事後処置される様子や夫と話す余裕があったのは無痛の凄さだと思います。

最早ここまで来ると夫もハイ状態になっているのか、助産師さんに「胎盤見ます?」と声を掛けられると「あ、じゃあ怖いもの見たさで!」とか言い出す始末。血が怖いって言ってたの誰だよ。「これが卵膜。赤ちゃんを包んでいたお部屋で、その底にあるのが胎盤で~…」とトレーに乗せられたモツを見ながら「はえ~」「ほ~!」とアホな感嘆の声をあげて説明を聞く夫婦。その間にも、ちくちくと会陰切開の縫合処置を行うレジェンド先生。

すっかり場も落ち着いて、夫との雑談タイムを楽しんでいると処置が終わって綺麗になった我が子が登場。早速夫に抱いてもらいました。その瞬間は感極まって声を出さずに号泣していたそうです。全然気づかなくてごめん。

縫合も終わりレジェンド先生退室。20時頃に分娩予備室に戻り、容体に急変がないか様子を見ます。20時半過ぎに出血状況等の確認をされた後、可愛らしい帽子とお洋服に包まれた我が子再登場。20分間の早期接触タイムを楽しみました。

そして21時半頃、体調も問題ないことが確認できたので、産科病棟へ移動します。看護師さんに産後の生活や注意事項の説明をされ、22時過ぎに夕食を食べて消灯となりました。これで本当に出産としてはひと段落です。

なお、その後の歩行練習や会陰切開、排泄時の痛みにもんどりうつのはまた別のお話…

■無痛分娩って素晴らしい!

妊娠する前から「産むなら無痛一択!」と考えていました。「人生一度は陣痛を経験してみたい!」というチャレンジ精神はこれっぽっちも持ち合わせていないし、むしろ「痛いシーンの経験は全部飛ばして、生まれる瞬間までタイムスリップしてえ」と思うくらいのダメ人間っぷりなので、実際経験してみると、無痛を選んで正解でした。

勿論、無痛分娩にもリスクがあることは承知です。ただ、分娩を希望していた2つの病院(地元のクリニックと実際に産んだ総合病院)ではいずれも無痛分娩に力を入れており、経腟分娩の9割近くが無痛の処置をされているということで大丈夫だろうという安心感もありました。

無痛と言っても、「和痛」や「減痛」と表現されるように100%の痛みを取りきるわけではありません。前編でも記載した通り、お産を進めるためにあえて麻酔を効かせずに陣痛に耐えなければいけない場面があったり、麻酔の効き自体も個人差があります(体質なのか脊椎側湾の影響か、麻酔が効き辛くて無駄に分娩時間が長引いてしまった気がします…)。
また、出産までは麻酔が効いている分、切れた後のカウンターが凄まじいので留意が必要です。産後3週間はロキソニンと円座にお世話になりました…。

それでも自然分娩であの陣痛に何時間も耐えられる自信もないし、産後すぐに始まる慌ただしい授乳スケジュールにも何とか対応できたのは、分娩時に体力を大きく消耗していないからだと思います。
少なくとも自分は無痛分娩で良かった!と思えるし、また出産する機会があるのなら次回も無痛分娩を選択すると思います。
なんなら今回の出産経験に限れば、鎮静剤なしの胃カメラの方がよっぽどしんどくてトラウマになった。

医療従事者の皆さまに色々助けられた出産でした。本当に頭が下がる思いです。

■今回の妊娠・出産を振り返って

(※ここからは完全に自分語りパートです)

妊娠・出産を通じて人生観が変わるといいますが、自身に起こったエピソードを踏まえて新たな価値観を見出したり、生命の不思議について気付かされたというお話。

口唇裂編②でも語りましたが、不妊に始まり切迫早産や我が子の口唇裂も発覚し「妊娠・出産にあたり何のトラブルも無く、母子ともに健康でいられることは当たり前ではない」ということを実感させられました。
口唇裂については今でこそ受け入れているものの、我が子がまさか先天性疾患を持って生まれるとは思いもせず、不安に思うことも多々ありました。
五体満足で生まれることが普通ではないと気付いてからは、病院から記念に貰える出生直後の足型スタンプを見て「ちゃんと足の指が10本ある…!」と甚く感動したり、聴覚やマススクリーニングといった検査の結果を聞くのにも毎回ドキドキするのでした。
今まで障がいを持っている方と接する機会が多くなく、心のどこかで他人事のように思うことがあったり、妊娠時も悪阻が比較的軽かったことも相まって「自分の子は普通に生まれてくる」という根拠のない自信を持っていました。
恥ずかしながら、この歳になって我が子から多様性について考えさせられ、視野を広げさせて貰ったと思います。

また、「日常生活において心身共にゆとりを持つことの大切さ」も改めて感じさせられました。
切迫早産退院後の久しぶりのシャバは大変楽しく、地元スイーツの美味しさや近所のライフの品揃えの良さなど、些細なことにむやみやたらと感激しました。残業を終えクタクタになって帰ってくる毎日では、このささやかな楽しみを感じる余裕すらありませんでした。「もっと日々の生活を丁寧に、小さな幸せを見つけられるようにしたいなあ」と心から思ったのでした。
4/2を皮切りに、2ヶ月ぶりに何の気兼ねなく自由に動けるようになったことで「心配事もなく歩き回れるって本当に素晴らしいなぁ」と喜びを嚙み締めながら、出産までの1週間は近所の公園まで沢山散歩に行きました。こんなにゆったりと花を慈しんだのはいつぶりだろうと、とても穏やかな気持ちでお花見を楽しみました。
今年は桜の開花が例年より遅かったこともあり、満開に咲き誇る光景がとても印象的で、生まれた娘にはこの美しい花にちなんだ名前を付けました。

来る日も来る日も仕事に追われ、夢の産休入りまで指折り数えていた矢先に切迫早産になった際は絶望感でいっぱいでした。しかし、いざ入院してみたら症状は思ったよりも軽く、家事もせずに上げ膳据え膳というストレスフリーな生活はさながら人生の夏休みのようでした。
退院後はそのまま実家に身を寄せたので思わぬ形での長期間滞在となり、オリジナルファミリー水いらずで一家団欒の時を楽しめました。
切迫早産にならなかったら出産直前まで里帰りもしなかったと思うので、振り返ってみれば両親との良い思い出も作れました。新たな価値観の話で言えば、母からの洗脳によりSnowMan沼に落とされもしました。さっくんかわいいよ…
勿論、本当に早産で生まれてしまったらこんな悠長なことを言ってられないので、結果論でしかありません。マイナートラブルのない出産に超したことはないので、妊婦の皆さん、身体は大切にね…

最後のエピソードとして、実家の猫について。
娘が生まれる数時間前に実家の猫が空に旅立ちました。私が丁度、陣痛で苦しんでいる時間帯でした。
飼い始めた高校生時代から結婚するまでの大学受験・就職・結婚という人生の節目において、「どのイベントも"時には上手くいかない場面もあったけど、最後は一番良い結果に収まった"と思えたのは、この子が見守ってくれていたからだね」と、我が家に幸せを運んでくれる福猫として皆で可愛がっていました。
数年前からすっかりおじいちゃんになり、幾度か危篤状態にもなりましたが何とか持ちこたえてくれて、出産前の里帰りでは3週間一緒に過ごすことができました。腎臓も悪くなり、目と耳がほぼ不自由な状態になっても、私の出産という大きなイベントまでしっかり見送ってくれたお利口さんでした。
出陣前に「1週間で戻ってくるから、また待っててね」と声をかけたのが最期となってしまいました。娘の誕生と同日に亡くなっことは後から聞きましたが、両親にとっては感情のジェットコースターのような日だったと思います…
母曰く、「"もう僕のことは気にかけなくて大丈夫、これからは生まれくる赤ちゃんを大切にね"と、まるで命のバトンを繋いでくれたようだったよ」とのことでした。とても大きな意味で、2024年4月9日は心に残る日となりました。
今回の妊娠・出産は色々トラブルに見舞われつつも、最終的に"めでたしめでたし"となったのは、きっとこの子のお陰です。

またいつか会おうね

* * *

出産から2ヶ月半が経とうとしていますが、ころころと表情や仕草を変える我が子を見ながら「このとっても可愛くて面白い生き物を私が産んだんだよなぁ?」という不思議な気持ちになります。特に受精卵の頃の姿も知っているので「よくあんな丸い物体から人の形にきちんと育つよな…」としみじみ思います。いのちって不思議だね。

不妊治療や口唇裂に関する記事は今後作成する予定ですが、妊娠・出産までのエピソードとしてはこれにて終了です。長い間お付き合い頂き、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?