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家族が大きな病気を発症してしまった時の向き合い方について


佐藤弘道さんが脊髄梗塞を発症して歩けなくったニュースを見て

父親と同じ病気でどれだけ大変な病気かを身近で経験しており感情が込み上げてきてしまった。
SNSで発信したら思ってた以上に反響があって皆さんの考えるきっかけになればと思い今回書いてみました。

基本的にどんなことも達観してみるように心がける
家族が病気になったり自分も持病持ちなので解決できる問題とできない問題は割り切って生活しています。
そうしないと乗り切れなかったのは本音でもあります。

自分と過ごした時間が最高だったと思ってもらえたらいい
基本的に自分が関わっている人はお仕事やプライベートでもなんでも本当にいい方向に向かってくれたたら嬉しいです。
今日自分と過ごした時間が最高だったと思ってもらえたらいいなといつも思っています。

それもあって僕が悩んでることを話しても負担になりますし今まで話さないようにしていました。

自分の言葉で発信するのは勇気はいますが自分自身のためにも改めて言葉にしようと思いました。

文章になっていないところもあるかもしれませんが最後まで読んでいただけたら幸いです。

できないことよりも今できることに最大限取り組む

病気を患ってしまうと今までできたことばかり考えてしまいますが
〝失ったものばかり数えるな 無いものは無い〟
お前にまだ残っておるものは何じゃ!!

ルフィとジンベエのこの時のシーンはワンピースの中でも名シーンで語り継がれてますが本当にそうだと思います。

今あるものを大事にして目の前のことに最大限取り組む
迷った時はこの積み重ねで人生が開けてきた気がします!!
結局悩んでもできないことはできないので目の前のことに全力で取り組む。
自分が最大限取り組めない環境や人間関係が合わないなら変える。
僕は20代そうやって乗り越えてきました。

一緒に過ごす時間が長い家族
自分を大事にしてくれている方々には最大限敬意を払う

時間は有限なのでお仕事でもプライベートでも今日過ごした時間が最高だったと思える雰囲気作りや接し方は意識したら変えていけます。

一緒に時間を過ごしたいと思わせてくれる先輩たちはそういった気遣いのプロだなぁといつも勉強させていただいてます。
(特にお世話になっているMCさんやクライアントの方々いつも感謝しております。)

悩みを話すタイミングについて
自分が本当に仲がいい方にしかしないよう心がける
どうしても相手の負担にもなってしまうので誰かに吐き出せる関係を日頃から築いておくのは大事です。


僕がお仕事で早く立場が大きくなりたかった理由
・今日のお仕事最高だったと言えるようにする
・一緒に入ってるメンバーを応援できる
(仕事をいただくより仕事を作る方が大変)
・トラブルが起きても守れるようになれる
・クライアントが求めてることや利益を最大化することに集中できる
・最高な環境や場作りを提供することができる
・ネガティブなことや悪口を言わない

*偉くなっても態度が変わる人よりも僕の現場が重宝されてきたのは
またこの人とお仕事したいと思ってもらえるようにすることを大切にしてきたから今があるのかもしれないです。


家族や周りが背負い過ぎない

父親が車椅子生活である
僕は普段家族のことをあまり話さないようにしている、、、
自分自身ががこのことに対して整理できないまま過ごしてしまったことが
とても長く、話すと感情が込み上げてくるからだ。

家族が破綻しなかったのは
母親がいい意味で気を遣いすぎずいつも明るかった。
そして父親をいつも適度に見守り続けているからだと思う。
母親は偉大だといつも感謝しています。

20代頑張ってきたおかげで僕もゆとりができてきたので親孝行の時間はなるべく取るようにしています。
どれだけ親孝行しても後悔はするデータもあるらしいので帰省できる時は皆さんも親孝行した方がいいですよ!!

僕は父親のこともあり感情移入しやすい
困っている人がいるとほっとけなくなってしまうし自分ごとで考えてしまう。
お世話になってる人たちからは優しすぎだからもう少し自分を大事にしなさいといわれるくらいだ。

父親が車椅子生活になった時僕は高校1年だった

その時くらいから感情を抑えることが増えたと思う。
その分大人になるのが早かった。
それもあってか金融知識やどう生活していけばいいか考えるきっかけにもなっていて今はそれがすごい役立っていると思う。
もし仮にまた入院しても自分の力で生活できるようにはなってきたので前を向いて行動してきてよかったと思っている。
最近こういう相談を受けるのがすごい多いので困ってたらご相談ください。

父親の生きがいになるように頑張り過ぎた結果
引きこもっている父親が少しでも前向きになってくれたら思って地元のテレビ局に関わるお仕事に就職した。
しかし野心だけでなんとかなるわけでもなかった。

パワハラが横行する職場で
会社ではコミュニケーションを阻害されてまともに働ける状態ではなかった。
色々あり過ぎて書けないが、、、
自分も社屋から飛び降りようと考えるくらいの追い詰められていた。
血便が出て潰瘍性大腸炎と診断された時はやっと辞められる言い訳ができたと思ったくらいだった。

最終的には他部所の方が上司に報告してくれて辞めれることになったが
これが原因で20代は寝れない日は多かった。
1年4ヶ月だけ働いた職場だったが3ヶ月以上同じことで毎日悩んでたら辞めるか休職するべきだったと今になって思う。
一生向き合う病気になるのはかなり辛いのは本音だからだ

そこからどうやって立ち直ったかはこちらにまとめております。


本人が社会との関わりを断たないとは

病気を患うと社会との関係を絶ってしまう方は案外多い
今まで普通にできたことができなくなって自分が嫌になってしまうからだ

だからこそ持病持ちや車椅子で生活している人を見ると普通にすごいと思うし尊敬の目で見てしまう。
ここに来るまでどれだけ大変で乗り越えてきたかを想像してしまう。

父親の場合病気を発症してから最初は歩こうとリハビリはしていたが歩けない現実を知ってからは引きこもって社会と関わりを持たない生活になってしまった、、、
気づいたら15年も父親の実家に引きこもってしまった、、、、、
時間の経過は早い。

僕自身も持病があり普通の生活が羨ましいと思う時がある
潰瘍性大腸炎はお手洗いが近い病気であり、入院した時は1日に30回以上もトイレで生活していた時もあるくらいだ。
2ヶ月に1度の点滴と毎日の服薬は欠かせない状態である。
まぁこれも仕方がないと割り切って生活している。
20代の大半はお手洗いで気を使うのが嫌で、友人との外食を控えたり食事にはかなり気を遣っていた。

お仕事は何度もやめようと思った
カメラマンや映像関連のお仕事をメインにしているが病気との相性が悪すぎて諦めた時も何度もあるくらいだ、、、
お手洗いがどうしても近くなる病気で撮影は向いてない仕事だとわかりながらも踏ん張って努力してきてなんとか今があるという感じが本音である。

今は努力の甲斐もあってお仕事できているが、いつできなくなるかの不安は正直ある。
それを見越して努力をして行動をしてきたからこそ今があると思います。
お世話になっている方々の配慮もあって生活できているから今は感謝しかないです。

やっぱり当事者にしかわからない


表面上は乗り越えている風に見せて生活していますが、日々自分と向き合って生活しているのがの当事者の率直な気持ちなんじゃないかなって思います。

起きてしまったことは仕方ないので周りのサポートも必要ですが本人がどう行動していくかが大事な気がします。
行動できる方は強い人間だと思いますし、たまには立ち止まってもいいと思います。
悩んでる方やご家族の方が少しでも前向きに行動できたら幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。



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