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My Favorite Things②

好きなもののお話、その2。
前回は、わたしが「俳優を推し、出演作品づたいに新しい俳優が好きになる」という""永久輪廻""に取り込まれたところで疲れ果ててしまった。

俳優推し永久輪廻の前にも色々な出会いがあったので、(またその部分も別のオタク活動と不可分に結びついてくるのだが…)なんとかまとめてみようと思う。できるかな~。

・歴史小説
本の虫だったわたしが、読書という行為そのものの意味について疑問を持つようになったのは、たしか大学時代だったと思う。
大学の図書館にある莫大な本たちを見て、「死ぬまでに世の中の全ての本を読むことはできない」という当たり前の事実が、突然大きな障壁のように思えた。それで、「人生で限られた数しか読めないなら、価値がある本を読まなくてはならない」と考えるようになった。
(この「価値がある」という選択基準は、己の主観で作品の貴賤を決めることになりかねないので、とても危うい思考なのだけれど……すくなくとも、当時のわたしはそう思ったわけである)
小説を読むのは大好きだけれど、小説を通して己が何を得ているのか、分からなかった。
趣味なんて基本、"何かを得るため"ではなく"楽しむため"のものなので当たり前なのだけれど。当時の私は「学び」に焦りすぎて、目的や結果地点のない「娯楽としての読書」が恐ろしくなった。
では、本とはただの「情報」なのだろうか。
「情報」なら、わざわざ読書という方法を取らなくても、様々な方法で得ることができる。知らない人が書いた自己啓発本を読むくらいなら、わたし自身が尊敬する人と、じぶんの言葉で対話したい。
それで、最終的にわたしが「読書」に求めたものが、こちら。
「学んでる感があって、でもなんか楽しくて、
自分の周りの人からは得られない何らかの情報を得たい!」

(なんと手前勝手な欲望!)
しかし、この欲求をある程度満たしてくれそうだと思ったのが歴史小説だった。まずは手近なところから、実家に置いてある歴史小説を読んでみた。

総司はひとり/戸部 新十郎
正直なところ内容はあまり覚えていないのだが、初めて出会った歴史小説として、私にとっての大きなきっかけだった。
その後浅田次郎や司馬遼太郎に出会い、歴史小説と歴史のおもしろさに改めてハマる。

そういえば、司馬遼太郎記念館にも行ったな~。
これもきっかけは刀剣乱舞で、石切丸という刀を見にいきたくて一人で大阪の石切剣箭神社まで行ったんだよね。
そしたら時間がものすごく余っちゃって(ノープラン旅人)、どこか行けるところないかなと思ったら、近くに司馬遼太郎記念館があったのだった。期せずして好きなものをはしごできて、あれは嬉しい旅だった。

司馬遼太郎はよく「歴史を捏造している」といった文脈で語られることがあるが、私はそういうことじゃないんじゃないかなあ、とぼんやり反論したくなったりする。

ある人物が、後世の人間に描かれることによって再構築される。
再構築された断片を繋ぎ合わせてひとりの「歴史上の人物」が生まれる。
そういう意味では、歴史小説も、語られた物語という歴史の一つと言えるのではないかと、わたしは思う。

・三島由紀夫「豊饒の海」シリーズ
前後関係はあまり覚えていないが、大学の舞台企画に参加することになったのをきっかけに、中学生の頃読みかけてよく分からず放置していた三島由紀夫を読もうと思った。
このシリーズの中で特に好きなのは「奔馬」。
若い人間のどうしようもなく熱い思いを、大人は"若者の型のひとつ"としてしか解釈し得ないこと。ひとりの人間による個性的な強い思いも、その集合体を客観的に見れば「凡庸」の一つになってしまうこと。
そういう、残酷で、しかし厳然たる事実を見せつけられた作品だった。

まさにぎらぎらした激情や情熱を失いかけてきて、これからわたしはどうなってしまうんだろう、どうしてゆきたいんだろう、と思っていた時期に読み、この歳でこれだけ鮮やかな若さと愚かさを描ける三島由紀夫は凄まじいなと思った。
三島由紀夫の政治的な考え方に共感するわけではないが、彼の国への強い責任感や、理屈と切り離せない感情は理解できる。

・又吉直樹
最初に「火花」を読んだ時からとんでもなかった。卑屈さ、卑怯さや虚栄心、劣等感、…人間のありとあらゆる負の部分を余すことなく描いていて、こんなものを書いたらその分書いた人間が減ってしまうのではないかと思うほどに苦しい。
のみならず、情景描写が美しいのも好きだ。どうしようもない時、ありえないほど景色が鮮やかに見えることがある。又吉直樹の小説の中の世界は、なんだかずっとそんな感じなのだ。
特に印象に残ったのは「劇場」。

「演劇でできることは、すべて現実でもできるねん。だから演劇がある限り絶望することなんてないねん。わかる?(中略)だからな、今から俺が言うことはな、ある意味本当のことやし、全部できるかもしれへんことやねん」

ちょうど演劇の面白さに気づいてきた頃でもあったので、この文は印象的だった。
読書という行為に疑問を持ちはじめていた中で、又吉直樹の作品は一つの道しるべのようになった。彼の勧める作品なら間違いないと思って本を選ぶことが、今もよくある。


軽い気持ちで小説の話を始めたら、思いのほか長くなってしまったので、③につづきます…。(ノープラン書人)

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