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血の通った言葉


大学生の頃、フィルムの現像をしに行った時。久しぶりに出かけたので少しお洒落をして向かった。いつも現像してくれるおじいさんとおばあさんに「かっこいい服着てるねぇ、俳優さんみたいだよ」と言われ、照れながらフィルムを渡す。1週間後、現像した写真とデータを受け取りに行くと「店を色々整理したいんだけど、この辺のアタッチメントとか使わない?」と言われた。趣味で自己満足の領域を出なかったカメラだったから、残念ですけど、大丈夫ですと断った。
数ヶ月後、久しぶりに写真を撮ったので現像しに行くと、その写真館は閉店していた。その写真館は50年近く営業していたらしい。おじいさんに言われた「あんた難しい写真撮るねぇ、アートだよ。」という言葉は僕の自尊心を築いた。


大学一年の冬、実家で年越しをしようと思いスーツケースを引きずり帰った時。少しはセンスも良くなったと思われたくて、新しい靴を買った。経済的に厳しかったけどもAmazonでオニツカタイガーのスニーカーを買った。
それを履いて帰省した。父はいつも20時30分に帰ってくる。「かっこいいスニーカー履いてるじゃん」と、ファッションに疎い父に言われた言葉だったが、これも僕のセンスを肯定してくれた一言だった。物事をいっぺんにやろうとするなといつも叱ったのも父親だったな。


ウェイターの仕事の内定が決まり、店舗研修という形で接客をしていた。ある女性とその娘と少し話す機会があった時。彼女らは僕の接客を気に入ってくれたらしい。
「あなたが素敵な接客するって娘と言ってたのよ、社員さん?店長?」「いえ、新入社員として来年入社します。ただ、この店舗以外で配属されるので、会う機会は減ってしまうかもしれません、寂しいですけど」「私が若い頃の、ホテルマンみたいな接客よ、これからも頑張ってね、応援してるわ」
この、最後の、応援してるわ、の一言で約一年勤務した。また会えたらいいなという気持ちで働いた。

幼稚園生の頃、恐竜図鑑に載っていたフィギュアが欲しいとお婆ちゃんにねだった時。お婆ちゃんは図鑑の巻末に書いてある電話番号を見て、受話器を取った。「もう売ってないんだってさ、ごめんね、今度見かけたら買ってくるからね」約束をした。
小学生の頃、そのおばあちゃんは交通事故で亡くなった。図鑑の巻末に載っていた電話番号は出版社と博物館の電話番号だった。つまり電話したところでフィギュアの在庫などわかるはずもなかった。僕にはその電話をしている素振りと言葉と優しさが印象的に残っている。

バンドをやっていた頃、解散間近に対バン相手のおじさん達に「お前らかっけえ曲やってんな」と言われた時。
このバンドがハードコア、メタルに分類される曲をやっていて、誘われた当時、いわゆるスクリームであったりシャウトといった声の出し方も分からず、とりあえずやってみたらメンバーから「ソウルフルだけど、それじゃあライブでは見せられないね」と言われ、それから解散した今でも彼からの評価を気にするようになった。おじさんに褒められるまで努力して良かったと思う傍らで、彼がいたから音楽の深みにハマりバンドをやれたんだと思う。未だに彼を何かしらで唸らせたい。一回とは言わず。

ゼミの教授に言われた「この論文のレベルなら卒論にできるよ」という言葉だけで満足してしまった自分、反抗期に母に向かってもう関わるなと言い放ったら「そんなことできるわけないでしょ、家族なんだから」と突き返された自分、好きだった人に自分の描いた絵を見せたら「なんか、助けを求めてるみたいだね」と言われ、あやふやな気持ちになった自分。

きっとぱっと浮かばないだけで、関わってきた人全てと何かしらのエピソードはあるはずで、たとえ忘れたとしても、ふと思い出す日もきっと来るのだろう。相手がそのエピソードを忘れていたとしても、そこまで深い思いで言ったことじゃなかったとしても、何かしらあるだろう。
まぁ、場合によっては、忘れてもらっていた方が都合がいいこともあるだろう。

僕がそうであるように、他の誰かも大切な言葉で出来ている気がしてならない。そして迂闊に心を掘り下げて大切な相手を傷つけたくない一方で、大切な相手がどんな言葉を受け取って構成されているのか、最近は気になって仕方がない。

いや、なんだ、オチも無い。

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