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ネガティブな言葉は覚えているけど、ポジティブな言葉って忘れがち。

こんばんは、菜穂です。
子供と主人が寝てほわほわしているうちにこんな時間です。

あーきっと明日の朝はきついんだろうな。

わかってても辞められない。
だって貴重な時間な時間だから。やりたいこといっぱいある。

結局書き上げられなくて次の日になりました。眠いです。
(こんばんはで始まるあたりでわかってた人すごい!)
良く考えてみたら、noteってリアルタイム性とかないし、
時間の概念は、本人が作らないと生まれない要素ですよね。
わたしのように、ランダム投稿には、時間軸はない。
新しい発見です。

#書く習慣 #1か月チャレンジ

テーマ:DAY 27 誰かに言われた大切な言葉

しかわゆき『書く習慣』

人間というのは、ネガディブナことはよく覚えていて、
ポジティブなことはすぐに忘れてしまうんだそうです。

同じように、被害者は事件のことを昨日のことのように覚えていますが
加害者はその瞬間にわすれ、瞬間の記憶もなく罪悪感もない。

不思議ですよね。

ポジティブなことを覚えていた方が、生きることが楽しいと思うのに。

このテーマを考えるにあたって、
過去に親や先生や先輩や上司、はたまた友人、同僚…
言われたであろう言葉を考えてみたけれど、まったく思い出せず。

ポジティブなことはすっかり忘れてしまったみたいです。

そんな下で1つだけ、出てきたことがありました。
こんなに忘れまくって生きているわたしが覚えてる1つ。
それほど印象的だったのではないでしょうか。

それは高校2年生のこと。
わたしは生徒会の全国交流という名目で、夏休みの1か月間アメリカへホームステイする機会に恵まれました。

全国から、生徒会活動している人物を先生が推薦して、
本人が希望するとさんあできるシステム。
(費用負担があるため親の同意も必要)

ホームステイ先は、アイオワ州・インディアナ州。それぞれ10日間ほど。
1つのおうちに複数人でお世話になる場合もあれば、ひとりだけということもあるような(今思っても)大人の事情たっぷりの予定でした。(笑)

わたしの場合、最初(アイオワ)のお家は、ひとりでのステイでした。
おそらく一般なご家庭で、同じ年のAnnaという女の子がいました。
行く前にすごく頑張って英会話を勉強していましたが、たどたどしくコミュニケーションがドれる程度。
でも出来るだけそばで色々と手伝いました。
夜に学校側主催のBBQイベントや、共同での体験イベントがありました。
食べるもの、夫婦の関係性、フレンドリーさ。
秋田の農家でそだった私には、アメリカの解放感はすばらしく心地よかったのです。

わたしは、秋田の学校で色々提案してはだれも乗ってきてくれないという経験を散々してきました。
決してわたし個人が嫌われていたからというわけではない(と思いう)のです。

同級生たちはただ、学校行事で面倒なことはしたくないし、
楽をして日々をそれなりに過ごしたいという感じだったのです。

そんなこともあり、アメリカで一緒に行った全国各地のアグレッシブが高校生とアメリカという環境に圧倒されながらも非常に居心地の良さを感じていました。
あぁわたしはわたしでいいんだと思うほどに。

秋田の自分の学校では非常に浮いた存在。声をだす陰キャ?
だったのに・・・

アイオワでの10日を過ぎた頃には、ほぼ日常会話程度には英語ができるようになっていました。
アイオワ・インディアナは北のほうにある田舎です。
方言的なものもあり、特にインディアナは西部劇で出てくるようなカウボーイの部隊になった土地です。
今でも、その訛は健在でした。

インディアナでは、宮城の学校の女の子と2人でのステイでしたが、
その子は全然英語が話せるようになっていませんでした。
アイオワで他の人と一緒だったために英語を話す機会がなかったのでしょう。
幸か不幸か。今度も英語のできるわたしと一緒になってしまって、通訳状態。でも、のちに聞いたら、彼女は単身ドイツに留学したとか。

引率の先生がいて、アメリカで、いろんなところを視察?させてもらいながらホームステイをするという今思うと不思議な企画に参加してきて、
世界観は完全に広がりました。

まずは、一緒に過ごした全国の同級生のみんな。
自分は陰キャだし、浮いた存在だと思ってたけど、全然そうじゃなかった。
逆にイケてるほうのグループにいれた!

アメリカでの生活環境。アメリカの高校生の素直な笑顔。
言葉で言い表せない空気感、におい、フレンドリーさ。

すごく長くなってしまいました。
引率の先生が2名いらっしゃいました。
2人とも関東の学校で教えていました。

ちょっと記憶があいまいなんですが、
みんなに先生たちが手紙を書いてくれたのです。

ひとりの先生が、わたしについて
「あなたのような生徒を一人でも多く輩出する教師になりたい」

ということ言ってくれました。

これが私が一番覚えていて、何度も思い返している言葉です。
正直、私の何がよいのか?その時先生と話して聞いたような気がしますがそちらは覚えていなくて(笑)

アメリカでの生活で、わたしの個性とか色々爆発した瞬間に、
居合わせて目撃して何か感じたことがあったのかもしれませんね。

わたしも人材育成していたとき、人が変わる瞬間にはいつも感動します。

変わる瞬間はすごいですが、変わり続ける(成長し続ける)ことは、見ていてわかるからその変化を感じられることは嬉しい。

今となっては、真相はわかりませんが。
先生が思ってたことはそういうことなのかな?
素直に成長していく姿に感銘を受けてくれたならうれしいです。




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