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かっこいいものは全部教授に教えてもらった

坂本龍一さんが亡くなってから、自分で思っている以上にバイタルが下がっている。

それはあまりにもたくさんの思考や音楽や素敵だと思うものを、変な例えではあるが、いつも取り込んで自分を作ってきてしまったからなのかな と思う。

その存在が不在である、という寂しさ。
それに適応できないでいる。

小学生の時、「阿修羅のごとく」という向田邦子さんの作品がNHKでドラマ化され、その劇中にYMOの楽曲が使われていた。
ドラマの中に流れるテクノポリスをはじめて聞いた時から私の生活の中の真ん中にYMOがいつづけることになった

1981~1986くらいまで、NHK-FMでサウンドストリートという伝説のラジオ番組が放送されていた。平日の22時くらいからで、山下達郎さんや松任谷正隆さん、佐野元春さんなどが曜日ごとにDJとなり、坂本龍一さんは火曜日の担当だった。

思春期くらいの子供の脳に、教授がその中で発言するちょっと生意気な感じの(教授にも若かりし時は確実にあり)決してフレンドリーではないボソボソとした語り口だったり、リスナー寄りのコンテンツではない、アカデミックな内容や情報であったり、当時普通にテレビやラジオやUSEN?などから流れてくる音楽とは明らかに異なる、ありとあらゆる手に入らない、聞いたことのない素敵音楽から前衛音楽にワクワクしっぱなしでスポンジのように吸収し、私の音楽のDNAは形成されていった。

当時はカセットテープにすべての回を録音して、四六時中、繰り返し聞いていたので、ただぼやいている独り言のようなものまで覚えてしまって、今でも真似して言えるくらい(笑)布団の中にまでラジカセを持ち込んで録音したサウンドストリートを聞いた。なので、そのすべてを、まるで自分の思考のように吸収してしまった。

ジョン・ケージもナムジュンパイクも、ロバート・ワイアットも、高橋悠治も吉本隆明もかっこいいもの好きなものは全部教授に教えてもらった。

もともと同級生の中にいるのが居心地がよくない子供だったけれど、そういったわけでまわりの友達とはまるで話しがあわず、学校をさぼって、なのか週末なのか今となっては記憶が定かでないけれど、当時Rolandの実機がぜんぶ一堂に会して自由に演奏できる(さわれる)ショールーム的なRolandが運営するスタジオが秋葉原にあって、そこに足しげく通っては、(きっとテレビで昔のYMOの演奏を見るときにみなさんみたことがあるアレ、おおきな壁にピンをさしてる機械のような) ジャックをさして音を作るモジュラーシンセで音を作ってビハインドマスクを演奏したりする、そんな中学生ができあがった。

仲良しは同級生ではなく、ローランドのスタジオのおにいさんやおじさんだった。

そしていつも生活の傍らには教授や幸宏の音楽があり、そのまま何十年が過ぎて、東日本大震災が起こり、その少し前から六ケ所村や祝島のことを知り、国会前の原発反対デモに毎週通ったりした。
龍一さんは、2013年に代々木公園で行われた反原発の集会で
keeping silent after Fukushima is barbaric
福島のあとに沈黙していることは野蛮だ、とそうスピーチしている。

いつも答え合わせのように、「ああ、よかった、教授も同じように声をあげたり発信してくれている」
自分が好きな音楽家が音楽以外でも同じ思考でいてくれることにいつも安堵した。

原発反対の継続的なアクションももちろん一番最近では外苑前の銀杏を伐採することへの抗議の手紙を都知事に送っている。
more trees に代表される森林保全、環境活動、震災後には被災した楽器の修復の活動、亡くなる直前まで参加していた東北ユースオーケストラ、挙げれば沢山、たくさんある。

先日亡くなってから、ロバートキャンベルさんの手記で、こんなことも知った。
キャンベルさんが当時ホストだったNHKの番組で教授と長い対談をした後から親交があり、キャンベルさんの職場である東大で、自身が主任となる新学科「学際日本文化論」で龍一さんに講義をしてもらえないか、打診したそうだ。
その時の教授からの返事は、丁重で、しかしきっぱりとした口調で「ノー」を伝える文面だったそう。
「魅力的なお話なので迷いましたがやはり昔『帝大解体』と主張していた身ですし、311の福島原発事故を受けて明らかになった、60年代よりはるかに進んだ『産学協同』の実体、特に東大・東工大の原発推進御用学者の言動を考えると「煩悩に負けてはいけないという内なる声」に抗うことはできず、折角だが東大への登壇は辞退します、という内容だったそうだ。最後には「是非これからも個人的によろしく、とお願いしたい」といつもと変わらぬ優しさで一文を結ばれていた、という。

大学の時に教授が学生運動のさなかにいたことも勿論知るところだったので、一連の文書を呼んで、こういうまっすぐ潔ぎよく、しんを貫くところも大好きで、ほんとうに素敵なエピソードだな、と思ったのだ。

思えば、自分が動物性の食材を使わない料理をするものとして、それは、魚や肉を使って料理をするということ、卵やゼラチンを使ってふくらませ、つやをだし固まらせ、形作りスイーツやキュイジーヌを作る、ということは、料理人としては、大変魅力的なことではあるけれど、やはりこれ以上動物から搾取することや、環境の負荷となること、アニマルウェルフェアに反することはしない、ときっぱり決めたこととは、「煩悩に負けてはいけないという内なる声」に抗がわない、という姿勢では一緒なのかな、とそんな風に思ってみたりした。

これからも師であり続ける教授へ。

寂しいけれど、いつもあなたの音楽を傍に お迎えが来るまでは生き続けようと思います。

たくさんのことをありがとう





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