カメラがカメラであること

カメラという道具において、一番皆が触るのはシャッターボタンであろう。

ボタンを半押ししてAFが動く

ボタンを全押ししてシャッターを切る

AF機なら大体そんな勝手である。特段なんてことは無い、カメラの一機構である。MF機だったらAF動作なんてものはないけど、どちらにしたってシャッターボタンを押すのだ。

別にシャッターボタンでなくてもよい、とにかくカメラを操作する時はボタンを押して操作していくのである。

しかし、これこそがどうしてもカメラという道具から抜け出せない理由である。

スマートフォンに足りない最も大きな点は、物理的なボタンフィーリングである。

皆さんご存知のように、スマホのカメラアプリというのは、全て画面上とタッチで使えるようになっている。(一応音量ボタンでシャッターは切れるが、あくまでもサブ的な用途である)

写真を撮るというのには、ただデータとして記録を残していく以上の意味がある。それは写真を撮るという行為の際に、カメラを操作していることである。

写真が好きだが、それには写真を撮るのが好きという部分も含まれる。写真を撮る時のカメラの操作、それ自身が撮影行為の楽しみであるのだ。

記録としての写真であればそのようなことは一切どうでも良いのだが、写真行為としての写真の時はどうしてもカメラを楽しみたくなるものである。

その楽しみこそが写欲を掻き立て、新たな場所へと足を運ばせるのである。

だれかがスマホで十分も言ったとしても

自分にとってカメラは手放せない。

それは変わらない事実である

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